かこがわ円照寺の花たち

花の名所「円照寺」。さまざまな花が咲き続けます。そんな花たちの写真をお楽しみください。

コーヒー・ブレイク  『火の路(松本清張)』を読む

2016年03月28日 15時58分05秒 | その他

   『火の路(松本清張)』を読む

 きょう(28日)、先日から読み始めていた小説を読終えました。

 朝の9時ごろから3時頃まで、小説の終わりカ所を「うんうんと言いながら」読み終えました。

 小説は『火の路(松本清張)』(文芸春秋・上下二巻)です。

 先日、ある自治会で、その自治会を中心とした歴史学習会を持ちました。たくさん集まっていただきました。

 ある人から「生石神社(おうしこじんじゃ)について知りたいですね」という声がありました。(その地区は、生石神社(石の宝殿)の氏子の地区)

 もう25年以上も前になりますが、生石神社について、調べ始めたことがありました。

 その時は、現職で、いそがしく途中で中断していました。

 小説『火の路』は、その時に買った小説です。

 でも、「小説の一部に生石神社(石の宝殿)について書かれていたな・・・」ということ以外、内容等は完全にわすれていました。

 今、少し暇な時期ですので、『火の路』を読み返しました。

 小説というには、少し読みづらい内容です。というのは松本清張氏の古代史の研究がやや専門的に、各所にちりばめられているためです。

 「うんうんと言いながら読みました」と書いたのはそのためです。

   いつか、「石の宝殿」の話をしましょう

 今回は、再び「石の宝殿」に凝ってみようと計画しました。

 そのため歴書を読むように線を引きながら小説を読みました。

 資料を重視する歴史家には書けない、全く観点の違った小説(話)です。

 でも、そこは小説です。最後はジーンとして涙が出てきました。

 いま、「円照寺の花たち」を連載していますが、いつか「石の宝殿」についても報告したくなりました。もちろんもう少し勉強してからになりますが・・・(来年ぐらいになりそうです・・・)

 *挿絵:石の宝殿(松本清張・『火の路』p335 より)


コーヒー・ブレイク   常楽寺(東神吉町神吉)でのお話

2016年03月21日 08時31分49秒 | その他

     常楽寺(東神吉町神吉)でのお話

  きょうの「円照寺の花たち」はお休みします。

  昨日(20日)は、お彼岸の中日。

  この日、太陽は真西に沈みます。

  太陽が沈む西の先は、阿弥陀仏がお住いの浄土の東門があるといいます。

 お寺では、いろんな行事が行われます。

 東神吉町神吉の常楽寺に出かけました。

 常楽寺でも、お彼岸の行事が行われました。

 行事の後、午後2時から私の持ち時間で、『加古川お城物語り・神吉城の興亡』のテーマで檀家の方にお話をしてきました。

 というのは、ここ常楽寺は、戦国時代の神吉城跡に建てられた鎮魂の寺です。

 信長軍(総大将は信長の長男・信忠)30000の軍勢が、ここ神吉城の兵2000を攻めにせめ、ついに城主・神吉頼定は、力尽き討ち死にし、城も炎上してしまいました。

 あつかましくも、まさにその場所にある常楽寺で、神吉城の顛末をお話してきました。

 いつもの公民館でのお話とは一味違いました。少し緊張しました。

 そのため、「少しは早口だったかな」と少し反省しています。

    「女人往来図」も展示

 なお、常楽寺には鎌倉時代から南北朝時代のかけてと推定される「女人往来図」があります。

 当時、「女人は穢れており、極楽へは、なかなか往生できない」とされていました。

 そんな時代に、女人も往生できることを仏画で表現した例はほかにありません。

 常楽寺の「女人往来図」は、日本で唯一の例です。

 (注:「法然・親鸞などは、女人も救われる」と説いていました)

 ふだん公開されていない、そんな貴重な軸も展示されました。

 *写真:常楽寺本堂でのお話しの風景


円照寺の花たち(45) 母娘の心の交流描く絵手紙 東志方細工所安楽寺で

2016年03月15日 11時51分54秒 | その他

  今朝(15日)の神戸新聞に細工所の安楽寺の絵手紙展のニュースが紹介されています。

  広尾の方の作品展です。

  お出かけください。

  (神戸新聞より)

   母娘の心の交流描く絵手紙 細工所安楽寺で

 兵庫加古川市志方町細工所の安楽寺で、同町広尾の横山まやさん(80)と次女の鴨谷美香子さん(53)の絵手紙などを並べた「母と娘の親子展」が開かれている。作品を通じ、心温まる親子の交流を見て取れる。21日まで。

 横山さんは約20年前に姫路市内の教室で絵手紙を習い始め、仲間とグループ展を開催。母の姿に触発され、鴨谷さんも絵手紙や木版画、一閑(いっかん)張りにちりめん人形など多彩な制作活動に取り組む。

 親子展は2009年以来2回目。会場にはこれまでに制作した約800点が並ぶ。

 横山さんは絵手紙にまな娘への思いをつづる。大きな病を患った昨年、病院に付き添ってくれた感謝を柔らかな筆遣いで記した。鴨谷さんは木版画で、幼い頃、母の古里の加西市で過ごした夏の思い出を表現した。親子の慈しみが垣間見える。

 横山さんは「娘と一緒に作品を紹介できてうれしい」と笑顔。鴨谷さんは「見に来た人に温かい気持ちになってもらえたら」と話している。

 午前10時~午後4時半(20日のみ午前11時半~午後1時半)。無料。(金 旻革)


円照寺の花たち(41) 花の力・官兵衛の場合②

2016年03月13日 07時09分56秒 | その他

        花の力・官兵衛の場合②

              おれは生きるだろう

 牢の庇に垂れている藤の蔓はいよいよ青い物を大きく弾かせ始め、それも最初はひと所だけが群がっていたものが、にぎやかになった。

 (天運が、おれにめぐってきている) と、官兵衛は、毎日祈るような気持でそれを見つめている。

 蔓が日光に温められ、ときに風の中で意思あるもののように動く。

 「いのちよ」 と、叫びあげてしまっている自分に、官兵衛はときに気付く。藤の新緑が官兵衛にしきりに話しかけてくれている以上、宮兵衛も答えざるをえず、答えればつい叫びになってしまうのである。

 そのうち、新緑のかたちが微妙な複雑さを見せはじめた。藤の生命のなかで、何事かがはじまろうとしているようであった。

 (花の支度ではないか)

 官兵衛がそのように事態を解釈したとき、かれは躍りあがりたいほどのよろこびを感じた。花がこぼれ落ちはじめるのではないか。

 このころになると、官兵衛は自分の生命と藤の生命とが、一つになっているような実感のなかにいた。藤のあらたな生命が風に揺れれば自分も揺れるような実感がしたし、緑がいきいきとふくらむにつれて、自分のいのちも、息づきまでがみずみずしくなってゆく思いもした。

 「もしも・・・」と、念ずる思いが、湧きあがるように体中にひろがった。官兵衛は、占いを立てた。

 (もしこの蔓に花が咲けば、おれのいのちはかならずたすかる)ということである。

 ・・・・・

 やがてその藤に鈴のように花房がさがったとき、官兵衛は天が捨てていないことを心から知った。

 (おれは、生きるだろう)と、しずかに思うことができたし、ふたたび娑婆に出て、人交割ができることに確信をもった。

 藤の花は朝焼けの絶えたあとの色に似てあわあわとした紫色であった。

 穂のまわりに、蝶がむれているようであった。

 ・・・・

 そして、黒賭けは藤の花を家紋とました。(no3143)

  *挿絵上:黒田家家紋

       下:官兵衛のキャラクター(かんべえくん)


円照寺の花たち(40) 花の力・官兵衛の場合①

2016年03月12日 09時10分54秒 | その他

        花の力・官兵衛の場合①

 円照寺の花の話ではありません。余話です。

 でも、「円照寺の花たち」にふくめて紹介させていただきます。

 一昨年の大河ドラマ『軍師、官兵衛』は、毎回楽しく見ました。

 小説『播磨灘物語』(司馬遼太郎著)は、何回も読みました。その中で一番印象的に残ったのは以下の場面でした。官兵衛が牢獄からみた藤の花房の場面です。

 紙面の都合で、話の前後を省きますが、これぞ、花の持つ力です。

 今、いま円照寺のツバキを紹介しており、唐突なようですがお許しください。

 2回に分けて紹介します。

     藤の花房①

            (『播磨灘物語』より)

 (官兵衛は、湿気の多い牢に捕らわれているが、とにかく死なずに生きていた)そういうときに、官兵衛のこの六尺の天地に重大な変化が発生した。

 格子越しに見あげる牢のひさしに、ぽつんと薄緑色の輝くような生命がふくらみはじめてきたのである。藤の芽であった。

  入牢して以来、庇のあたりには空しかなかった。おそらくこの牢屋の屋根のあたりに藤が蔓をはびこらせているのに相違なかったが、それがある夜、風のいたずらかなにかで、蔓が庇まで垂れたのであろうか。

 その冬枯れの白茶けた蔓に、なんと芽が吹いたのである。世にあるときは無数の自然現象とその変化にとりかこまれて、しかも無関心でいた。まして山野に自生する藤などに関心が往くことなど、まずなかった。

 しかし、いま官兵衛の目の前にある藤の芽は、官兵衛にとって、この天地のなかで、自分とその芽だけがただ二つの生命であるように思われた。

 その青い生きもののむこうに小さな天があり、天の光に温められつつ、伸びることのみに余念もない感じだった。

 官兵衛は、うまれてこのかた、生命というものをこれほどのつよい衝撃で感じたことがなかった。その者は動く風のなかで光に祝われつつ、わくわくと呼吸しているようであり、さらにいえば、官兵衛に対して、「生きよ」と天の信号を送りつづけているようでもあった。

      生きよ!

 朝、起きると、まっさきに藤をながめた。芽はすこしずつふくらみ、小さいながらの房もついているようだった。それを終日、飽くことなく、官兵衛は、ながめつづけているのである。

 夜、青い芽が、「生きよ」と叫ぶことがあり、官兵衛は弾かれたように起きあがってしまったりする。夢であった。

 しかし、夢とも思えないのは、弱りきっている官兵衛のこの肉体に、跳ね起きられるような力が残っているはずがないということであった。跳ね起きる力を湧かせるという以上、天から降りてきているこの芽は官兵衛にとってただごとではなかった。・・・・

 *絵:藤の花(円照寺の花とは関係はありません)