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マックス・ヴェーバー, 『社会学の根本概念』/ Max Weber, Soziologische Grundbergriffe

2019-04-11 | 要約
以下に示すのは,マックス・ヴェーバー(1972)『社会学の根本概念』の要約です。
この本は,デュルケムと並び社会学の祖と昌されるヴェーバーが,社会学で用いられる概念について厳密に定義し,社会学は何を明らかにする学問かを明快に論じたものです。筆者のように社会学を領域とする人なら必読の一冊であることは間違いありません。
なお,誤読や誤字,脱字などもあるかも知れません。もしお気づきでしたら,コメント欄にてご指摘いただければ幸いです。著作権みたいなものは特にないです。

【第一項,第二項…はそれぞれ①,②で表す】
第一節 社会学と社会的行為
・社会学について,「社会的行為を解釈によって理解するという方法で社会的行為の過程および結果を因果的に説明しようとする科学」(p. 8)であると説明→理解社会学
・「行為」とは,「単数或いは複数の行為者が主観的な意味を含ませている限りの人間行動」(p. 8)を指すと説明
・「社会的」行為の場合には,「単数或いは複数の行為者の考えている意味が他の人々の行動と関係を持ち,その過程がこれに左右されるような行為」(p. 8)を指すと説明

一 方法の基礎
①「意味」には二種類がある。第一に,(a)「或る歴史上のケースにおいて,一人の行為者が実際に主観的に考えている意味」,(b)「多くのケースを通じて,多くの行為者が実際に平均的近似的に主観的に考えている意味」があり,第二に,「概念的に構成された純粋類型において,類型として考えられた単数或いは複数の行為者が主観的に考えている意味」(p. 9)がある。
②意味のある行為と,主観的な意味を含まない行動との境界線は曖昧である。
③すべての理解は「明確性」を求め,この明確性には合理的なものと感情移入による追体験的なものの二種類がある。ところが人間の行為が向けられる目的や価値のなかには,必ずしも完全に明確に理解できないものが多い。そこで「類型構成的な科学的考察においては,行動の非合理的感情的な意味連関が行為に影響を及ぼす場合,すべてこういう意味連関は,先ず,行為の純粋目的合理的過程を観念的に構成した上で,それからの偏向として研究し叙述すると非常に明瞭になる」(p. 11-12)のである。
④主観的意味内容を含まない過程や状態は,行為との間に手段や目的の関係がないため,行為を刺激あるいは阻止するに留まる。
⑤「理解とは,第一に,行為(言葉を含む)の主観的意味の直接的理解を指す」(p. 14)。さらに「理解とは,第二に,説明的理解を指す」(p. 15)。そして「行為の意味を研究する科学にとっては,「説明」とは,その主観的に考えられた意味から見て,直接に理解され得る行為を含むところの意味連関を把握することにほかならない」(p. 16)のである。
⑥理解とは,第一に「或る具体的なケースにおいて実際に考えられている意味や意味連関(歴史的研究)」,第二に「平均的近似的に考えられている意味や意味連関」,第三に「或る頻度の高い現象の純粋類型(理想型)として科学的に構成される理想型的な意味連関」(p. 16)である。すべての解釈は明確性が必要だが,それが同時に因果的に正しい解釈だと主張することはできない。なぜなら,第一に,行為者が自分の行為の目的の連関を隠してしまうことがあり,主観的には正直な証言でも相対的な価値しかもたないことがあるからである。第二に,行為の外的過程が同じように,あるいは似たように見えても,それぞれの行為者にとっての意味連関が異なっている場合があるからである。第三に,行為する諸個人の動機間の闘争に意味連関が巻き込まれると,それぞれの意味連関がどのような強さで行為に現われるかについて確証を得ることはできないからである。
⑦「動機」とは,「行為者自身や観察者が或る行動の当然の理由と考えるような意味連関」(p. 19)のことである。「意味適合的」とは,「行為の諸部分の関係が,思考や感情の平均的習慣から見て,類型的な(普通は,「正しい」という)意味連関と認められる程度の連関性ある過程を辿る行動のこと」(p. 19-20)を指し,一方で「因果適合的」とは,「経験的規則から見て,いつも実際に同じような経過を辿る可能性が存在するという程度の諸過程の前後関係のこと」(p. 20)を指す。ある行為を正しく因果的に解釈することとは,外的過程や動機を的確に認識するのみならず,その連関の意味が理解されるように認識することである。そして,「或る社会的行為の理解可能な主観的意味に対応する統計的規則性のみが,ここでいう理解可能な行為類型,つまり,『社会学的規則』なのである。」(p. 21)
⑧理解が不可能なある種の過程や規則性は,社会学的な事実や規則には含まれないが,理解可能な行為の条件,刺戟,阻止,促進という領域に属する。
⑨社会学は行為の意味連関だけが把握の対象である。しかし他の専門分野においては,国家や株式会社といった社会集団を個人とまったく同じように取り扱うことがある。社会学がこれを無視することができないのは,行為の解釈と集団概念との間には,以下三つの関係があるからである。第一に,社会学が国家や株式会社などの集団を問題にする場合は,「諸個人の現実の社会的行為や,可能性として観念的に構成された社会的行為の特定の過程のことを言っているだけ」(p. 23)であり,社会学はその用語を別の意味を含ませて使っている。第二に,行為の解釈にあたっては,日常的思考や法律的思考で用いられる集団観念は,存在するものと効力をもつものとが混ざった状態の観念であって,人びとの行為はこの観念に従っているのである。現代の国家においては,国家が存在し,法律的秩序が効力をもつのと同じ意味で存在していると多くの人びとが考えているおかげで,人間の共同行為が成立しているのである。第三に,シェフレ『社会体の構造と生活』を始原とする有機的社会学の方法は,国民経済という全体から出発して社会的共同行為を説明し,その内部における個人及びその行動を説明しようとするものである。社会学にとって全体の諸部分を機能的に考える表現方法は,(a)実際上の解説やさしあたっての方向を示すという点において,(b)ある連関を説明するのにある社会的行為の解釈的理解が必要な場合,機能的な表現のみが行為の発見を助けることができる点において,役に立つ。動物と人間の関係について社会学は,「動物から出発して,人間の社会的行為の理解を期待するのではなく,反対に,人間との類推を動物に用いているし,また,用いるべきである」(p. 28)と考える。人間の場合,昔は本能的要素が明らかに優勢を占めてきたが,その後の発展段階でもこれらの要素は依然として強固に作用してきた。しかしながら,社会学的に見れば,どのような社会も諸個人の行為の解釈を通じて理解するしかない。なぜなら,「経験的社会学の主たる仕事は,この『共同社会』が成立し存続する方向へ個々の官僚や成員が動員するのには,いかなる動機が働いたのか,働いているのか,先ず,この問題から始まるのであるから」(p. 29-30)であり,「すべての機能的な――すなわち,『全体』から出発する――概念構成は,そのための予備作業を行なうに過ぎないもので,それが正しく行なわれさえすれば,もちろん,その効用および意義は疑う余地のないものである。」(p. 30)
⑩「法則」とは,「或る状況において期待される社会的行為の過程の類型的可能性が観察によって立証されたものであって,同時に,この可能性は,行為者の類型的な動機および類型的な主観的意味から理解することができるものである。」(p. 30)この法則が理解可能かつ明白であるのは,以下三つの場合のみである。第一に,「類型的に観察された過程の根本に純粋目的合理的動機がある場合」,第二に,「方法的に構成された類型の根本に純粋目的合理的動機が仮定されている場合」,第三に,「手段と目的との関係が明白である――その手段が不可避的である――場合」(p. 30)である。
⑪社会学は諸現象の歴史的因果的帰結に役立つことを考えながら概念を構成し,その規則を求めるが,一方で神秘的,宗教的,感情的とされる非合理的諸現象も理論的な概念によって把握しようとする。さらにある歴史現象の言葉を明白にするためには,「構成体の純粋類型(理想型)」(p. 32)を構想しなければならず,これは完全な意味適合性を含む矛盾のない統一体であって,純粋類型(理想型)から出発してはじめて,具体的なケースの社会学的解明は可能となるのである。経済学で行われている社会的行為の理想型的構成は,理想的な純粋経済的方向をもつ目的合理性の場合の行為を問題にする点において,非現実的なものである。しかしこれによって,第一に,具体的なケースにおいて,それが経済的な目的合理的な規定も含んでいる限り,これを理解することができるし,第二に,その行為の現実の過程と理想型的過程との距離そのものを通じて,行為の現実の諸動機の認識を助けることができる。ただし,社会学によって構成された諸概念は,外的に理想型的であるだけではなく,内的に理想型的でもある。行為の多くは,その主観的意味を意識したうえで行なわれず,大抵は衝動的あるいは習慣的に行為するのであり,行為の意味を意識するのは何らかの弾みによってであるからだ。

二 社会的行為の概念
①社会的行為は,「他の人々の過去や現在の行動,或いは,未来に予想される行動へ向けられるものである。」(p. 35)
②外的行為がただ物体の行動の予測に向けられている場合や,内的行動で他の人々の行動に向けられたものではない場合は,社会的行為ではなくなる。
③自分の行動の意味が他人の行動に向けられていなければ,人間間の接触は社会的なものだとはいえない。
④社会的行為とは,大勢が同じ行為をすることや,他人の行動に影響を受けた行為とも違う。他人の行動を模倣するにしても,流行だから,伝統だから,上品だからといった理由があれば,模倣される人たちの行動と第三者の行動との間に意味関係性が生ずる。「社会学は,決して社会的行為だけを研究するのではないが,ただ,社会的行為は,科学としての社会学にとって謂わば構成的な意味を持つ中心的事実なのである。」(p. 38)

第二節 社会的行為の種類
・社会的行為には,次の4つの種類がある。
(a)目的合理的行為――「外界の事物の行動および他の人間の行動について或る予想を持ち,この予想を,結果として合理的に追求され考慮される自分の目的のために条件や手段として利用するような行為」(p. 39)
(b)価値合理的行為――「或る行動の独自の絶対的価値――倫理的,美的,宗教的,その他の――そのものへの,結果を度外視した,意識的な信仰による行為」(p. 39)
(c)感情的,特にエモーショナルな行為――「直接の感情や気分による行為」(p. 39)
(d)伝統的行為――「身に着いた習慣による行為」(p. 39)
①純粋伝統的行動は,意味的方向を有する行為の限界にある。なぜならそれは,見慣れた刺戟に対する,以前から身に着いた態度のまま無意識に反応すること過ぎないことが非常に多いからである。さらに,習慣への固執は意識的に維持されることがある。
②純粋感情的行動も,意味的方向を有する行動の限界にある。なぜならそれは,異常な刺戟に対する無思慮な反応であることがあるからである。
③行為の感情的方向と価値合理的方向とでは,後者が「行為の窮極的目標が意識的に明確化され,終始,それを計画的に目指している」(p. 40)という点で区別されるが,いずれにとっても行為の意味は,行為の彼方にある結果ではなく,特定の行為そのものにある。
④「目的合理的に行為する人間というのは,目的,手段,附随的結果に従って自分の行為の方向を定め,目的と手段,附随的結果と目的,更に諸目的相互まで合理的に比較秤量し,どんな場合にも,感情的(特に,エモーショナル)或いは伝統的に行為することのない人間のことである。」(p. 41)また目的合理性の立場から見ると,価値合理性は常に非合理なものになる。
⑤ある一つの方向だけをもつ社会的行為は非常に稀であり,現実の行為は,純粋類型との間に大小の距離感があったり,それらの混合物であったりする。

第三節 社会的関係
・社会的「関係」とは,「意味内容が相互に相手を目指し,それによって方向を与えられた多数者の行動のこと」(p. 42)を指す。
①双方の行為の相互関係が少しでもあることが,社会的関係という概念を成立させる基準である。
②当事者たちが具体的なケースにおいて考えている経験的意味内容か,観念的に構成された純粋類型において考えている経験的意味内容かが重要である。
③相互的行為の当事者同士が社会的関係に同じ意味内容を含ませているとは必ずしも言えないし,彼らが相手の態度の意味と一致した内面的態度をとっているとも必ずしも言えない。この意味で相互性があるとはいえず,相手がある態度を示してくれると行為者が前提してこの期待に自分の行為を向け,そこから行為の過程や関係の形成にある結果が生まれる場合において,社会的関係は相互的である。もちろん,社会的関係が客観的に相互的であるのは,意味内容が相互に一致している場合に限られるが,それは現実においては限界的ケースに過ぎない。
④社会的関係には,一時的なものもあれば永続的なものもある。
⑤社会的関係の意味内容は変化することがある。
⑥社会的関係を永続的に作り上げるような意味内容は「原則」と表現される。行為の方向が合理的であればあるほど原則が結ばれやすい。
⑦社会的関係の意味内容が相互的合意によって協定されることがあり,それは当事者が自分たちの行動について約束することである。

第四節 社会的行為の諸類型―習慣と慣習
・社会的行為の中には規則性が見られるものがあり,そのうちで「その規則性が或るサークルの内部に存在する可能性がただ現実の行動によって与えられている場合」は「習慣」と呼ばれ,「この現実の行動が久しく身に着いたものである」場合には「慣習」(p. 46)と呼ばれる。そして「規則性の実際的存続の可能性が,ただ諸個人の行為が同じ期待へ純粋目的合理的に向けられているために生じたもの」(p. 47)であれば,「利害関係によるもの」と呼ばれる。
①慣習とは正反対でその行動の新しさゆえに行為となる場合,それは「流行」と呼ばれる。
②慣習は「法」とは違い,外的に保障されない規則であり,慣習には効力は存在しない。
③社会的行為,特に経済的行為の過程には顕著な規則性が多くあるが,これは「当事者の社会的行為の様式が彼等のノーマルな主観的に評価された利益に平均的に最もよく合致しているためであり,彼らがこの主観的な見解および知識に従って行為している」(p. 48)からである。
④慣習が有する安定性は,周囲の多くの人たちが慣習の存続にしたがった態度をとっているために,自分の行為を慣習に従わせない人間は不適切な行為を行う結果となり,さまざまな不便や不利益を蒙らなければならなくなることに由来する。

第五節 正当なる秩序の概念
・社会的行為や社会的関係のなかには,「正当なる秩序」によって支配されているものがあり,実際に支配される可能性をその秩序の効力と呼ぶ。
①ある秩序の「効力」は,慣習や利害関係によって社会的行為の過程に生じる単なる規則性以上の意義がある。例えば命令という秩序(服務規定)の効力は,それに違反すれば不利益になるばかりでなく,彼の義務感にとって価値合理的に問題となる。
②(a)「行為が或る明らかな原則に(平均的および近似的に)従っている場合」(p. 50)に限って,社会的関係の意味内容を秩序と名づけ,(b)この原則が行為に対してある効力をもつと見られ,そのために相当の程度で原則が守られる場合に限って,この秩序の「効力」を問題にする。
③ある秩序が効力をもつかもたないかは,社会学にとっては絶対的な二者択一ではあらず,両者の間にはたくさんの段階があり,相互に矛盾するいくつかの秩序が効力をもっている。

第六節 正当なる秩序の種類―慣例と法
・秩序の正当性の保証には,純粋内的なものと特定の外的結果の期待,つまり利害関係によるものとがある。前者はさらに,(a)純粋感情的なもの,(b)価値合理的なもの,(c)宗教的なものに分かれる。
・秩序とはさらに,(a)慣例――「その効力が,或る特定のサークル内部における違反が比較的一般的な,実際にそれと感じられるような非難を招くという可能性によって外的に保障されている」(p. 54)もの,(b)法――「その効力が,遵守の強制や違反の処罰を本務とする専門のスタッフの行為による肉体的或いは精神的な強制の可能性によって外的に保障されている」(p. 55)もの,という2つがある。
①法とは違って慣例は,特に強制を任務とするスタッフがいない。
②法には強制を行なうスタッフの存在が決定的であるが,法律上の用語としては強制の手段は重要ではない。
③すべて効力ある秩序が一般的抽象的性格をもっているとは限らず,詳細は法社会学の問題である。
④外的に保証された秩序のなかには,同時に内的にも保障されているものがある。

第七節 正当なる秩序
・行為者がある秩序に正当な効力を認めるのは,以下4つの理由による。第一に,伝統という効力によるもの。第二に,感情的なものの効力によるもの。第三に,価値合理的信仰という効力によるもの。第四に,実定法の合法性への信仰という効力によるもの。そしてこの合法性が正当なものとして効力をもつのは,(a)合法性に関する関係者間の合意によることがあり,または(b)正当と認められる人間間の支配および服従にもとづく強制によることがある。
①秩序の効力が伝統を神聖視することからはじまったケースは,広範にみられる原始的なものである。
②秩序の意識的な想像は,預言者の信託あるいは預言者の承認を経ることで申請と認められた宣言であったが,この場合服従は,預言者による正当化への信仰に支えられていた。
③価値合理的効力の最も純粋な類型は,自然法が示している。
④正当性の形式として最も一般的な合法性の信仰とは,「正式の手続を踏み通常の形式で成立した規則に対する服従」(p. 60)である。
⑤強制された秩序への服従について,正当性の観念が存在する場合は,強制者の支配権力が何らかの意味で正当であるという信仰が前提となっている。
⑥秩序への服従は,さまざまな利害関係によって規定されているうえに,伝統への愛着と正当性の観念との混合物によって規定されている。

第八節 闘争の概念
・闘争とは,「行為が,単数或いは複数の相手の抵抗を排して自分の意志を貫徹しようという意図へ向けられているような社会的関係」(p. 62)のことである。
・競争:現実の物理的暴力行為を伴わない平和的闘争のうち,他の人びとも同様に得ようとする利益に対して,自己の支配権を確立しようとする平和的形式の努力がなされること
・淘汰:諸個人や諸類型の間で生存あるいは残存のチャンスをめぐって行なわれる,闘争的意図という意味を欠いた潜在的な生存競争
①闘争には無数の段階が存在する。
②闘争や競争では,往々にして闘争の勝利に不可欠な個人的性質を多くもつ人間が選び出される結果に落ち着く。その性質とは例えば腕力や非良心的な狡猾さをもつことや,知的能力に優れていることなどがある。また,社会的淘汰は経験的な意味で闘争の排除を阻止し,生物的淘汰は原理的な意味で闘争の排除を阻止する。
③生存のチャンスのために行なわれる諸個人間の闘争と,社会的諸関係の間の闘争や淘汰とでは区別しなければならない。後者の概念は「時間の経過に伴って,或る行為が他の行為――同じ人間の行為でも,他の人間の行為でも――によって駆逐されるという意味」(p. 64)である。これはいくつかの方法で可能になるものであり,(a)人間の行為がある具体的な社会的関係を阻止あるいは成立や存続を妨害することを意図的に狙うという方法や,(b)社会的行為の過程とそこに生じる各種条件によって意外な副次的効果が生まれ,それゆえにある具体的な関係の存続や成立のチャンスが減るという方法がある。

第九節 共同社会関係と利益社会関係
・社会的行為の方向がメンバーの主観的一体感にもとづいている社会的関係は「共同社会関係」と呼ばれ,社会的行為の方向が合理的な動機による利害による利害の均衡や,同じ動機による利害の一致にもとづいている社会的関係は「利益社会関係」と呼ばれる(p. 66)。利益社会関係は相互の合意による合理的一致にもとづき,そこにおける利益社会的行為は,(a)自分の義務への信仰によって価値合理的に,さらには(b)相手の誠実性への期待によって目的合理的に拘束される。
①利益社会関係の最も純粋な類型は次の三者である。第一に,市場における自由な契約による純粋目的合理的な交換。第二に,自由な契約による純粋目的の団体。第三に,価値合理的動機による信仰団体。
②共同社会関係は,感情的,伝統的基礎をもつことがある。しかし,多くの社会的関係は共同社会関係という性格と利益社会関係という性格を同時に含んでいる。
③共同社会関係は,闘争と正面から対立する一方,利益社会関係は相反する利害の妥協に過ぎないことが多く,それゆえ利害の対立や他のチャンスの競争はそのまま存続する。
④周囲から孤立した状況に対する共通の感情を基礎として,お互いに相手を意識した行動をするようになってはじめて,人びとの間にある社会的関係が生まれ,この社会的関係が一体感を含むようになってはじめて,共同社会が生まれる。

第一〇節 開放的関係と閉鎖的関係
・社会的関係は,「実際に参加の能力および希望を持つ人間であれば,右の社会的関係(共同社会関係または利益社会関係:引用者注)を構成し,その意味内容に即して行なわれる相互的な社会的行為に参加することを効力或る秩序によって禁じられていない場合」(p. 71)外部に対して開放的であると呼ばれる。
・それに対して,社会的関係が「社会的関係の意味内容或いは効力ある秩序が参加を排除したり,制限したり,条件を課したりする場合」(p. 71)は外部に対して閉鎖的であると呼ばれる。
・「或る社会的関係が,メンバーに内的或いは外的な関心を満たすチャンスを与え得るような事情」(p. 71)のもとでは,合理的閉鎖がおこなわれる。
・閉鎖的な社会的関係がメンバーに対して独占的チャンスを保証するケースには3つある。第一に,自由に保証するケース。第二に,程度や種類に規制を加えることによって,あるいは割り当て制度によって保証するケース。第三に,個人や集団が永続的かつ不可譲的に私有するものとして保証するケース(対内的閉鎖)。
・私有されたチャンスは権利と呼ばれ,私有の主体は次の三者に区別される。第一に,特定の共同社会や利益社会のメンバー。第二に,諸個人。ただしこれには(a)純粋な個人,あるいは(b)従来のチャンスの享受者が死亡したとき,ある社会的関係や血縁関係によって彼と結ばれている単数あるいは複数の個人も含まれる。第三に,享受者が協定によって,(a)特定の他人,あるいは(b)任意の他人に自由にチャンスを譲渡することもある。
①(a)家族関係を基礎として所属が行なわれているような共同社会は,伝統的に閉鎖的である,(b)人格的な感情関係は感情的に閉鎖的である,(c)厳格な信仰団体は価値合理的に閉鎖的である,(d)独占的あるいは財閥的性格の経済団体は目的合理的に閉鎖的である。
②対外的な制限および閉鎖の程度や手段は多様であり,それゆえ開放性と制限性や閉鎖性との差異は曖昧である。
③メンバー自身の間,あるいはメンバーの相互関係における対内的閉鎖にも,いろいろな形態がある。
④閉鎖の動機には,(a)質の向上,ときにはそれによる権威の向上,さらにそれに伴う名誉あるいは利益の向上,(b)消費需要に対する供給の不足,(c)利益のチャンスの不足がある。

第一一節 代表権
・伝統的秩序や実定的秩序によって,ある社会的関係が,(a)メンバーの誰か一人の特定の行為がメンバー全体の責任になる,(b)特定のメンバーの行為が他のメンバーの責任になる,という結果を生むことがある。また,効力ある秩序にしたがって,代表権が(a)種類や程度の如何に関係なく私有されることがあり(法定代理権),(b)ある基準にしたがって永続的あるいは一時的に与えられることがあり,(c)メンバーあるいは第三者の特定の行為によって,永続的あるいは一時的に委任させられることがある(任意代理権)。
・ある社会的関係を連帯関係として見なすか,代表関係として見なすかは条件によるが,行為の目的が(a)暴力的闘争にあるか,(b)平和的交換にあるかという程度が重要である。
①責任の帰属には次の二つの意味がある。第一に,「受動的連帯責任と能動的連帯責任」(p. 76)がある。第二に,「伝統的秩序或いは実定的秩序によって,或る閉鎖的関係のメンバーが代表者の獲得した利益――いかなる種類のものでもよいが,特に経済的利益――の享受を自分たち自身の行動にも合法的に効力あらしめようとする程度の意味」(p. 77)の責任の帰属がある。
②連帯が存在するのは,(a)伝統的な地縁的共同社会あるいは生活共同社会,(b)自らの暴力行為によって独占的利益を守る閉鎖的関係,(c)メンバーの個人経営による営利的利益社会関係,(d)ある特殊な労働組合,の4つの場合である。
③ある基準にのっとった代表権の委任とは,「例えば,それが年齢順などの事実によって与えられる場合」(p. 78)である。
④これらの事実は社会学的な具体的分析をおこなってはじめて述べることができるものである。

第一二節 団体の概念と種類
・団体:「規則によって対外的に制限され閉鎖された社会的関係」のうち,「その秩序の維持が,その実施を特に目的とする特定の人間の行動によって保証されている場合」(p. 78)
・管理権は(a)私有されることもあれば,(b)効力ある団体的秩序によって定められた人間,一定の基準および方法で選ばれた人間に委任されることもある。また団体的行為とは,(a)「秩序の実施に関する行政スタッフ自身の行為であって,管理権或いは代表権にもとづく正当なもの」,(b)「行政スタッフの命令によって指揮された団体員の行為」(p. 78)の2つを指す。
①団体の概念にとっては,或る団体が共同社会関係であるか利益社会関係であるかは問題ではなく,秩序の強制を目的とする行為こそが,閉鎖的な社会的関係に対して重要な新しい特徴を加えることになる。
②団体の存在は,指揮者あるいは行政スタッフの存在と不可分のものであるのみならず,特定の人間が団体の秩序の実施を目的とする行為を行う可能性の存在と不可分のものでもある。
③団体関係的行為とは,行政スタッフの行為とは別に,団体的秩序にしたがう他のメンバーの特殊な行為のことであり,団体規制的行為とは,団体のメンバーが効力ある秩序にしたがって行う行為のことである。団体的行為とは,行政スタッフ自身の行為,あるいは彼の指揮する計画的な団体関係的行為のみを指す。また,団体は(a)自律的か他律的か,(b)独立的か従属的かである。自律性とは,「団体の秩序を外部の人間が制定するのではなく,団体員がその資格において――他の点は別として――制定することを意味する」(p. 80)。他律性とはその逆である。さらに独立性とは,「指揮者および団体のスタッフが,外部の人間によって任命されるのではなく,団体独自の秩序によって任命される――任命の方法はとにかく――ことを意味する」(p. 80-81)。

第一三節 団体の秩序
・利益社会関係の実定的秩序は,(a)自由な協定によって成立することもあれば,(b)強制および服従によって成立することもある。団体の「憲法」は,既存の管理権のもつ強制権への服従の現実的可能性である。
・団体の秩序には,団体員のみならず,非団体員に対しても強制されるものがあり,これは地域的関係にみられる「地域的効力」(p. 82)である。
①「全メンバーの自由且つ自発的な協定によらず成立した一切の秩序」(p. 82)は強制されたものと呼ばれる。
②形式的には自由な協定でも強制されている場合が多くある。
③いつ,どんな問題で,どんな限度やどんな特別な前提で,団体員が指揮者に服従するのかという問題のみ,社会学は取り扱う。
④強制的な地域的効力は刑法規範および他の多くの法文にみられる。

第一四節 行政秩序と規制秩序
・団体的行為を規制する秩序は「行政秩序」と呼ばれ,その他の社会的行為を規制するのは「規制秩序」と呼ばれる。行政秩序にのみしたがう団体は行政団体,規制秩序にのみしたがう団体は規制団体と呼ばれる。
①多くの団体は,行政秩序と規制秩序の両方の性格を持ち合わせている。
②行政秩序の概念に含まれるのは,行政スタッフの行動にも団体員の行動にもひとしく効力を持つ一切の規則である。一般的に言って,行政秩序と規制秩序との境界は,政治団体における公法と私法との区別に合致する。

第一五節 経営,経営団体,任意団体,強制団体
・経営とは「或る種の永続的な目的的行為」を指し,経営団体とは「永続的な目的的行為を含む行政スタッフを有する利益社会関係」(p. 85)を指す。また,任意団体とは「協定による団体を指し,その実定的秩序は,自発的加入によってメンバーとなった人間に対してのみ効力を有する。」(p. 85)さらに強制団体とは,「その実定的秩序が,特定の活動範囲内において,或る規準に合致する一切の行為に比較的効果的に強制されるような団体」(p. 85)を指す。
①経営の概念は目的の永続性という基準からみるならば政治的および教会的な事業,任意団体の事業などの遂行も含む。
②団体が合理的に制定された秩序を有する場合,それは任意団体あるいは強制団体と呼ばれる。強制団体には国家や教会が含まれる。強制団体の諸秩序は,ある規準に合致する範囲内の一切の人間に対して効力を持つことを要求し,当人が自発的に賛成したか否かなどは無関係である。
③任意団体と強制団体との対立は相対的なものである。
④すべての団体が任意団体か強制団体かに分類されるわけではない。

第一六節 権力と支配
・権力:「或る社会的関係の内部で抵抗を排してまで自己の意志を貫徹するすべての可能性」(p. 86)
・支配:「或る内容の命令を下した場合,特定の人々の服従が得られる可能性」(p. 86)
・規律:「或る命令を下した場合,習慣的態度によって,特定の多数者の敏速な自動的機械的な服従が得られる可能性」(p. 86)
①権力の概念は社会学的には曖昧なものであるため,支配の社会学的概念は厳密である必要がある。
②支配は他の人びとに対して効果のある命令を下す人間の現実的存在にのみ依存し,ある団体のメンバーが服従している場合,その団体は「支配団体」と呼ばれる。
①家父長は行政スタッフを持たずに支配を行なう。
②行政スタッフが存在していると,団体は何らかの程度で支配団体である。行政の方法や行政にあたる人びとの性格,行政の対象となる事柄,支配の効力の範囲などが団体の特質を決定する。

第一七節 政治団体と宗教政治団体
・政治団体:「或る地域内における支配団体の成立とその秩序の効力とが,行政スタッフによる物理的強制の使用および威嚇によって永続的に保証されている限り」(p. 88)の団体
・政治的強制団体の経営は,行政スタッフが秩序のための正当な物理的強制の独占を有効に要求する限りにおいて「国家」と呼ばれる。
・宗教政治団体:「その秩序の保証のために功徳を与えたり拒んだりすることによる心理的強制(宗教政治的強制)が用いられる場合」(p. 88)の団体
①暴力行為による威嚇または暴力行為の使用は政治団体独特の手段である。また政治団体は,ある地域に対する行政スタッフおよび秩序の支配を要求し,これを暴力行為によって保証するという特徴を有している。
②政治団体は団体的行為の目的を掲げて定義することはできず,ある団体の政治的性格は暴力行為という手段によって定義するほかはない。日常の用語法では,政治的な団体的行為に影響を与えることを目的とする党派やクラブもあるが,それらの行為は「政治的方向を有する」と呼ぶことができ,政治団体の団体的行為とは区別されるものである。
③現代国家の形式的特徴は,規則によって変更することが可能な行政秩序および法秩序にある。さらに,「国家の暴力的支配の独占的性格は,その合理的な強制団体的性格および永続的な経営的性格と並んで,その現状の本質的特徴をなす」(p. 91)。
④宗教政治団体の特徴は,その授与が人間に対する宗教的支配の基礎となるということである。

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