イタリアの泉

今は日本にいますが、在イタリア10年の経験を生かして、イタリア美術を中心に更新中。

異文化を理解するには

2012年10月05日 18時59分00秒 | イタリア・大学

昨日、ネットをつないでいるモデムをWifiに替えることになり、大家さんの知り合いの電気屋さんと9時にアポを取った。
9時とは言いながら相手はイタリア人なので、絶対遅れるだろうと思っていたら、なんと15分前にやって来た。
なぜかというと・・・仕事が済んだら海に行く、んだそうです。
通りでねぇ・・・あくまでも自己中心。

用事はすぐ済んだ。
大体、この人も言っていたけど、何でモデム替えたんだろう???
確かにモデムの使用料、月5ユーロ取られているのでそれを節約できる。
しかし、本当の理由は、私が住んでいる下の階で仕事をしている大家がネットを使いたいから。
最近スマートフォンに買い換えたこともあるのでしょう。
でも全然使えなくてねぇ・・・
昨日も「写真をパソコンに落とせないのでやってくれないか」と
本当においおいだよ。

さて、その後、最近授業料を払っているのに、ほとんど授業に出ていないので、今期は日本人の教授がイタリア語で講義する日本文学の講座を教授の許可をもらって受講している。
ここでは何度も言っていますが、私もともと日本文学畑の出身。
と言っても今となっては本当に勉強していたのか・・・

今教授が話すことも、「えっ、初めて聞く」なんてお恥ずかしいこともチラホラ。
私本当に大学で勉強していたのだろうか・・・いや、していませんね。
大学時代は遊ぶためにバイトに明け暮れておりました。

いやいや、それでも教授の話すのを聞いていて、そうそう、そういえばそうだった、と思うことも多いので、よかった~ちゃんと勉強していたよ、と一人ほっと胸をなでおろす。

この講義、文学の歴史をサラッと教えるわけでなく、作品に深く入り込んでいくんだけど、教授の話、イタリア人がどれくらい理解できているのか、すごく不思議。
今日は樋口一葉の"たけくらべ"だったのだが・・・
ちょっと脱線しますが、樋口一葉と言えば5,000円札。
しかし、未だになぜこの人が選ばれたのか分からないんですけど?

なんて話はおいておいて
イタリア語だから言葉は多分私より理解できている。(外国人訛が聞き取れなくて困っている感はある。すごく早口なんだよねぇ)
ただ、明治の日本、古い伝統や暮らしを理解できないと、作品を理解するのは相当な想像力が必要なのではないだろうか?
事実、授業が終わって教室を出ると、授業に出ていたイタリア人同士が
「子供って言ってもいったいいくつ?」「えっ、小学生とか言ってたけど」「小学生?遊郭に出るの?」と
だよねぇ・・・理解できないよねぇ

私もイタリアでイタリア文学を勉強した。
でも私の中にはベースが有る程度あるので、それほど理解に苦しむことはなかったけど、国も違う、時代も違う日本文学をどれくらい理解できるんだろうか???

私にとってこの授業は、イタリア語でどのように教えているのか、ということに興味が有ると同時に、外国人に日本文学を教える場合、どんな切り口で教えたらいいのかということを理解する点でも非常に興味深い。
異文化教育って本当に難しいなぁ。



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