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極東魔術昼寝結社の夏

これはセブンイレブン悪くないよね、なんでもFC本部を悪に仕立てたいのか

セブンーイレブン・ジャパンのドミナント(一定地域への集中出店)戦略で、31年も経営してきた黒字店の経営権を奪われ、潰されたと訴える老夫婦の証言が、

全国のセブンーイレブン加盟店主(オーナー)の間に波紋を広げている。

証言者は、埼玉・朝霞市に「セブンーイレブン朝霞栄町店」を開業していた澤田八郎(87歳)さん、妻・清子(79歳)さんだ。




耳が遠い夫にかわって清子さんがコトの顛末を打ち明ける。




「一生懸命やってきて、娘夫婦の跡継ぎができたと大喜びしていたら、(セブンーイレブン・ジャパンは)その娘夫婦と組んで、

私たちにはぜんぜん相談しないで、近くにドミナント(新規出店)して、ウチの店を閉め、娘夫婦を広い新型店に移してしまったのですよ」




コンビニ加盟店主の労働組合であるコンビニ加盟店ユニオンが澤田夫妻にインタビューしたビデオを流したら大反響を呼んだ。

ユニオンでは、加盟店主(オーナー)の労働者性を審議している中央労働委員会で、澤田夫妻が受けた被害の実態を証言してもらうことも検討している。




澤田夫妻は、セブンーイレブンがまだ500店程度にすぎなかった1978年6月に開業した最古参オーナーだ。

米軍基地に勤めていた八郎さんが、アメリカで陶芸修行していたとき、深夜雑貨店が繁盛していた。それがセブンーイレブンだった。




帰国後、「この商売は誰もやってないから儲かる」と目をつけ、小学校教員の清子と一緒に東武東上線の朝霞駅近くに土地を見つけ、

当時、2500万円も投じて土地・店舗を自分で作り、朝霞栄町店を開業した。

自分で店を作る出店方法をAタイプというが、酒店などからの転業が中心の当時としてはめずらしい脱サラ組みだった。




清子さんは言う、「私たちはこの辺にコンビニがないとき始めたのです。最初は大変苦労して、本部のために店を作ってやったのですよ。

レジなんか(POSのない時代で)手打ちでバチバチやっていた。

商品の発注だって『あんぱん何個、メロンパン何個』って、全部、電話でやるし、品物は大きい段ボール箱に36個とかきて、手で値段を一つひとつ付けて。

売上金も毎日、クルマで銀行まで行って振り込んでいたのです、遅れたらすぐ本部が怒ってくるから。昔はものすごく大変でしたよ」




清子さんは、高知県出身で両親とも教育者(父親は校長で将来の県教育長を嘱望されていたが早世)で厳格な家庭に育ち、社交的で責任感も強い。

開業当初は、朝、小学校に車で出勤し、夕方帰宅後、店に立つという二重生活で支えた。

毎日、目の廻るような忙しさで、母親の葬儀には帰省できたが、祖父母やオジ・オバ、親戚の葬儀にはいっさい出席できなかった。




一般的なコンビにでは看板商品のタバコも酒も置いていなかったが、31年、ずっと黒字で2回契約更新した。

それでインセンティブ(年が経つにつれて本部へ払うロイヤリティの売上総利益に対する比率であるチャージ率を下げられる権利)がつき、

チャージ率は開店当初の45%から35%まで下がっていた。

だから、日販50万円台でも1000万円以上の年収があった。セブンーイレブン店オーナーとしては成功したケースだ。




澤田八郎さんが80歳近くとなり、後継者問題が持ちあがった。




実は、澤田夫妻は再婚同士だった。子どもは先妻との娘・由起子(仮名)さん一人だった。

30年かけて獲得したインセンティブが娘夫妻でないと引き継げないと説明され、由起子さん夫婦を後継者として説得した。




由起子さんは継ぐのを躊躇し、住まいもつくば市と遠方だった。

それでも30代半ばの二人を説得し、娘婿・中川進一(仮名)さんを運営会社、有限会社サンエイトの代表取締役に就け、経営を任せた。

オーナー研修費から家族の転居費、新居費すべて面倒みた。09年7月のことだ。

だが、娘夫婦は栄町店を閉め、新しいセブンーイレブン店に移ってしまう。




朝霞栄町店は、建物が古い、駐車場も狭い。チャージ率が低いから本部は儲からない。

これが澤田夫妻の栄町店を閉め、新店を開くよう勧めたセブンーイレブン本部側の動機だろう。




その辺の事情を清子さんはこう証言する。




「最初から(娘婿は)乗っとるつもりで、本部に乗せられてやったとしか思えないのですよ。

サンエイトの代表取締役でありながら(取締役会の了解や議決も経ず、本部からの入金の)個人の銀行口座をつくっていたのですよ。

中川進一・名義の口座ですよ。ウチのすぐ近くに広い土地があったのですよ。

セブンはそこでやりたくてもウチがあったのでやれなかった、すぐ近いから。




朝霞にも新座にも新しい店をいくつか作っていて、娘たちは本部から『ここはどうか、あそこはどうか』といわれ、新店を見て廻ったと言っていました。

若いから古い店より、見てくれのいい広く新しい店がいいのでしょう。

いずれも(本部が店を用意するため売り上げが伸びるとチャージ率が上がる)Cタイプで、チャージ率がAタイプに比べ高い(ので経営が大変だ)とまでは考えなかったのですよ」




娘婿の中川さんはいまは、「自分は無知だった」と反省し、澤田夫婦に謝罪している。




当時、セブンーイレブンでは、ファミリーマートのam/pm買収に端を発した伊藤忠商事が主導する店舗攻勢に対抗し、年間1000店開業に向け、ドミナント戦略をまい進していた。

この数字はそれまでの2倍という異常事態だった。

要は、今起こっているファミリーマートサークルKサンクスとの大統合(店舗数でセブンを抜く)を予想し、首位を奪われるのを一番恐れていたのだ。




セブンーイレブン本部の内情に詳しい人物がこう解説する。




「09年12月の第1週のFC会議(全国のOFCを集めた全体会議)で、鈴木敏文さんが『オマエたちも条件(加盟金など免除)は考えるから独立しろ!』と大号令かけているのですよ。




ちょっといい店のオーナーには『2号店をつくりませんか?』と、片っ端から声をかけているのですよ。なりふり構わずなんですよ。

川崎駅の東側では、08年の1年間で12店も新店ができ、8店が2号店だったのですよ。

公正取引委員会が見切り販売問題でセブンーイレブンの商法を問題視していることが知られ、新規で応募してくる人が激減していました。

みんなインターネットで調べますから、これだけ訴訟があると、腰がひけるのですよ。




本部の口車に乗って2号店やったら、日販40万円しかいかない。やるのじゃなかった、って泣いてますよ。

何しろ、『数を維持しろ、ファミマに負けるな!』ですからね。現場のリクルーター(店舗開発社員)など、

『とにかく、作っちゃえ。オーナーがいない?しょうがない、直営にしろ!』でしたからね」。




澤田夫妻の店があった朝霞でも、セブンーイレブンが次々と店を作り、娘夫婦に見せている。

こうした大量出店政策が、全国で澤田夫妻のような悲劇を生み、オーナーとの関係が決定的に崩れていくきっかけとなっていった







おかしいのは娘婿だよね?

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