空港を出たのは、8時のこと。
まだ、外は薄暗かった。
ぼくは、重たいトローリーとビジネスバッグとスポーツバッグを持ち、空港を出た。
雪の積もった道は、思っていたよりも歩きづらかった。
大きな通りに出た。
その時になって、チャンドラーさんが言っていた、いけないよ? の意味がわかると同時に、バラエティ番組で聞きかじった知識が蘇ってきた。
フィンランドの歩道には、転倒防止のための砂利が敷き詰められているのだ。
右手には、大きな駐車場が見えた。
レンタカーショップだろうか。
道は、多分これで合っているはずだ。
そう思いながら、後ろを振り返り、辺りを見回し、標識を探す。
見つけた標識にはLentasenaの文字。
どうやら、それがフィンランド語で言う所の、空港、に当たるらしい。
右手の脇道、駐車場の方から、男性がやってきた。
レイフさんに負けず劣らずの巨漢だ。
ぼくは、少し迷って、彼に声をかけた。
「ーーあの、すみません」
男性は、こちらを振り返ると、気さくに、輝くような笑顔を浮かべた。「やあ、どうしたんだい?」
「あー、えっと、ヘルシンキ・サウス・ハーバーに行きたいんですけど、道はこれで合ってますか?」ぼくは彼に地図を見せた。
彼は、ぼくの地図を見ると、頷いた。「ああ、ここで合ってるよ」千葉県の某人気テーマパークの支配者のように高い声で、ハハッ! とでも笑い出しそうな男性に、ぼくはおもわず笑いそうになってしまった。
「ありがとうございます」
「ちょっと待ちなよ、歩いていくきかい?」
「ええ」
「正気じゃないな。20キロも離れてるぜ。それが賢くない選択だってことはとっくにわかってるようだから、この地図はいらないよな」と、ぼくの手から地図を取り、それをたたんでこちらの胸にポンポンと押し付けてくる男性。「あっちの駅から行くといい」と、駐車場の中央にある、小さな建物を指差す。
「駅?」
「地下鉄から行けば、あっという間にセントラル・レイルウェイ・ステーションだ」
「セントラル……」中央駅か。
「そう、セントラル・レイルウェイ・ステーションだ」
「ありがとう、助かりました」
「どういたしまして。どこから来たんだい?」
「日本です」
「大好きだぜ。日本は。ようこそフィンランドへ」
「ありがとうございます」
「楽しめよ」
ぼくたちは、微笑みあって別れた。
その小さな駅を見ていると、大好きな映画のワンシーンが浮かぶ。
ATM。
あの映画の舞台も、これくらい大きな駐車場と、これくらいの小さな建物だった。
それの何に魅力を感じるのかはわからないが、ぼくは、昔から、何というか、場違いなものが好きだった。
砂漠のオアシス、山道のコンビニ、高速道路のサービスエリア、真っ暗闇の中の光、晴天の下の日陰……。
場違いという言い方は正しくないかもしれない。
一息つける休憩所のような場所、そんな感じだ。
そんな休憩所でのひと時が、ぼくは大好きだった。
ずっとこの時間が続けばいいと思うけれども、休憩時間とは、仕事があってこそ輝きを持つものだ。
遠い昔の思い出。
今となっては、それが現実にあったことなのか、夢の中の出来事なのかもわからない。
まだ、シチューを上手に発音できずにティチューと言っていた時のこと、ぼくは、クラスメイトたちと、引率の先生と一緒に、山道を歩いていた。
しばらく歩くと、下り坂に差し掛かった。
下り坂は、半径が10メートルはありそうな大きな穴の内周にへばりついていた。
10メートルほど下にまで降りると、辺り一面タンポポの綿毛の舞う、天国にたどり着いた。
綿毛は、光を放ちながら、上空に上り、そして、青く晴れ渡った空に消えた。
その前後の記憶は、全くなかった。
個人的には、実際にあったことだとは思う。
駅舎とでもいうべき北欧デザインのシンプルな建物にたどり着いたぼくは、大きなエレベーターに乗り込み、下に降りた。
ぼくは、海が嫌いだった。
なぜなら、大きな鯨やサメやシャチがたくさんいるからだ。
大きなザトウクジラと添い寝をしている夢を見た時は、嫌な汗に起こされた。
シロナガスクジラだったかな。
それともジンベエザメだったかもしれない。
いずれにしろ、エレベーターのガラス壁の向こうに広がる景色は、巨像恐怖症の患者を殺しても不思議ではない程の広大なものだった。
地下に広がる大きな空間。
地下までの距離は、30mはあるように思えた。
ある夜、ぼくは、富士の樹海を歩いていた。
真っ暗な景色。
足元には、人骨のようなものが転がっていた。
でも、ぼくの気分は晴れやかだった。
ぼくは、自殺をするためにここにきたからだ。
ぼくは、分厚い茂みに身を押し込んだ。
分厚いように思えた茂みは、紙のように薄かった。
茂みの向こうには、不思議な空間が広がっていた。
整えられた足元。
歩いてみた感覚で、芝生の下には、柔らかい土が敷き詰められているようだということがわかった。
ある程度の規則性を感じられる程度の感覚で生える木々と、直径30センチ程度の小さな風車たち。
茂みを背に、しばらく歩いた。
猫や鶏や鴨やガチョウとすれ違った。
連中は、ぼくに向かって視線を向けてきたが、これといった興味を惹かれたりはしなかったようで、ぼくに背を向け、どこかへ歩いて行った。
しばらくすると、天国にたどり着いた。
レモン色の日差しの差し込む畔りと大きな湖、その中央へと伸びる桟橋。
そして、桟橋の行き着く先には、ガラス製のコテージ。
誰かがいるのだ。
ぼくは、少しだけ悩んで、桟橋を渡った。
ギシギシと音を立てる木製の桟橋。
たくさんの魚が、透き通った湖の中をゆったりと泳いでいた。
湖の中に、たくさんのベッドルームが見えた。
誰かはわからないが、このコテージに住み着く誰かは、この空間をとことんまで使い尽くしているようだった。
ほとりには、小屋があり、その周辺に鶏と鴨とガチョウがいた。
ふと、視線を感じて、湖の下のベッドルームに目を向ければ、そこには、こちらに笑顔を向ける中東系の男性がいた。
ブリーフ派のようだった。
屈強な肉体。
大きく盛り上がった胸筋、八つに割れた腹筋。
まっすぐな目、好奇にあふれた笑顔。
ぼくは、彼に笑顔を向けた。
まだ、外は薄暗かった。
ぼくは、重たいトローリーとビジネスバッグとスポーツバッグを持ち、空港を出た。
雪の積もった道は、思っていたよりも歩きづらかった。
大きな通りに出た。
その時になって、チャンドラーさんが言っていた、いけないよ? の意味がわかると同時に、バラエティ番組で聞きかじった知識が蘇ってきた。
フィンランドの歩道には、転倒防止のための砂利が敷き詰められているのだ。
右手には、大きな駐車場が見えた。
レンタカーショップだろうか。
道は、多分これで合っているはずだ。
そう思いながら、後ろを振り返り、辺りを見回し、標識を探す。
見つけた標識にはLentasenaの文字。
どうやら、それがフィンランド語で言う所の、空港、に当たるらしい。
右手の脇道、駐車場の方から、男性がやってきた。
レイフさんに負けず劣らずの巨漢だ。
ぼくは、少し迷って、彼に声をかけた。
「ーーあの、すみません」
男性は、こちらを振り返ると、気さくに、輝くような笑顔を浮かべた。「やあ、どうしたんだい?」
「あー、えっと、ヘルシンキ・サウス・ハーバーに行きたいんですけど、道はこれで合ってますか?」ぼくは彼に地図を見せた。
彼は、ぼくの地図を見ると、頷いた。「ああ、ここで合ってるよ」千葉県の某人気テーマパークの支配者のように高い声で、ハハッ! とでも笑い出しそうな男性に、ぼくはおもわず笑いそうになってしまった。
「ありがとうございます」
「ちょっと待ちなよ、歩いていくきかい?」
「ええ」
「正気じゃないな。20キロも離れてるぜ。それが賢くない選択だってことはとっくにわかってるようだから、この地図はいらないよな」と、ぼくの手から地図を取り、それをたたんでこちらの胸にポンポンと押し付けてくる男性。「あっちの駅から行くといい」と、駐車場の中央にある、小さな建物を指差す。
「駅?」
「地下鉄から行けば、あっという間にセントラル・レイルウェイ・ステーションだ」
「セントラル……」中央駅か。
「そう、セントラル・レイルウェイ・ステーションだ」
「ありがとう、助かりました」
「どういたしまして。どこから来たんだい?」
「日本です」
「大好きだぜ。日本は。ようこそフィンランドへ」
「ありがとうございます」
「楽しめよ」
ぼくたちは、微笑みあって別れた。
その小さな駅を見ていると、大好きな映画のワンシーンが浮かぶ。
ATM。
あの映画の舞台も、これくらい大きな駐車場と、これくらいの小さな建物だった。
それの何に魅力を感じるのかはわからないが、ぼくは、昔から、何というか、場違いなものが好きだった。
砂漠のオアシス、山道のコンビニ、高速道路のサービスエリア、真っ暗闇の中の光、晴天の下の日陰……。
場違いという言い方は正しくないかもしれない。
一息つける休憩所のような場所、そんな感じだ。
そんな休憩所でのひと時が、ぼくは大好きだった。
ずっとこの時間が続けばいいと思うけれども、休憩時間とは、仕事があってこそ輝きを持つものだ。
遠い昔の思い出。
今となっては、それが現実にあったことなのか、夢の中の出来事なのかもわからない。
まだ、シチューを上手に発音できずにティチューと言っていた時のこと、ぼくは、クラスメイトたちと、引率の先生と一緒に、山道を歩いていた。
しばらく歩くと、下り坂に差し掛かった。
下り坂は、半径が10メートルはありそうな大きな穴の内周にへばりついていた。
10メートルほど下にまで降りると、辺り一面タンポポの綿毛の舞う、天国にたどり着いた。
綿毛は、光を放ちながら、上空に上り、そして、青く晴れ渡った空に消えた。
その前後の記憶は、全くなかった。
個人的には、実際にあったことだとは思う。
駅舎とでもいうべき北欧デザインのシンプルな建物にたどり着いたぼくは、大きなエレベーターに乗り込み、下に降りた。
ぼくは、海が嫌いだった。
なぜなら、大きな鯨やサメやシャチがたくさんいるからだ。
大きなザトウクジラと添い寝をしている夢を見た時は、嫌な汗に起こされた。
シロナガスクジラだったかな。
それともジンベエザメだったかもしれない。
いずれにしろ、エレベーターのガラス壁の向こうに広がる景色は、巨像恐怖症の患者を殺しても不思議ではない程の広大なものだった。
地下に広がる大きな空間。
地下までの距離は、30mはあるように思えた。
ある夜、ぼくは、富士の樹海を歩いていた。
真っ暗な景色。
足元には、人骨のようなものが転がっていた。
でも、ぼくの気分は晴れやかだった。
ぼくは、自殺をするためにここにきたからだ。
ぼくは、分厚い茂みに身を押し込んだ。
分厚いように思えた茂みは、紙のように薄かった。
茂みの向こうには、不思議な空間が広がっていた。
整えられた足元。
歩いてみた感覚で、芝生の下には、柔らかい土が敷き詰められているようだということがわかった。
ある程度の規則性を感じられる程度の感覚で生える木々と、直径30センチ程度の小さな風車たち。
茂みを背に、しばらく歩いた。
猫や鶏や鴨やガチョウとすれ違った。
連中は、ぼくに向かって視線を向けてきたが、これといった興味を惹かれたりはしなかったようで、ぼくに背を向け、どこかへ歩いて行った。
しばらくすると、天国にたどり着いた。
レモン色の日差しの差し込む畔りと大きな湖、その中央へと伸びる桟橋。
そして、桟橋の行き着く先には、ガラス製のコテージ。
誰かがいるのだ。
ぼくは、少しだけ悩んで、桟橋を渡った。
ギシギシと音を立てる木製の桟橋。
たくさんの魚が、透き通った湖の中をゆったりと泳いでいた。
湖の中に、たくさんのベッドルームが見えた。
誰かはわからないが、このコテージに住み着く誰かは、この空間をとことんまで使い尽くしているようだった。
ほとりには、小屋があり、その周辺に鶏と鴨とガチョウがいた。
ふと、視線を感じて、湖の下のベッドルームに目を向ければ、そこには、こちらに笑顔を向ける中東系の男性がいた。
ブリーフ派のようだった。
屈強な肉体。
大きく盛り上がった胸筋、八つに割れた腹筋。
まっすぐな目、好奇にあふれた笑顔。
ぼくは、彼に笑顔を向けた。