紫式部 (973年ー1031年 )
小野篁 (おののたかむら 802年ー852年 )
生年に170年もの違いがあるふたりですが、
興味深いつながりを見ることが出来ます。
注: 紫式部の生没年は不明とされることが多いが、
ここでは歴史学者 角田 文衞 (つのだ ぶんえい )
の説を採択する。
小野篁が祠を建てたことが開基と伝わる
『千本ゑんま堂 引接寺 』 ・・・
(7月24日のブログ参照 )
ここには、紫式部の供養石塔があります。
堀川北大路にある紫式部の墓 ・・・
(墓碑背後の植物はムラサキシキブ )
堀川通に面したその墓所には、
小野篁も埋葬されています。
ふたりのつながりについては、
こんな逸話が残っています。
(向かって左が紫式部の墓、右が小野篁 )
『源氏物語 』 は不道徳かつ官能的で衆人の心を惑わした、
として地獄行きを命じられた紫式部は、
閻魔大王の側近であった小野篁の助言によって
地獄行きを免れたという話です。
(7月25日のブログ参照 )
また、『光源氏 』 のモデルは小野篁である ・・・
という話も ・・・
(小野篁は恋多き男だったと伝わる )
洛西 嵯峨野 ・・・
小野篁が仕えた嵯峨天皇の
離宮として建てられた 『大覚寺 』 ・・・
遠くに見える山は洛外 ・・・
その麓 化野 (あだしの ) は葬送地でした。
大覚寺の門前に立つ、
ここを 『六道の辻 』 とする石碑 ・・・
(この世とあの世の境界 )
小野篁は、
冥土通いにこの井戸も使っていたと伝えられます。
(7月26日のブログ参照 )
都の端から端へ ・・・
まさに東奔西走の小野篁の活躍を想像すると、
平安京という時代がロマンに感じられます。
近年、
わかりやすく書かれた小野篁本が出版されています。
(漫画も )
小野篁が、安倍清明に次ぐヒーローとなる時が
やってくるかも知れません。
jfk-world
私もこちらへはお参りさせて頂きました。
このお二人の繋がりに思いを馳せました。
そうですか、行かれましたか。
おもしろいですよね。