いまどきの離婚を考える

「フーテンの寅」の団子屋の茶の間で、登場人物たちと卓袱台囲むつもりで夫婦のあり方を考えてみよう。

久しぶりの更新

2013-05-18 14:50:16 | Weblog
あまり気乗りもしないので
更新を控えていたが、
世の中騒がしいので
また更新してみるか。

情報が氾濫して真実が見えない

2012-11-12 22:44:15 | Weblog
離婚の話し合いで、それぞれが主張することがまったくかみ合わないことがある。

これをいうと不利になるとか、うそを言っても証拠がないから大丈夫だとか、

結構ネットで仕入れた情報をもとに主張を続ける人がいる。

一方がとろかったりするといいように引き回されてしまう。

間に立って話を聞いていると、それが見えるから不快な気分にさせられる。

それでも出た結論はそのまま二人の関係を決定づけることになる。

国民総背番号制で資産隠しもできないようなら、財産分与や遺産分割ももっと

容易な処理になるのだろうが、現実は難しいことだ。

久しぶりの更新

2012-07-07 11:14:59 | Weblog
迷いがあって更新をさぼってきたが、これから再開しようと思います

ピンからキリの調停委員

2009-07-26 20:44:01 | Weblog
以前相談に来た初老の男性が最近私に漏らした。調停(委員)も人によるんですね、と。

調停が当事者に満足な解決をもたらすかどうか、(もちろん100%満足はありえないが)調停委員の対応次第ということのようだ。

彼は以前●●家裁に父の遺産分割調停を申し立てたが、調停委員は彼の寄与分や特別受益の主張に耳を貸さず、早く終わらせることしか考えていない様子なので取り下げたという。

その後相手方の兄弟たちが東京家裁で(父の最後の住所地であるため)申し立てた。そしたら調停委員の対応が全く違うことに気がついた。自分の主張を正面からうけとめてくれたというのだ。もちろん見当違いの主張にはわかりやすく説明して指摘してくれるので、全く反発する気にならない。結局自分が何に何故にこだわっているのか話す中で気づいたので、もうあまり調停を長引かせるつもりもなくなり兄弟たちから提案があったので受け入れたのだと。

彼は調停委員と話していると心がとても優しくなるようだともいう。どんな話し方をしているのか外部の人間には知る由もないが、彼はすっかり東京家裁のファンになってしまったようだ。そんな当事者を気分よくさせる調停委員ばかりではないだろう、彼はたまたまいい人に当たっただけなのかもしれないのだ。

ただ現実には「何さまか」と思うような人物もいれば、仏様のような慈愛あふれる方もおいでになるのだろう。だとすれば当たり外れが激しくて、外れた当事者はかわいそうなことだ。

お年を召した方がなさっていることが多いが、人間は年とると他人の忠告などには耳を貸さなくなるし、まして自分の行いを反省して改めるなどということには頓着しなくなる。オレ流で貫く人が多くなり、それが当事者に通じないと逆に問題ある当事者にされてしまうのだろう。

最近裁判所の文献などを見ていると国民の権利意識が高まってそれがために問題ある当事者が増えているという記載がよくみられる。それは全くの言い訳に過ぎないと思う。裏読みすれば、それが時代の時代の流れだとしても、裁判所の側でそれに対応できる調停員が少なくなっているということを吐露しているにすぎないのだ。どんな問題ある部下がいても上司によっては、それを表面化させないようにうまく使い切る人もいれば、トラブルメーカーとしての資質を全面的に発揮させてお荷物扱いする人もいるだろう。それは上司の人事管理能力の問題というか人間力の問題だろういうことになる。

調停委員になるような人は、きっと問題ある当事者であっても少なくとも自分の前では当事者の問題性が発揮されない状況を作り上げる才能にたけた人でなくてはならないと思う。暴れ馬を手なずけるように、あるいは暴れずに済むようにうまく対応すれば何にも問題は起こらないのだから。

そこで考えてみた。調停委員=演技者ではないかと。おそらく「とらや」の茶の間に出てくる面々は皆調停員の資質を備えていると思うが、中でも傑出しているのは前田吟と倍賞千恵子だろう。ひろしとさくらの役割というか演技は調停員としての最強の手法を演じていると思う。上記の男性の担当の調停員はおそらくひろしとさくらを演じていたのではないだろうか。

「男はつらいよ」の茶の間の場面を見るとおそらく当事者たちはこんな風に自分の話を聞いてもらえたらよかったと思うことだろう。ひろしやさくらの役回りを演じきれる人こそ裁判所が調停委員として求める人材だろう。

もちろん寅さんも最高にいい時もあるし、印刷工場の社長もいい、三崎千恵子や下條正巳の役柄もいい。皆それぞれにいいものを持つが帯に短しというところはある。全体としてそれぞれの役柄を足し上げるといい調停現場にはなる。

映画やドラマでほかに調停にふさわしい場面があるか、あるいは俳優がいるかというとあまり思いつかない。吉永小百合もいいかもしれない。だがやはり前田吟や倍賞千恵子に伍する人は思い当たらない。これは山田洋次映画の特質によるものかもしれないが。

裁判所は調停員の採用に当たって別に適性検査をしているわけでも資格審査をしているというわけでもないという。でもここで私は考えた。もしかすると裁判所は前田吟や倍賞千恵子の役割を演じることができるかどうか、候補者の社会経験を検分しながらその辺の知的能力の有無を基準に採用しているのではないだろうか。実際採用してみたら演技が下手くそで大根役者どころか役割を演じることもしない人が調停員をやるということになっていることもあるのではないだろうか。2時間に及ぶ調停時間を演じ切るのは映画より大変なことだから、すぐ地が出てしまうのかもしれない。

裁判所は公平ということが最も重要なことだと考えている。だから公平「らしさ」という言葉をよく見かける。実際にはもちろんそうだが外見からもそう見えなくてはいけないということなんだろう。調停員にも当事者に対して公平らしく振舞う調停委員らしさが必要とされるのだろう。時代が変わっているとしたらそれにキャッチアップしなければいけないのだ。がんばれ調停員諸君!

私がそんなに異常な人間に見えますか?

2008-12-06 19:18:07 | Weblog
妻から離婚を申し立てられて、プライドを傷つけられた夫は胸を張って問う。自分のどこが問題なんだ。これまで妻のために子供のためにこれだけ尽くしてきた自分のどこがいけないのか。これまで愛し合ってきたではないか。

女性から拒否されたことがないと見える好男子の場合には反応は極端である。自分のプライドが許さない。自分から捨てることはあっても相手方から見放されるなんてことは自分の美学に反すると思うのだろう。残念ながらもてた事もない自分にはその感覚は共有できない。こういう人の離婚は話し合いで合意することはまず難しい。離婚しても良いが慰謝料をいくら支払えという。あるいは財産分与では多めによこせという。また住宅ローンがあれば全部払えという。それぞれ条件に応じてもどんどんとハードルを上げていく。

男はどうして妻が自分とやっていけないと感じているのか別居に踏み切ったのか理解できない。何が不満なのかとぼやいても原因まで遡って考えようとしない。

こうなる夫婦の共通点がある。男も女も収入が比較的高く女性は自立的である。そういう女性が選ぶ男はそれなりに外見はイケメン。男は女性に好かれるタイプだし、女性には優しく接することが出来る人間だと自認している。そして自分はけちな男と違って女性のためにお金をかけることは厭わない。そして自分たちはいつもうまく行っていると思っている。でも男は女性が本当に自分との生活に満足しているのか考えない、当然そうだと思い込んでいる。何も不足させていないはずだ、と。

あるとき、妻が仕事のことで夫に相談を持ちかける。夫は妻の仕事に関心は持っていない。好きにすれば良いと思っているから、ついついいい加減な受け答えをしてしまう。すると女性は怒りだす。私が真剣に悩んでいるのに貴方は私を受け止めてくれないのね。そんないい加減な人だったのね。其処がボタンの掛け違いで夫婦喧嘩はますますエスカレートして双方の両親を巻き込んで大騒ぎになる。昨日までお互いラブラブだった二人がいがみ合う。

夫はどうしてこんなことになったのか信じられない。妻とのやり取りで殴ろうとして威嚇したり暴言や言ってはならないことも言ってしまった。でもたかが一回の夫婦喧嘩じゃないか、こんなことで離婚になって良いわけないだろ、どこのうちでもこんなことってあることなんじゃないの、今回のことで離婚になるなんて自分は絶対に納得しない。

さてさてどうしたものか。こんな夫婦の離婚ケースが一番難しい。男には反省がない,あっても口先だけ。夫の愛情は猫かわいがり?ペットへのそれと同じものだったと妻は気づいてしまった。支配被支配の関係と悟ったのかもしれない。

夫は仕事に油が乗って自信満々で、そうでなければ資産家のアラフォ世代だ。自分が説得すれば絶対うまくいく、会社の部下だってそうだ、自分の思い通りだ。自分の説得どおりに人が動かないはずがない。ちゃんと彼女を説得してやり直してみせる。だって僕はそんじょそこらの男と違うでしょうが。暴力ふるって離婚されるような夫に見えますかと訴える。

離婚する人が別に異常な人なのではない。離婚するときの感情には多少異常なものがあることもあろうが。どんなに立派そうな紳士に見えても家庭的には支配的に振舞う暴君であるかもしれない。むしろ外見からは分からないことの方が多い。

自分はこんな人間だといったところで、それは正しいかはわからない。やはり実際に行動をともにしたりして観察してみないことには分からないことだ。人間は思い込みが多い。


遺留分減殺請求の真意

2008-12-06 18:11:09 | Weblog
相談者の話を聴いていると気が滅入ってくることがある。

亡母が最後まで同居して面倒見た独身の自分のために全財産を残すと遺言を書いてくれたが、他の兄弟姉妹から遺留分減殺請求が申し立てられたという。自分には身寄りがないから、自分が死ねば全財産は兄弟姉妹のものになるのだから、何故そんなにうるさいこと言われなくちゃなんのでしょうと嘆く。もう生きている楽しみがない、早く死んでしまいたい。あの世でお母さんと仲良く暮らしたい。

現金が5百万円と4~5千万円くらいの自宅と店舗。申し立てたのは5人兄弟姉妹のうち姉2人。10分の1ずつの権利を2人は持っている。姉たちからすれば資産を妹が独り占めするのは納得いかないということなのだろう。それに子供も夫もいないのだからいずれ我々兄弟のものになるのだろうけど、別に約束されているわけではない。だからちゃんとここは10分の1をきっちりと確保しておきたい。

現金の全部を先ず要求しようと申立人の姉たちは考える。二人で9~11百万円は取れるはずだから5百万円で足りない分は不動産の持分を取ることにしよう。20分の1程度を店舗自宅に共有持分としてつければいい。そうすれば妹が自分らの同意無しに勝手に売却処分できないから自分らも妹の死後に自分の子供らに資産として残せる。

そして更に考える。共有持分にするのは自宅の土地だけにしよう。何故なら老朽化している自宅の建物に持分を取得したら妹に修繕費用の分担を請求されるかもしれない。妹が勝手に処分できないようにするのが目的なのだからそれで十分だ。それに店舗の方は妹が商売続けたいだろうからいらない。逆にやるといわれても処分に困るからいらない。表向きは両親の家だから自分らが育った家だから相続人として持分が欲しいのだと主張しよう。それに共有持分を全部の財産に持つと後で紛争の種を残すことになるのでわずらわしい。

姉たちが本当にそう考えているのか、私には分からない。でも事の成り行きを見ているとそうとしか思えない。私が妹の立場ならこう考える。①案として現金を渡さないで生活のために使う。遺留分を膨らますために高めに評価している節がある店舗を全部姉たちに渡す。それで足りない分について自宅土地建物に持分を与える。②案としては現金も店舗も渡す。足りない分は手持ち現金で補う。自宅持分を与えることでも良いが。また店舗を売却して現金化して評価を確定する方法もある。事業を継続する意思がないならそれで良い。③案として姉たちの言うとおりもしくは極力少なくなる形で自宅持分を与える。が、遺言を作成する。自分の財産はすべて自分の好きな人に遺贈すると書くことだ。

③案のメリットは妹の財産を狙っている姉たちの鼻を明かすことだ。彼ら姉妹には遺留分はないし勿論彼らの子供たちもだ。姉らの持分を除けば彼女の気に入った人に所有権が移る。そのひとが処分したいときには共有物分割請求すれば良い。だから姉たちの持分を出来るだけ増やさないという主張に意味はある。それに姉たちが両親の家だから共有持分が欲しいなんて言い分が通用したら自宅の遺産分割なんか出来ないなんてことにもなりかねない。

たいした額でもないのに財産があるために兄弟間で紛争になってしまう。親は決してそうなることなど望んでいなかったことだろう。不幸なことだ。

もう一つの不幸は資産価格がこの間に高騰したことだ。相続開始後にはそれほど資産価値はなかったのだけど、この2~3年に土地バブルで高騰してしまった。手持ち現金で遺留分の大半を賄えたかもしれないのに、実際の分割が遅れたために支払うべき遺留分の額が増えてしまった。(最高裁判例では評価基準時は現実に弁償がされる時点もしくは口頭弁論終結時となっている。)

百年に一度の金融危機のおかげで、世の中大いに混乱しているが、遺産分割や離婚の財産分与でも大きな影響を受けている。分けるべきものがどんどん減っていくわけだから難しい問題がある。それに加えて債務の方はぜんぜん減らずにますます負担が重くなるばかりである。

新手の詐欺手口その2

2008-12-06 16:28:26 | Weblog
本当に書きたかったのはここから。先日は電話で応対した家内に投資関係の書類を送りつけてきた業者があった。一口100万円とかで何かに投資しませんかと。11月4日まで有効ですからお急ぎ下さいというのだ。そしてフォローの電話もあった。それには私が応対して断ったが、振り込め詐欺・和牛商法初め新聞紙上をあれだけ詐欺犯罪がにぎわしているのに、次から次へと現れる。そして騙される人は後を絶たない。依然は「三菱」のブランドを利用した投資話もあった。

そして昨日電話がかかってきて、いつもの光回線の勧誘かと思ったらちょっと違った。NTTの代理店を名乗るその若い男は、インターネットを使っている回線をアナログから光回線に移行させてもらうことになっているので、了解を頂いて電柱まで来ている回線を家に引き込むための工事の日程を取り決めたいという。工事は無料であるという。そしてこれからは電話代やインターネットの接続料の請求が一枚にまとめてくるから便利になるという。

ここまで聞くとNTTがインターネットを快適に接続するためにデジタルかなんかに徐々に移行しているのかな、通信速度が速くなって便利になるのかなと思ってしまう。でも請求が一本化されると耳にして不思議に思った。私はYAHOO!BBのADSLを使っている。それが会社が違うのに一本でくるというのはどういうわけだと尋ねたら、そちらは解約になりますという。

てことは、これはNTTの光回線の勧誘であって,ADSLからNTTのひかりに変更させようとするのにあたかもそうすることが既定の事実であるかのように利用者を錯覚させて、契約変更にこぎつけようという詐欺まがいのやり口だということになる。

これでは振り込め詐欺同様に、お年よりはすぐ騙されてしまうのではなかろうか。NTTの代理店を騙り、勿論代理店なのかもしれないが、その信用をバックに商品を売り込む手口。以前にもあったぞ。その受話器は使用不能になりますので新しい受話器に買い換えてください。といって高価な受話器のセールスをしていた詐欺商法があったと記憶している。電話の相手の名前や会社名・連絡先を聞いていなかったので、監督官庁や警察に連絡も出来ないが,NTTには連絡しておいた。余り効果はないだろうが。しょっちゅうこの手の電話がかかってくるので、今度はちゃんと記録しておこう。騙された後ではお話にならんが。

そういえば、20年ほど前浄水器の勧誘で購入したことがある。これも突然水道局の関係者かなんかと称してやってきた。私は米国から帰国したばかりでよく考えもせずその場で水がいかににきれいになるかみせつけられて、NYの水はナマでは飲まなかったと思いながら購入を承諾したことがある。今から思えば買うんじゃなかった。買わされた物は別にまがい物ではない、東レだか三菱だかのもの間違いはないが、いかにも効果が高いとの口車に乗せられたことが悔しい。役所を騙って消火器の買い替えのセールスというのも聞く。これも騙されそう。

それにもう一つ。借家住まいの私は転居間もないころ10年ほど前のことだ。農協の職員が我が家にやってきた。シロアリの検査をしませんかと。提携業者が無料でやりますからというので任せたところ、座敷の畳を上げて床下に入り込んでしばらくしたらすごい蟻にやられていると騒ぐ、家がだめになる倒壊する危険もある、駆除しましょうという。でも蟻を見せられたわけではない、床下にあった腐ったような木っ端を見せられただけだ。困ったなと思い、費用を聞いてみたらざっと30万円になりますという。農協がやってんだからまさかボッタクリなどとは思わない。入ったばかりの家で倒れちゃたまらんので契約せんとイカンかと思いつつも、その場ではお引取り願ったが。結局自分の家でもないし、倒れたらそのときはそのときと割り切って契約しなかった。あれから10年別条はない。古い家なので地震ではおおきく揺れるけど。

更にもう一つ。これも転居間もないころの床下の通風孔の柵の押し売り。子供の健康に悪いから?通風孔に虫などが入らないようにきちんと細かい網目のふたをしましょうと売り込み粘る。近所で今日工事に来ているから(どこの家とは言わない)近所の声をかけさせてもらっているといって1個3戦円で全部で3万円で着けられるとしつこい。

そういえば次から次へと出てくるな。詐欺ではないが風呂のボイラーが壊れたときのこと、東京ガスは修繕出来ませんからと買い替えを勧めてきた。30万円だと。そんなモンかなと思ったが、念のためにメーカーの修繕業者に聞いてみた。そしたら修繕可能だという。部品取替えだけで3万円で済んだ。殿様商売なのか。ガス暖房機でもあった。半年前に調子が悪いので点検をしてもらって部品も付け替えてよくなったと思ったら、ある日突然動かなくなった。修繕頼んだら石油ストーブ一台分の請求が来た。点検したときにわかんなかったのかよ。点検費用だって馬鹿にならん金額だったと記憶している。

詐欺師は迷惑なことをする。これで家庭不和の原因になったら責任取ってくれるのか、取るわけもないが。相談者の話を聴いていると、こんなこともある。夫が家を出て行くといった翌日に振り込め詐欺に遭って4百万円振り込まされた主婦。嘘だろうといいたいが、主婦と話していると考えがまとまらないのか話が続かない。ほんとにだまされちゃうんだ。でも偶然過ぎるというかタイミングが悪すぎるというのか、どうしてそんなお金があったかというと夫の退職金の一部だそうだ。ついでにその後息子も騙されて振り込め詐欺に遭って2百万円盗られたというが、これは嘘だろう。息子はそんなお金をもっていない。息子が騙されたところで持ってもいないお金を振り込むわけにも行かない。

ということで別居後数年たって夫から預かっていた退職金が底を尽きかけてきたので離婚申し立てて別の女性と同棲する夫から慰謝料をたくさん取り立てたいという。定年後の夫の年金も妻が全部使っている。支払能力があれば良いが夫には年金と退職金があるだけだった。今は友人に頼まれて仕事を手伝っている。たいした収入にはならない。別居のままにして今のまま夫の年金を全額自分のために費消したほうが離婚するよりも経済的には良いと思える。別居して婚姻費用分担請求したら年金額にも届かない婚姻費用が決定されるかもしれないからだ。

あるいは何も取らずに離婚してしまうことも考えられる。本人も考えている通り、高齢の上に強度の鬱なので就労は困難と認定されれば生活保護に救いを求めるという方法もあろう。アパートの家賃が高いと思っていても本人はそれを解消するために転居するという選択があってもその方向へ体が動かない。夫は手を差し伸べることはしないし、既に成人した4人の子供たちも助けにならない。相談室に重苦しく空気がよどむ。

久しぶりに取りとめもなく書き込んでしまった。

新手の詐欺手口

2008-12-06 15:02:17 | Weblog
しばらく更新をサボっていた。気まぐれな性格なのであしからず。書き込むテーマには事欠かないが、プライバシー侵害にならぬよう配慮も必要であるし、ただ極端な事例を出したところで読者の参考にはならないので内容は厳選したいところだ。

といっておきながら、今回は関係なさそうなテーマだと言われかねない。確かにそうだ。でも相談者から聴いた話だがこんなことがあった。妻が訪問販売で大きな掃除機を買ったのだという。40万円のローンで購入したものは業務用なのだろう。

でも彼女は後悔していない。ヘビースモ-カーの夫の吐き出す煙害から子供を守るために空気清浄機も買ったし、これもじゅうたんが汚れるからきれいにしたいので買ったのだと反論する。それほど高収入でもない家族なのだけど、どうしてそのような高価な買い物をしてしまうのか、普通の経済感覚からは不思議に思えるのではないかと思う。

夫婦はほぼ2か月分の生活費に相当する40万円の支出について相談する関係ではなくなっている。もともとそうだったのかもしれないが少なくとも今現在でも。妻は妻で夫が自分の趣味のために勝手にPCなど高額な買い物を相談なく買っているのではないかと日ごろから不満に思っている。

個別に話を聴いたが、夫婦間の会話が成立しないことが良く分かる。妻のほうは口下手で自己表現が不得手、方や夫は「ああいえばこういう」タイプ、相手がどう思っているのか斟酌も忖度することもない。口論したら妻はただ押し黙るだけだろう。ある日子供二人を連れて実家に戻ったまま帰らない。夫は住民票も無断で移された、一人住まいになると公営住宅の家賃が跳ね上がってしまうかもしれないと妻に対して怒りをあらわにするとともに不安におののいている。

お金の使い方一つとっても夫に口うるさく指示されて嫌気がさしたとも言う。掃除機の件も衝動買いだが、詐欺師に其処を付け込まれ引っかかっただけのこと。詐欺だとも露疑わず騙される人はこの世の中数知れずいるに違いないのだが。

この夫婦のことで言えば、もう後戻りは出来ない、修復は出来そうにない。二人とも大人になりきれずまだ幼すぎるのかもしれない。夫は手帳のなかに結婚前と思うが妻と海岸で一緒に撮影した写真をはさんで持っていた。幸福だと思った瞬間は長続きせず、二人と子供の関係をどう清算するか、重苦しい日々がこれから先にある。


クレームしたくなったらー調停委員は何様か

2008-09-28 18:53:52 | Weblog
民事調停委員及び家事調停委員規則
第一条 民事調停委員及び家事調停委員は、弁護士となる資格を有する者、民事若しくは家事の紛争の解決に有用な専門的知識経験を有する者又は社会生活の上で豊富な知識経験を有する者で、人格識見の高い年齢四十年以上七十年未満のものの中から、最高裁判所が任命する。ただし、特に必要がある場合においては、年齢四十年以上七十年未満の者であることを要しない。

調停委員は上記の規則の通り弁護士や専門家を除いて一般的には「社会生活の上で豊富な知識経験を有する者で、人格識見の高い」人物が任用されているという。実際にやっている人を見ると男性は定年で現役を退いた年金生活者で金と暇もあって社会奉仕したいというボランティア精神旺盛な人が大半のようだ。女性も同様だが主婦の人もいるので年齢幅は男性より広い。

離婚調停などの相談で調停委員の話題になり話を聴くと、必ずしも調整能力や適性を審査して任用しているわけでもなさそうだという思いがしてくる。とてもすばらしい人が担当してくれたという声もあれば、トンでもない人に当たってえらいひどい目にあったと同情を禁じえない人もいた。要はピンキリなのだ。能力本位で選ぶとなかなか難しい問題に裁判所も直面するのだろう。処遇をあげないと能力ある人材は採れないだろうし、兼務してもらえればいいが本業との調整が大変だ。結局能力適性は二の次で暇な人が重宝される。

というわけで、調停当事者の中には裁判所の対応、特に担当の調停委員に不信感を抱くことがあったりする。自分の一生の問題が左右されてしまうかもしれないのにそれでは困ると誰しも思うだろう。いざとなれば不成立ということで終わらせてもらうか、申立人なら取下げ手続きを取れば良い。それで一応その場では裁判所との関係は一旦終了となる。

でも問題解決のために調停を続けなくてはならないという場合はどうしよう。裁判所にクレームするか。「ひどい調停委員だ」と書記官や裁判官に訴える。問題はその訴え方だと思う。もし当事者がヒステリックにあるいはエキセントリックに喚き散らすように訴えるとしたら、それは逆効果だろう。それは「ひどい調停委員」を裁判所側が全面的に擁護する口実を与えることになりかねない。

「ひどい調停委員」はその当事者を「とんでもない人でね、どんなに説明しても分かっていただけないんですよ。ほとほと困り果てましたよ。」などと書記官や裁判官に向かってしおらしく言い訳するだろう。すると書記官や裁判官たちはころりと騙されて「そうか。そんな当事者ならしょうがないな。話し合いにならないのも当然だな」と結論し、調停委員の問題言動を不問に付すことにもなる。

カッカきたときほど、心を鎮めて冷静に対応しなくてはならない。問題の調停委員が何をしたのかどんなことを言ったのか、それがどのように不公平だったり中立でないというのか、人格や名誉を傷つけることなのか、具体的につかんでおく必要がある。録音は禁じられているから、ちゃんとメモにして残して置いたら良い。

その際に二人の調停委員の両方の表情を観察しておこう。話をしてない調停委員が首を傾げたり「まずいな」という顔を見せたら、それは裁判所でも問題という認識を持つということだろうからしっかりとメモしたら良いだろう。今なんとおっしゃいましたか?それはどういう意味なんでしょうか?どうしてそんなことをおっしゃるんですか?とやんわり切り返すのも調停委員に気づかせるためには効果があったりする。

その上で、書記官や裁判官に冷静な表情でクレームしたら良いだろう。担当の調停委員は相手方の味方をしている、私の人格を傷つけた、自分の価値観を押し付けてくるとか、どう考えても容認できないと誰しもが考える理由で訴えることが大事だ。単純に嫌いというだけでは認められないだろう。勿論横柄なあるいは高飛車な言葉使いに虫唾が走ることもあるかもしれないが、それは程度にもよるだろう。

それで担当者の態度が変われば良いが、逆に全然改まらない場合もあるだろう。大体60歳を過ぎた御年寄りが息子や娘のように若い書記官にクレームがあると注意されたくらいで軌道修正するようなら、そもそもそんな問題は起こすはずがないのだ、あまり期待してはいけない。だからこそのっぴきならない事実を突きつけることが重要だ。その上で改まらなければ、最終的には調停の取下げを検討すべきだろう。そしてしばらく置いて再申立をする。この場合もっとひどい調停委員に当たるリスクもあるにはあるが、そんなひどい人たちばかりでもなかろう。

問題の調停委員が裁判所の札付きかというと必ずしもそうとは限らないようだ。それは調停委員が2年ごとの再任審査でくびになっている様子が無いことからも窺える。裁判官だって10年ごとに再任審査され辞めさせられる人もいるのにね。パワーハラスメントなどでもあるとおり加害者は被害者以外の人とはきわめて良好な関係を築いている場合が多い、そうすることで自らの保身とともにハラスメントの最適環境を作っているともいえる。問題調停委員は意外に裁判所内ではうまく立ち回っていたりするので、撲滅なんて絵空事。当事者の受難は続く。であるから当事者は自分の調停を受ける権利を守るために最大の努力を惜しんではならない。

DV被害者の嘆きー調停委員は何様か

2008-09-28 16:42:47 | Weblog
DV離婚の申立をしたら、裁判所で「一度殴られたくらい、そんなことたいしたことなんじゃないの。どこのうちにもあるよ」とか、「あんたも殴られるような原因を作ったんじゃないか。至らない所あったんじゃないの」、そもそもありもしないDVを離婚の口実にしているのではないかというような口ぶりで考え直すように諭されたとかいう話を耳にする。いわゆる二次被害とかジェンダーバイアスとかいうようだ。

確かにいろんな申立人がいて裁判所もケースバイケースで対応しているのだろうが、先入観や偏見を持って対応してくる調停委員には当事者は困り果ててしまう。相手方に検察官のように強烈な対応をする一方で被害者の方には殴られる方が悪いのとでもいいたいのかと思わせるくらいに、あきれた物言いをする人もいるようだ。

DV夫が子供の養育費を払うんだから面接交渉に応じるように求めてくることがある。それは交換条件でもなんでもないのであるが、妻のほうからすれば面接交渉でこれからもずっと夫との関わりが子供との関係で続くことが耐え切れないと思い、そんなことなら養育費を諦めるなどと言い出す場合もあるし、それが夫側の狙いであったり、あるいは縒りを戻すために面接交渉を手段として使おうとする場合もある。

いろんな場合が考えられるが、面接交渉に消極的な妻=子供の母親に対して調停委員が「子供の父親なんだから」と面接交渉に応じるように強く諭す場合がある。殺人事件に至った面接交渉の例もあるが、調停委員や裁判官・調査官らが状況を具に把握することも無く軽々しく裁判所側から面接交渉を勧めることは厳に慎むべきことだろう。裁判所としてはそれくらいのことはきちんと調停委員が的確な判断しているものと期待しているのだろうが、現実にはその期待が裏切られていることも少なからずありそうだ。

申立人は調停委員をみて、DVについてどの程度の理解をもっているのか、良く観察する必要があるだろう。さもなくば裁判所の中で調停委員から二次被害を蒙ることにもなりかねないのだ。

もしかすると男女の調停委員の関係がモラルハラスメントやパワーハラスメントの加害者被害者のそれであったりする事も無いではない。一方の調停委員が話しているときもう一方の調停委員がどういう表情をしているか良く観察してみよう。

どちらかの調停委員が主導権を握っている場合に一方の調停委員が別の意見を持っているのに遠慮して切り出せないのか、押さえつけられているのか、それとも何の意見も持たずに同調しているのか、同じ考え方なのか、いろいろ考えられるがその表情を見れば読み取れることだろう。中には一方がひどすぎると思い余って割って入って当事者にとりなしてくれる良心的で正しい意味で正義感溢れる調停委員もときにはいるようだ。

DV夫のぼやきー調停委員は何様か

2008-09-28 15:53:20 | Weblog
妻から離婚を申し立てられ、裁判所の調停に赴いた夫は調停委員からDVだ、犯罪行為だと非難され、慰謝料払って離婚に応じるように言われたとぼやいている。

確かに暴力を振るったことは認めるし、妻が自分とやっていけないと思って申し立てたことはわかった。でも裁判所の雰囲気は異様だった。自分が腫れ物でも扱われているように感じられる一方でここは警察署か検察庁かと錯覚するような調停委員の態度にとても腹が立った。犯罪容疑者が逮捕されて取調室で尋問を受けているようなそんな気分になったという。

中には家から逃げ出して別居している妻から離婚を申し立てられて、裁判所の調停期日に出頭してきている妻を探し出して暴行する夫もいるというから、裁判所としても神経を使って警戒態勢もとることだろう。

でも、調停の場というのは離婚の話し合いをするのであれば、調停委員は公平中立の立場で双方当事者に対峙しなければいけないのではないか?自分の場合一方的にあんたが悪いんだからと申し立てた妻の代理人というより、それ以上にあんたがやったことは犯罪なんだからと検察官に成り代わって責め立てられる様な思いをさせられた。

とここまで書いて、こんなことが実際にあったのかといわれると、他人から聴いた話というだけで私は現場を見ていないので分からないとしか答えられない。ただありそうだとはいえる。というのも調停委員は真面目で正義感の強い人が多くて、その信念をもとに調停を進める人が中にはいるらしいからだ。DV被害防止法の番人にでもなったように勘違いしておられる人もいるかもしれない

調停委員の価値観で調停が進められるとしたらそれはどんなモンだろう。不貞行為を働いて離婚や慰謝料を要求されている一方当事者に対して、不貞行為自体をを争っているときにあんたが悪いから認めなさい、お金を払いなさいといって決め付けられたら、又認めたとして相手方の代理人のように話が進められたとしたら、いわれる方は決して良い気持ちはしないだろう。

そもそもDV夫はDVを認めないし、反省する振りはしても実際に反省はしない懲りない人が多いようだ。そのような人たちと調停をする実益があるのかという疑問は残る。調停前置主義だから調停をまず先にということではあるが、話し合いにならないと裁判所が判断したら早々に不成立にして裁判離婚に持って行かせたほうが、訴訟経済上も全体のコストから考えても、また何よりも被害者の安全という観点から見ても効果的なのではなかろうか?まして調停現場で誤った対応がされているとすればなおのこと別の意味で問題は大きい。

偽装離婚と生活保護

2008-09-28 15:07:22 | Weblog
今世の中、大いに荒れている。これまで勝ち組だと肩で風切って歩いてた人が負け組に一挙に転落するとしたら、内心それをほくそえむ人は多いことだろう。でもいまワシントンでは金融システム維持のためになりふり構わぬ政策を協議している。

あれれ!?助かっちゃうんだと皆思う、住宅ローン払えない人はそのままで、高給食んでいた人は金融機関が救われることで自動的に転落を免れる。ゴールドマンザックスの社員の平均年収が8千万円近いということだから、しかもストックオプションを行使して得た株の売却益を申告しないで億円単位の脱税をする人もいる。

確かに救わないと、波及効果が多すぎて貧しい人がもっと貧しくなってしまう危険が高いことも事実だから、私もとばっちりは受けたくは無い。これで景気はこれまでと逆向きになってしまいそうだ。常識が非常識になる。財布の紐が固くなることは間違いない。外食産業は業績悪化、それも郊外型から悪くなり、デパートが一層衰退し、スーパーが繁盛する。海外旅行は需要減退、ディズニーの株価が上昇する。人間万事塞翁が馬で何が幸か不幸か分からなくなる。人は波間に漂う浮き草のように人生を翻ろうされるばかりだ。

さて、家族の問題。人の収入なんてピンからキリまでだが、夫婦の悩みはどんなひとにも降りかかる。ただ貧しさゆえの家庭崩壊だけはいつも心が痛む。離婚してもしなくても状況は何も変わらないどころか寧ろ悪くなることの方が多そうだ。でも離婚を選択する。已むに已まれぬ気持ちということだろう。

愛情がなくなったら離婚しなければならないと真剣に考える潔癖な人もいる。でも世の中の愛情がなくなっても安定した生活のために同じ屋根の下に暮らし続けている人は結構多いのではないか?そして誰もそれを非難することは出来ない。

いざとなったら生活保護に頼れば良いと助言したくなる人たちのなかにも、それだけは絶対にやりたくないと頑なになる人もいる。プライドなのか?私からすれば働けず収入も得られない場合にはその選択肢も考えておいた方が心の救いにはなるのではと思うが、それだけは出来ないと感じる人もいるようだ。一方で生活保護を受けるために離婚して(内縁関係にして)申請する人もいる。偽装離婚だとこれも誰も非難できないのだ。離婚するしない、内縁関係にしても夫婦の意思だ。結婚だって内縁だって当事者の意思だ。実際には経済的に困窮してないのに離婚偽装して生活保護を受給するとしたら問題ではある。モラルハザードということだ。

確かに病気で働けない夫が、不十分ながらも収入のある妻を離婚して生活保護を受給したところ、夫は内縁関係を続けるつもりなのに、妻の方は既に愛想が尽きていて、渡りに船でそのまま行方をくらましたので、夫は慌ててしまい協議離婚無効を申し立てるといきまいた例もある。これはなかなかの二律背反、偽装離婚を主張したら妻の抗弁で生活保護の不正受給が発覚する、なんとも悩ましい。協議離婚無効を申し立てたかどうか顛末は聞いていない。

尤も財政難から役所のガードも固くて生活保護の申請を受け付けないなんて話も聴く。おかげで餓死したなんて話になると世も末と思う。


慰謝料の相場

2008-09-22 23:07:28 | Weblog
芸能人やタレントの離婚で支払った金額を耳にして、夫が浮気したら離婚慰謝料をがっぽり取ってやろうと思っている人は多いだろう。

それで普通の夫婦が離婚する場合、一方に婚姻関係の破綻の責任があるとしたら一体どれだけの慰謝料金額での合意あるいは判決が出るのだろう。

ある弁護士がぼやいていた。家庭裁判所での調停で弁護士でもない調停委員から依頼人の前で、裁判に行ってもこんな多額の慰謝料なんか取れるわけ無いでしょう、もっと減額譲歩しなさいといわれたと。自分としては確かに多めに要求はしてるかもしれないが、話の内容も聴かないで多すぎる、はないだろう。依頼人の前でそんなこと言われちゃ面子丸つぶれだよ。裁判所ももっと気を遣って欲しい。

一方で弁護士いわく、確かに裁判やってどんなに頑張っても4~5百万円が良いとこなんだよ。裁判所も認識変えたほうが良いんじゃないのかな。命の値段は結構評価は高くなってきてはいるけれど、心の傷の評価は低すぎるのではないか。

裁判で高い額が取れないなら調停で頑張るか?調停では当事者が合意した額で決まる。払う方だって裁判に行けば費用も時間も掛かる。何よりも決着が延びてしまう。お互い調停手続きで合意した方が経済合理性にかなう可能性が高そうだ。

支払う側の代理人=どうしても離婚したいなら裁判で血みどろの争いをするよりは調停で、裁判費用を上乗せするつもりで払ったほうが後々しこりも残んなくて良いんじゃないの。そちらにも不貞はいろいろ事情はあったのでしょうが、ここは悪いところはきちんと認めて誠意を見せて置いたら良いんじゃありませんか?

要求側の代理人=たくさん取りたい気持ちは分かるが彼の資金力からすればこれくらいが限度なんじゃないですか?裁判でも難しいかも、それに裁判で勝ったところで弁護士への報酬引いたら調停の場合と同じくらいしか残りませんよ。お金も出せない相手とは早く離婚を決着して新しい人生をやり直したほうが時間を無駄にしなくて良いんじゃないですか?ここは譲って財産分与や養育費を増やさせることで実質を取る方がいいんじゃありませんか?

それぞれの側の代理人の弁護士がこのように柔軟に依頼人を説得してくれれば良いが、大概の場合依頼人の利益を最大限追求しようとするので依頼人や弁護士によってはなかなか折り合いをつけることは難しい場合もあろう。

ラブホテルに行ったけど行為には及んでいない、そもそも能力が無いとか、そっちが先に不貞やったからだとか、既に婚姻関係は破綻していたとか、言い訳は山ほど出てくる。一方はこれくらい取らないと気がすまないといって20百万円から下りてこなかったり、不貞相手にも請求すると言ってみたり(これは可能です)、結婚して1年でも結構な額を要求したり(期間の問題ではないという考え方も出来るか)

双方の代理人が知恵を絞って主張を通そうとするから、なかなか合意が出来ないかもしれない。代理人のなかには、依頼人の手前、譲歩を説得するよりはなりふり構わず押し捲る姿勢の方が解任されるリスクが低いと思って説得を放棄する人もいるかもしれない。

要は、気が済むだけの慰謝料を取るのは難しいということだ。慰謝料払った事実そのものを評価するという形で自分を納得させることも必要かもしれない。


再婚後の養育費

2008-09-22 00:43:19 | Weblog
元妻が子連れで再婚した。元夫からの養育費はもうもらえないのだろうか。

今の夫は優しい人で子供をいずれは養子にしたいと思っているようだ。彼女はそんな夫の気持ちがうれしい。でも子供のことで経済的負担をかけるのは申し訳ない。引き続き元夫から父親として負担の継続を求めたい。

今の夫は子供とは扶養関係に無いので、実態はともかくとして子供への養育義務は生じない。これまでどおり元夫の養育費支払い義務は残る。

これが今の夫と子供が養子縁組したらどうだろう。元夫は養育費の支払い義務を免れるのではないか?確かに養父が子供の扶養順位は高い。元夫は第2順位になる。つまり第2順位の扶養義務は残るともいえる。

もし養父が経済的に十分な扶養が出来ないとしたら、子供は第2順位の実父に扶養を請求できるということだ。しかも実父の相続人であることに変わりは無い。

これを知らずに、再婚したら養育費が支払われなくなると誤解して、面接交渉の際に子供が元夫に母親が交際している人のことをしゃべってしまうのではないかとやたら気にする女性もいるようだ。そんな口止めされるのでは子供も父親に会いたい気持ちが凋んでしまいかねない。

逆に、父親が再婚して子供が出来たらどうか。この場合、再婚相手が扶養家族でなければ計算上考慮せず、扶養家族なら子供と同じ負担割合で生活費を計算する。これで計算するとケースにもよるが、これまで月4万円もらっていたとしたら、今度は3万円を切る水準まで減額できるかもしれない。勿論父親に余力があってこれまでどおり頑張って払うよという人もいるかもしれない。

別れる夫を叩き潰したい

2008-09-22 00:03:42 | Weblog
一人で気ままに生きたいという夫のために離婚に同意した妻は腹いせに夫の会社に怒鳴り込んで夫のやったことをすべてぶちまけて夫が会社にいられないようにしてやりたいという。

離婚に当たって彼女は子供を預かるとともに住居も確保し、分割払いではあるが財産分与を受取り、養育費も必要十分な額を約束してもらった。離婚の給付条件としては恵まれた部類といえる。

ただただ自分を捨て去ろうとしてる夫を許せない。私のこの10年は何だったのだろう。あんな男のために自分の人生の大事な10年が汚されてしまった。

彼女も愚かではないから、よくわかっている。思ったとおりのことをしたらどうなるか。財産分与の分割払いが完了し、子供が成人するまでの養育費が支払いが終わるまでは彼とは運命共同体なのだ。しかも住居も所有権こそ夫名義のままだが子供が成人するまで家賃なしで住むことを約束させた。

それが彼がリストラにあって住宅ローンの支払いが出来なくなったらどうする。
彼女は彼がこれからも社内で出世を続けることを祈らざるを得ないのだ。子供が成人するまでは。

どんなに憎んでも、自分の経済生活と子供のためには「金の生る木」であり続けてもらわなくては。