イタリアの泉

今は日本にいますが、在イタリア10年の経験を生かして、イタリア美術を中心に更新中。

間違えました、Terrazzaでした

2007年09月08日 22時42分04秒 | Weblog
太陽の下は暑いですが、日陰に入ると寒いくらいです。
今日は前々から言っていたように
Duomoのクーポラに無料で上れる、と思って
朝7時前に起きて、8時前には入り口に行ってみたら
ん?誰もいません。近づいてよく見たら10時からでした・・・
まぁこんなことは良くあることなので
朝の散歩と思い
一度家に戻ってきて
9時15分くらいに出直したら
今度は既にすごい行列ができていました
まぁみんな知ってて集まっているので仕方がない

10時になっても扉は開かず
我慢し切れなかった人たちがドアをたたいていたとか・・・
10分くらいして、ようやく扉が開いたのですが
なんだか様子がいつもと違う?
そうです私は完全に勘違いをしていました
上れるのはCupolaではなく
その下のTerrazze(テラス)でした。
でもここって9月8日一日しか入れないんですよ~
うれしい間違えでした。

今日はDuomoの一番初めの石を置いた日から
これを定礎というのでしょうか?
テレビでは「dal primo giorno che ha messo una pietra del Duomo ecc.」
と言っていたので・・・
711年ということは・・・1296年ですね
当初Alnorfo di Cambioによってはじめられた工事は
Cupolaをいかにかけるかという難題を抱えていました。
Santa Maria Novella のChiostro verdeには当時のCupolaの案が描かれています。
そのCupolaを実際に作った(作ったのは職人たちですが・・・)
Brunelleschi、工事が終わったのは1436年のことです。

BrunelleschiといえばDuomoの前のBattisteroの
Porta di Paradisoを作った(本物はDuomo美術館)
Ghibertiと1401年この門を作る人を決めるためのコンクールで
最終的に残り、結局Ghibertiが勝った・・・という話が有名です。
まぁでもBrunelleschiが負けたといえ
彼の技術が劣っていたわけではなく
この時代Brunelleschiの方が時代の先端を行っていたため
審査員に受け入れられなかった
というのが実際のところのようです。

そしてこのコンクールが事実上、ルネッサンスの幕開けとなりました。
その後敗れたBrunelleschiは友人のDonatelloと共に
Romaに行き、Romaの遺産からさまざまなことを学び
再びFirenzeにもどり
この天才的なCupolaの建設に取り掛かるわけです。

このCupola建設に当たっても
当初Ghibertiとの共作が予定されていましたが
Brnelleschiが追い出したんだか
最終的にはBrunelleschi一人の手に任されました。
Brunelleschiは職人たちに地上に降りることを許さず
寝食を全てCupolaを作るために立てられた橋脚の上でさせられた
というのは有名な話です。
職人にBrunelleschi自らカブを切って
レンガの切り方を指導したりしたそうです。

まぁこのCupolaがなかったら
このfirenzeも今ほど世界的に有名にはなっていなかったのでは?
と思うとBrunelleschiさま、さまですね

秋晴れの空の下
貴重な経験ができました



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