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ひと休み?

2007-03-30 | ◎ お茶にごし
本日はひと休みでございます。…といいつつ、

いま、テレビのニュース番組で、電力12社で発電所の事故隠しが発覚、という映像が流れています。社長や役員一同が神妙な面持ちで「申し訳ございませんでした」と深々頭を下げる場面が12回、まるで繰り返し再生のように流れます。それぞれ別々の会社でありながら、決まった儀式のように頭を下げて見せる姿を象徴的に演出する意図なのでしょうが、これは嫌な編集ですね。

電力会社の経営陣は、誰に向かって「申し訳ございませんでした」と謝っているのでしょう。そしてテレビ局は、その姿を誰に見せようとしているのでしょう。

編集者は、制作する印刷媒体が読者対象とした特定の人だけに届くものではないことを知っています。企画上の仮想の読者にはフィットするメッセージや言葉も、現実の読者には不愉快な場合がある。まして、間接的にそれを手にするかも知れない不特定多数の人々の中には、その言葉がトゲとなって刺さり、深い悲しみや失意に変わる場合もあります。印刷媒体は大量生産され、流通の波に乗って編集者の知らない誰かの手元へと流れていくのですから、「あなたに読ませるつもりはない」と言うことなどできないのです。

今回の事故隠しだけでなく、期限切れ原料の使用、単位の未履修、裏金疑惑、記事の捏造、強度計算の偽装、不正な改装、整備点検の放置など、確かに世間を呆れさせる不祥事が続いている気がします。職業人の倫理が問われているのもわかります。ただ、それを報道するのであれば、個々の事情をしっかり批判しないと、それが「風潮」を作り上げてしまいます。日本社会がゆるんでいる、職業人の倫理観が崩れている、効率最優先のツケが回った…。それは一面の真理かも知れませんが、これらを持ち出した時点で、人は原因をつかんだような気分になってしまいます。問題の本質はきっと、どこかに置いておかれたままに。

時代の空気感で物事を語るのは、一見わかりやすく安心できるのでしょうが、それは責任を取れない「空気」に原因を預けてしまうことです。同時に一部から全体を推し量る論理は、残りの多数に同じレッテルを貼ることでもあります。

「申し訳ございませんでした」連発の報道が嫌だと思うのは、これを見聞きする子ども達がどう思うかを考えていると思えないからです。やがて社会に出て行く子ども達に、個性を磨け、自分探しをせよ、などと言っている場合ではないのです。ニートが問題だ、などと言っている場合ではないのです。企業で責任ある立場にある人々が平謝りする姿を、大人は社会のルールの中で捉えることができるでしょう。子どもはどうでしょうか。繰り返される映像を見て、仕事というものに、将来に、希望を持てるでしょうか。働くことが格好いいことだと、楽しいことだと、価値あることだと思えるでしょうか。子ども達は大切な深い部分で、傷ついていくのです。

せめて会社の責任者には、見えない「誰か」に対してであるにせよ、きちんとカメラを見据えて、自分の言葉で誇りを失わずに謝って欲しいと思います。「申し訳ございませんでした」の紋切り型を、誰が見ているのか、よく考えて欲しいと思います。

言うは易し、なのは重々承知なので偉そうな批判はしたくないと思うのですが、思わず書いてしまいました(汗)

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