今日から、NHK大河ドラマ『花燃ゆ』が始まりました。
舞台は幕末。
明治維新で活躍した志士を育てた吉田松陰の妹・文を中心に、
兄・松蔭とその家族である杉家、
そして松蔭の志を継いでいった若者たちの人間模様を織り交ぜながら、
日本を近代国家へと変貌させた激動の時代を描いています。
第一話のクライマックスでは、
学ぶとは何か、学問の本質とは何かについて、
吉田寅次郎(後の松蔭)と小田村伊之助(後の楫取素彦)が熱弁をふるいます。
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「たとえ、よこしまな本を読んだとしても
己の頭で考えれば何が佳く何が悪いか人は分かるはずです!
己の頭で考える事ができる者はかぶれも染まりもしません。
ただ覚えるだけではなく考える事!
それにその本はよこしまな本などではありません。
なぜ皆が禁じられた本を読もうとするんか。
知りたいからです。学びたいからです。
変えたいからです。」
「皆に問いたい。人はなぜ学ぶのか?
私はこう考えます。
学ぶのは、知識を得るためでも職を得るためでも出世のためでもない。
人にものを教えるためでも人から尊敬されるためでもない。
己のためじゃ。
己を磨くために人は学ぶんじゃ。」
「人はなぜ学ぶのか。
お役に就くためでも与えられた役割を果たすためでもない。
仮初めの安泰に満足し、身の程をわきまえ、
この無知で世間知らずで何の役にも立たぬ己のまま生きるなどごめんです!
なぜ学ぶのか?
この世の中のために己がすべき事を知るために学ぶのです!」
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あなたはどうやって生きるのか?を問いながら、
明るい未来へ向けて、明日もよりよく生きていこう!と、
日本人一人ひとりへ向けたエールのようにも感じられるドラマです。
日曜の夜、動乱の時代に生きた彼らを見つめながら、
私も「どう生きるか?」を改めて考えたいと思います。