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Unknown (みー)
2014-05-13 00:08:50
はじめまして。
去年末、私の母も劇症肝炎を発症しました。
入院初日に生体肝移植の話を先生から聞かされたときは絶句でした。
少し前まで元気だったので、何でいきなりこうなってしまうの?と頭がついていけませんでした。

母が「移植までしなくてもいい」と言い、入院してから2週間後の亡くなりました。

かんぞうさんの言葉
「自分の為にその人の身体
を危険にさらし、大きな傷を残してしまう。
生死を争う状況に自分の身が置かれていても、どうしてもその
ことを、そのことだけを考えてしまうのです。」

この言葉が心に突き刺さりました。
きっと母も同じことを考えていたんだろうな~と思ったら、泣きそうになりました。

もし移植していればどうなったんだろう?と思うことはありますが、今でも答えは出ないままです。


 
 
 
答は・・・ (かんぞう)
2014-05-14 17:11:51
みーさん、はじめまして。

みーさん自身にとってもお辛い体験だったと思います。

移植、特に生体移植の場合、自分(患者本人)だけで完結できないだけに、自分の意思を飛び越えて色々な意味で広範囲に影響が及ばされてしまいます。

「生体移植」という言葉を突き付けられた時の、患者とその家族の気持ちは、これは決して当事者でなければわかりませんよね。
わたし自身、今思い出しても、あの時、あの状況、言葉の一つ一つが鮮明に蘇り、なんとも言えない気持になります。


わたしは、一カ月間の透析、血漿交換の時期が有り、その間に移植の具体的な話しが、自分とは離れた所で進んでいきました。
それでも常に葛藤の連続です。
最後の方は冷静な判断が下せる状況とは言えない状態でしたが、それでももし姉の肝臓が適合しなくても、ただただ甘んじて受け入れられていた様な気がします。


わたしは運良く救われましたが、それだからこそ背負ってしまった運命に潰されそうになる時があるのも事実です。

移植を受け入れるか否か、また提供できるかできないか、していれば肉体的だけでなく精神的にも救われたのかどうなのか、こればっかりは、本当にわかりません。

しかも劇症肝炎ですと、時間は限られます。
わたしも余命ということでいえばゼロ日でした。


もしかしたら、生き残ったからこそ言えることなのかもしれませんが、あの時、あのまま移植せずに逝っていても、その面ではきっと悔いはなかったと思います。
お母様もきっと、同じ思いだろうと思います。勝手な思いですが。

移植で救われる命が有るのも事実、また、移植で色々な葛藤が生まれるのも事実だと思います。

ただ言えるのは、生きるも死ぬも、それを見守るのも、一つの運命かな、と感じることです。

お母様の御冥福を心より御祈りいたします。
 
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