イタリアの泉

今は日本にいますが、在イタリア10年の経験を生かして、イタリア美術を中心に更新中。

Buondelmonte dei Buondelmonti(ブォンデルモンテ・ディ・ブォンデルモンティ)

2020年05月25日 17時31分16秒 | フィレンツェのこと

え~昨日、「次回はDella Pallaについて」と言ったのに、またまた寄り道。
1521年のGiulio de'Medici(ジュリオ・デ・メディチ)暗殺計画に失敗して、生き残ったZanobi Buondelmonti(ザノービ・ブォンデルモンティ)という人物。
この人、Della Pallaとも非常に関係深い人なので、あながち脱線でもないのだが…まぁ、言い訳はそれくらいにして。

まず気になったのはこの人の家。
Buondelmontiとはフィレンツェではかなり有力なお家だったはず。
有名なのは1216年に起きたAmidei(アミディ)家との口論から始まり、フィレンツェを二分することになった争い。
この両家はダンテの「神曲」にも登場するくらいの由緒ある家柄で、Buondelmonti家はGuelfi党の元祖、Amidei家はGhibellini党の元祖。
Guelfi(グエルフィ。「ゲルフ」とも書いてあるが、イタリア語に忠実なのはグエルフィなので)は教会・教皇を奉ずるグループでどちらかというと商業資本的、対するGhibellini(ギベッリーニ。「ギベリン」ともあるが、イタリアに忠実な方を採用)は封建的で皇帝フリードリヒ2世をリーダーと考えていた。

事の発端は、1216年1月Mazzingo Tegrini de'Mazzinghiがカヴァリエーレ(騎士)の勲章を受章した大規模なパーティーの席で起こった。
そこにはフィレンツェの主だった貴族たちが集まっていた。
宴会でのこと、悪ふざけをした芸人が突然Buondelmonte dei BuondelmontiとUberto degli Infangatiの前に置かれた皿を取り上げた。(この二人は仲間)
Buondelmonteはこの冗談を受け流すことが出来ず、気分を害していたところ、Odarrigo de'Fifantiという喧嘩をけしかけるのが好きな男が、皿を取り上げたのはUbertoだと咎めた。
「嘘をつくな!」と怒ったBuondelmonteは、肉のいっぱい入った皿をOdarrigoの顔をめがけて投げつけた。
こうして宴会は中断、Buonadelmonteはナイフを取り、Odarrigoの腕を傷つけた。

当時の習慣として、家同士の争いを治めるためには、両家の婚姻がお互いを尊重するために良いとされていたため、BuondelmonteとAmidei家に嫁いだOddrrigo(通称Oddo)の姉妹の娘、すなわちOddoの姪と結婚することになった。
公証人も交えて、万が一挙式が行われなかった際の、多額の違約金なども織り込まれた正式な契約が交わされ、両家の問題は解決されたと思われたが…

後日Buodelmonteの元にGualdrada Donatiという女性が現れた。
彼女はForese Donati il Vecchioの妻で、Buodelmonteに、Fifanti家やその仲間の報復を恐れて、結婚を承諾したことは愚かだと非難した。またOddoの姪は大した容姿でもないので、美しいと評判の自分の娘と結婚するように求める。挙句の果てには、結婚破棄の多額の違約金は自分が払うので、自分の娘と結婚してくれと迫った。

1216年2月10日、BuondelmonteとOddoの姪の結婚式の日。
新婦は寒いSanto Stefano教会で新郎が現れるのを待っていた。
しかしいくら待っても新郎は現れなかった。それどころか恥知らずの新郎は新婦が待つ教会のそばのPor Santa Maria通りを通ってDonati家へ向かった。

この恥知らずな行動に、Amidei家は怒り心頭の大混乱。
Amidei家と同盟を組んでいた家々は即Santa Maria sopra Porta教会に集まりBuondelmoteへの罰を話し合った。
ある人は棒でたたこう、またある人は顔に辱めを受けた傷を負わせるなどの罰を提案したが、Mosca dei Lambertiは立ち上がり、”Cosa fatta capo ha!(覆水盆に返らず)”というフレーズを叫び、このようなことが繰り返されることがないように、死罪を提案した。
この提案は受け入れられ、この計画はまさにBuondelmonteとDonati家の娘Beatriceの結婚式当日に決行することが決まった。

Pasqua(復活祭)の朝、この日に結婚式が行われることになっていた。
盛装したBuondelmonteはPonte Vecchio(ヴェッキオ橋)を渡りフィレンツェに入り、Palazzo Vecchio(ヴェッキオ宮)に向かっていた。

Buondelmonteの結婚式の絵、1800年代F.S. Altamura作
Por Santa Maria通りを通っていたところ、丁度、古いマルス像(Cacciaguidaはこの像を”愚かな石”と言っている)が有るTorre degli Amidei(アミデイ家の塔)の真下に差し掛かったところ、突然Schiatta degli Ubertiに襲われ落馬した。

そして地面に転げ落ちたBuondelmonte目掛けてナイフを振り下ろしたのはOddo Arrighiだった。
この事件をきっかけにグエルフィ党とギベッリーニ党が真っ向から対決、フィレンツェは2つに割れた。
両派の対立は明確なイデオロギーの対立というより、婚姻関係などによる家門ごと派閥によるものと考えられる。
ダンテはAmideiの復讐劇がフィレンツェが破壊される最初の要因だったと考えて、Mosca dei Lambertiのエピソード (時獄篇. XXVIII, vv. 103-111) やCacciaguida (煉獄編. XVI, vv. 140-141)のエピソードを「神曲」に引用している。

余談だが、忠誠の城は一発で教皇派だったか、皇帝派だったのか見分けることが出来る。
それはmerloという日本語では「狭間胸壁の凸部」…ってなんだ?
胸壁(きょうへき 英語: Battlement,フランス語: Créneau)は、城壁や城の最上部に設けられ、城壁最上部の通路や当該場所で活動する兵士を防御するための背の低い壁面のこと。一般的にはこの壁面を凹凸状にして凹部を狭間(Embrasure)として利用すると共に、凸部(Merlon)には狭間窓(射眼、銃眼)が設けられることもあった。この形式の胸壁のことを狭間胸壁(はざまきょうへき)と表記する場合もある。13世紀以降のヨーロッパにおいては、軍事的機能に加えて装飾的機能を併せ持った胸壁のデザインが採用されることもあった。
Wikipediaより)

イタリアの場合

Merlatura guelfa, Castello Mackenzie, Genova
この四角いのがグエルフィ、教皇党

Merlatura ghibellina, Castello di Saint-Pierre, Valle d'Aosta
魚の尻尾みたいな(”a coda di rondine”イタリア語は燕の尻尾)△2つは皇帝党の印。

その後フィレンツェは1250年に上層市民の商工業者が皇帝派の貴族支配を排除してから、代表的な教皇党の都市となっていたが、14世紀には教皇党の市民の間でも保守的な黒派(ネリ)と革新的な白派(ビアンキ)とに分裂して争っている。更には1375年から78年は教皇領をめぐって教皇と対立している。

「ロミオとジュリエット」ではないけど、こういう話は歴史上良くある。
読み始めたら面白くなって、今日も完全に脱線してしまった…
Zanobi Buondelmontiの話すら書けなかった。
いつになったらDella Pallaの話になるのやら。

写真:Wikipedia
参考:フィレンツェ、池上俊一、岩波新書



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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
展覧会 (カンサン)
2020-05-28 19:37:08
fontanaさんへ、首都圏も緊急事態宣言が解除になりましたね。大阪は21日に解除になり、再開するところも出てきました。
大阪市立美術館も26日から見られるようになりました。きょう(5月28日 有休)、フランス絵画の精華という展覧会を見てきました。久しぶりに展覧会に行ってきました。平日なので人出も少なく、ゆっくり見られました。
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良かったですね。 (fontana)
2020-05-29 12:39:23
カンサンさん
久しぶりに展覧会に行かれたようで良かったですね。
会場関係者は本当に大変でしょうが、芸術に触れ、心が癒される時間がどれだけ大切か…関係者には感謝感謝です。
東京はまだなかなか期待していた大規模な展覧会の再開の予定が立たないようですが、様々な対策を用いて少しずつ博物館、美術館も再開するようです。
この先、海外から作品を借りるような大規模な展覧会の開催することが難しくなるのは残念ですが、いつかまた今までのような日が戻ることを祈っています。
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イタリアの都市国家 (山科)
2020-05-31 06:44:08
こういう話題について、
多少勉強したのは、URL
の本  ウェーリー:イタリアの都市国家
でした。偶然手にしたものですが、今でも古典として改訂されて使われている本みたいです。当方としてはラッキーでした。

ところで、反メジチが何度もフィレンチェで起こったのはメジチがどっちかというと成り上がりものだった、からじゃないかなあ、と思います。十字軍以来というような「いわゆる名家」じゃないからね。
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同感です。 (fontana)
2020-06-01 13:00:37
山科様
いつも有益な情報をありがとうございます。
明日からようやく図書館が開く(予約貸し出しだけですが)ので、早速読んでみたいと思います。

メディチに関しては同感です。それにしても反対派は懲りないなぁ、と思う反面追い出されても追い出されても戻って来るというのはやはり力が有った証拠でしょうか。
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