新潟中越地震と外国人 by エスニクラブ

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<長岡市国際交流センターとJICA有志>被災外国人への支援活動

2004年11月21日 | 自治体・NPO・企業等の支援
10月23日夕方。ゴオォーという地鳴りとともに大きな揺れが中越地域を襲い、多大な被害をもたらしました。日頃、JICA東京ともお付き合いの深い地域です。地震発生のほんの1時間前に、山古志村の方々と一緒に行う今後の事業について、長岡市で打ち合わせをしたばかりでした。次から次へと飛び込んでくる目を覆いたくなるニュースの映像に、「どうしてこんなことになるのだろう」とやるせない気持ちでいっぱいになりました。

 何が私たちにできるのか、何が求められているのか・・・手探りの状況でしたが、「いつもお世話になっている方々に何か協力したい」という想いで、JICA関係者有志がJICA国際協力サポーターの羽賀さんのもとに集まりました。長岡市国際交流センター長でもあられる羽賀さんは、ご自身も被災されているにもかかわらず、地震後すぐに被災外国人支援活動を始めていらっしゃいました。そんな羽賀さんのもと、語学ができ異文化体験も豊富なJICA関係者の特性を生かして、長岡市の被災外国人支援活動をサポートできないかと、JICAリレーボランティアを有志で始めました。1人1人の滞在日数が短くとも、何人かがローテーションを組んで、その中できちんと引継ぎをし、一定期間、一定人数のボランティアを切れ目なく責任を持って確実に派遣して協力することにしたのです。

 長岡市には約2,100人の外国籍住民の方が暮らしています。地震直後、日本語がうまく通じない外国人の方の中には、避難勧告の発令や避難所の存在すら知らない人も多かったといいます。地震がない国から来た人にとっては生まれて初めての経験。言葉の壁や文化の違いに加え、情報不足とライフラインの寸断といった状況下での不安と恐怖は相当のものであったと思います。
 そうした外国人被災者に対して、長岡市の国際文化課が中心となって、生活情報や交通情報を中国語、ポルトガル語などに訳し、避難所に毎日張り出したり、昼と晩に避難所を回って直接手渡したりしました。ピークで約380人の外国人が避難所での生活を送っていました。状況が刻々と変わる中、被災外国人の方々の状況を把握するには、避難所を回って直接お話するのが1番でした。多くの方々が、いつまでも続く余震への不安を訴えていました。そんな中、母国語で情報提供をするだけでなく、不安や悩みを聞いたり、時にはおしゃべりがはずんで家族の話や母国の話題で盛り上がったり、と毎日避難所で会って話しているうちに、お互いの間に信頼感が生まれてくるのを感じました。

 「1人でいることが孤独なのではない。人の中にいながら孤独を感じるということがつらいのだ。“気にかけている人がいるよ”、“1人じゃないよ”というメッセージを伝えることが必要。」と羽賀さんは言います。私自身、外国で生活をしていた時に、周りの人たちにたくさん助けられたことを思い出しました。
 ライフラインの復旧も徐々に進み、被災者の方々が帰宅されてゆく中、ラジオ放送でも外国人の方々への情報提供を行い始めました。現在は、阪神大震災の際に開局した神戸のFM局「FMわぃわぃ」と協力して、「FMながおか」から災害情報を多言語で中越地域に発信しています。

 長岡市国際交流センターは、日頃から人や地域のつながりを大切にした活動を活発に行っていました。センターのある「地球広場」には、いつも年齢や国籍を問わずたくさんの人たちが集まり、様々な交流が生まれていました。また、長岡市内に限らず、日本全国や世界各地とのネットワークを広げることにも意欲的でした。そんなセンターの活動には、いつも感銘を受けていました。今回、長岡市でお手伝いをさせていただいて痛感したのは、そうした日頃からの交流やネットワークが、いざという時の協力に結びつき、大きな力を発揮するということでした。県内外から駆けつけた通訳ボランティア、武蔵野市や横浜市の国際交流協会による多言語翻訳バックアップ、神戸FM局による多言語放送協力、etc・・・。様々な協力を得て、地域の力がさらに強まるのを感じました。

 まだまだ余震があり、不安な日々は続いていますが、復興に向けた中長期的な取り組みが始まっています。これからも、そうした取り組みに「細く、長く、ひかえめに、しっかりと」協力してゆきたいと思っています。

新潟県国際協力推進員  柄沢友理
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