味の素は実際調理の手間を省く商品を多く出しているので、「あなたの苦労は分かってるですよ、お母さん」的なメッセージなのかも。しかし日本の企業は「おうちで待っててご飯作ったり洗濯したりしてくれるお母さん」 / “何かと話題の“味の素C…” htn.to/NrZcuV
このCM、お母さんは働いているけど夫は亡霊のようで、ご飯の支度一切をお母さんがやってる。これを見て働くお母さんたちがぞっとするのはよくわかる。これって、お父さんが悪いんじゃなくて、企業が父親を家庭から奪っているんだよね。
このCMから感じたメッセージは、「お母さんはご飯を作らないといけないですよね。でも、仕事をしているあなたには原始時代や昭和のお母さんのように手をかけることは難しいですよね。そこで、味の素の商品を使えば、負担を少なくできますよ?」
フォロワー数の多い人に揚げ足取りと嘲笑を繰り返して、標的からブロックされたりアカウント凍結されたら別アカウントを作り、同じことを何年間も繰り返している人がいる。第三者からの理解も支持も得られずに。
こうやって人生を費やす人もいるのですね。人生いろいろです。
聴覚過敏は確かにそれがすぐさま命に直結するような障害ではないかも知れない。でもそれは、期間限定なんかじゃない。毎日毎日、聞きたくないような音まで耳の中に爆音で飛び込んでくる。その精神的肉体的負担は、想像絶するストレスとなって襲ってくる。でも殆どは、我慢するしかないんだよ。
息子と向かいあって食事をする時、できるだけお茶碗やコップは静かに置く。コップを置く「コン」という小さな音が息子の耳には、太鼓をドーン!と叩いたようなボリュームで届いてしまう。逆にぼくは、一定の音域が聞こえにくいのと偏りからくるこだわりで常に気に入る音楽が聞こえてないと辛くなる→
そんなぼくらが向かいあって食事をするには困難がありすぎるので、ぼくらはほとんど、別の場所で食事する。ぼくはキッチンのテーブルでイヤホンで好きな音楽を聞きながら、息子はテレビの前のテーブルでイヤーマフをしながらテレビを見ながら→
食事はみんなでテーブルを囲み、テレビ見ながらなんかもっての他の、ほら、あのサザエさんの食事シーンみたいなのが良い家庭、とするならば、ぼくらは、とんでもないスタイルで食事しているわけだけど、これはお互いが生き延びるための手段であり、音の洪水の中で生き抜くサバイバルスキルである
なし子さんが自らの体の一部である性器を、承諾を得た人にデータを配布したことが犯罪だとするなら、やはりこの国には、女が自分の体を自分のものとして扱う自由がないということなのか。女の体や性から主体的を感じさせず都合よく安心して欲情できるものがこの国では正しく清いものなのか。
日本の電車では、男のために脱いだ水着の少女は悪びれもなく掲載され、女が主体的に脱いだものは、例え性的でなくても公共の場にふさわしくないとされる。女が自分の肉体や性を主体的に自分のものとして扱う自由がないのかという怒りがこみあげた。
j-cast.com/s/2006/08/2400…
きちんとした「peer review (査読)」 がなされていない学会発表には個人の妄言と区別つかないレベルの「破綻した論理」が紛れ込んでるから、専門的知識がなく「論文の真偽を自分で判定できない人」は、「学会発表された」って言葉に振り回されないほうがいいよ(誰にともなく)
大人になると適切に叱ってくれる他者が本当に減ります。
社会は学校ではないので、特にダメな人ほど周囲から無視されます。
だからダメな人ほど他人より自分にもっと関心を持ち自己批判できないと、自分の正しさを独り盲信し、改善機会を逸し続ける気がします。
おかげさまで「手話のできるスタッフがいます」ステッカー、早くもいろんなお店・会社の方からご注文やお問い合わせをいただいています。買い物中にこんなの貼ってあるお店見つけたら、用事なくてもつい入っちゃいそうですよね…♪ #デフとも pic.twitter.com/2WF0aw5Zm1
「手話のできるスタッフがいますステッカー」は、ご協力いただけるお店・会社・施設などに、無料でお配りしています。お問い合わせは「デフとも」まで。「ツイッターを見ました」とお伝えください! deaftomo.net #デフとも
デフとものステッカー・バッジの件、私宛にリプライ頂いてもいいのですが、見落としてしまう可能性がありますので、直接メールでお申し込みいただくほうが確実だと思います。ちなみに「ステッカー貼りました!」の報告などいただけると、泣いて喜びます…! #デフとも
芸術ってさ、何でもないモノに人が意味やコンセプトを吹き込む事で芸術という表現物に昇華する行為だと思うのね。ガイコツはただの骨でしかないけど、それを「死」を表現するモチーフとして絵に描いたりすることで芸術作品になる。3Dデータだけではただの素材で、受け取った人によって解釈も変わる。