フジサキヒロカズ@音楽づくり

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「掌が聴く」おとのしみ会@カフェドジェーム 2021/07/10録音

2021-08-09 19:02:00 | 日記

🔹「掌が聴く」おとのしみ会@カフェドジェーム 2021/07/10録音


即興表現をする時の私のたった一つの動機、たった一つの欲望。それは「この表現を演者以外の他の誰か=聴衆に届けたい」ではなく「私の『外部』に出会いたい」ということ。


「外部」に会うために即興表現をする。「音楽を演奏する」と言うよりは、単に「表現する」と言う方がしっくりくる。表現の最中、音楽をつくっているという意識はあまりない。それは、音楽であることも超えた「外部」に出会いたいと、私がどこかで望んでいるからなのかも知れない。


表現の最中に、何となくぼんやりとでも自力で想定できてしまうような外部ではなく、私には想像さえできない別次元の「外部」に出会いたい。


このような、思いもよらない別次元の「外部」というものに、狙って出会えるはずはない。それを狙う時点で作為的に/目的志向的になってしまうからだ。予め照準できるのならば既にそれは「外部」ではない。なぜなら、思いもよらない別次元の「外部」は、私の意図の/私の認識の、外側に在るだろうから。


即興表現をやってきた経験から、この別次元の「外部」は、他者と一緒に表現したほうが出会えやすいような気がしている。


他者との共振。同調=ユニゾンではなく、前者の完全模倣リピートでもなく、参加した各自が、その瞬間瞬間にやりたいと思うことをやり切る中での、共振。即興表現というコミュニケーション。


3人の声と音を伴う身体の共振が触媒となって、ほんの一瞬、私にとっての「外部」の片鱗のようなものが現れる。この27分間の中で、私にとっての片鱗が、断続的に何度か現れた。


果たして、もし私が、これらの片鱗よりも確かな、別次元の「外部」に出会えたとして、その「外部」は私にとって嬉しいものかどうかさえ分からない。そんな「外部」に出会おうとすることは単なるリスクでしかないのかも知れない。私自身にとってさえそうなのだから、他者=聴衆にとって/あなたにとって、この「外部」が嬉しいものであるか否かなど、全く保証できない。


以上のような前提に立って、去る710日、この3人によって行われた即興表現「掌が聴く」をここに提出したい。

 


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録音データ:

2021/07/10 音楽表現イベント「おとのしみ会」での即興表現

・カフェドジェームにて録音 2713


参加者:

・長野雅貴-即興詩、即興作曲、声、パーカッション

・マツイケダイスケ-即興詩、即興作曲、声、シンバル、身体表現

・藤崎博和-作曲、作詞、即興作曲、クラシックギター、声、マラカス、ボールペン、録音、音源mix down、写真撮影、動画撮影、ミュージックビデオ制作


ビデオ内使用作品:

直「水の無い水族館」(切り絵・アクリル画)

*Twitterアカウント:@mohunao0716


事前の約束事:

①藤崎の新曲「掌が聴く」のタイトルのみを告げ、演奏開始。2人はその場で初めて曲を聴く

②藤崎は一節歌い終えたあと、演奏を続け、3人で自由に即興表現をする。

以上の二点のみ。表現内容について一切の事前の取り決めはしていない。

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