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世の中の予測, 占い, 「不景気, 政治」というものについて( 副題 税制, 有効需要のなぜ?ボーと生きてんじゃねーよ?のチコちゃんは,悪口? )

2024-10-17 12:23:23 | その他

世の中の予測, 占い, 「不景気, 政治」というものについて( 副題 税制, 有効需要のなぜ?ボーと生きてんじゃねーよ?のチコちゃんは,悪口? ) - あなたはいつ頃どんな人と結婚しますか?相性のよい方はどんな人?今までにない未来を知る占い恋愛恋人相性占い・純風身数秘

 


 

 

今回は, 世の中, どうしてこんなに貧しくなったのかという不景気について, 考えてみたいと思います。

それは, 単純に有効需要がつくれなかったからです。

■図 33カ国の財政支出伸び率とGDP成長率の分布(1997~2015年の伸び率を年換算)

*データ出所は内閣府及びOECDで、財政支出はGDP統計上の一般政府部門(日本は公的企業含む)の投 資及び消費の合計

郵政民営化(外資が主幹事)など, 小泉, 竹中(与野党, 今はある党の政治顧問)政権は, 対米依存でしたから, 米国からの要求を構造改革としょうしハゲタカファンドや人材派遣, 派遣村, 就職氷河期の話は, 記憶に新しいですネ゙。

これは, 郵貯, 簡保などの財政投融資資金が絶たれたことによるものです。

日本に郵政民営化を要求してきたのは米国です。

その要求の背後にある理念が 1970年代に米国で誕生したイデオロギーである新自由主義です。

冷戦終了後, 米国は責務国に転落し, 海外に貯蓄された富を米国に環流させることを対外政策に置きました。

そこで狙われたのが日本の国民資産である郵貯マネーです。

 

 

また, 消費税の増税もその大きな要因になります。

消費税は, 悪税, なぜなら税の基本原則から外れているからです。

租税原則は , “応分の法則”です。

最近は, 億り人, 大企業の空前の利益, 史上最高の税収等々, また, 一億総中流の貧困化など社会のひずみが大きくなっていませんか?

“消費税”は. 消費税という名前ではなく「赤字の会社や低所得者からも税を徴収し, 大企業には還付金を支払う」仕組みです。

富める者の税負担を引き下げ, 貧しき者からは「赤字であっても税の徴収を可能」にした仕組みにしたので, 貧富の格差は大きくなりました。

経団連は, 「消費税19%」を提言しています。

今, 最も税収が多いのが消費税ですが, これが「19%」になれば、国民の税負担は単純に倍になります。

今でも社会保険料を含めると50%近くあるのに, 税負担が2倍になるのです。

これでは, 実質可処分所得も大幅に減り共働きとなり, 婚姻数も減り, 少子化になります。

□図 実質可処分所得は, 消費税増税により大きく減っている。

 

税負担ではなく"経団連にとってトクをする制度"なので, とても無理なことを経団連は, いっていることになります。

「消費税」のなかで最も悪いのは「還付金」という制度です。

消費税は,「輸出企業への優遇税制」です。

国と地方の 消費税の 収納見込み額は, 昨年度40兆6,703億円, 輸出免税還付金は, 還付見込み額は10兆6,981億円, 「戻し税」は 26.3% に登ります。

この間, 失われた30年間, ずうっとこのようなことを繰り返されて来たのです。

しかも, 公表されませんでした。

「消費者から10%取りなさい」とは, 条文のどこにも書いていません。

消費税は, 「消費者とは無関係」の税金です。

消費税は, 「値増し販売」であるという裁判の判決も出ています。

フランス政府が自国の輸出企業を応援するために「直接税」だった付加価値税を無理やり消費税という「間接税」にしたことで錯覚を起こしやすい税金にしてしまいました。

消費税の本質は、大企業に還付金を与えるために考え出した「輸出企業優遇政策」だから海外で売る商品には税金がかかりません。

また, 消費税はこの先必ず際限なく上がっていきます。

税率が上がると物価が上がり, 行き着く先は暴動や戦争, テロです。

資本家だけがどんどん富み, 貧乏人にはどんどん税の負担が増え続けるようないびつな国は,民主主義に反し,  いずれ破綻します。

消費税とは思想の問題, 日本も含め, 世界中の多くの国が国民の賃金を安くし,貧しくし, 自国の大企業が繁栄することが「自国の発展」と考えている「富国強兵」思想の問題です(強兵?, 米国のような格差社会, 代わりに, 兵隊へ, マイナンバー, 言論統制, 監視社会, ◯国の要望?)。

また, 消費税の基本的欠陥は, 正規の労働者の給料をカットし、その分を派遣社員や外注でまかなうことで節税します。

税に疎い人に選挙権の希薄な人に騙している思想が透けて見えます。

□ユーチューブ 何を言ってるんだ!! 経団連が消費税増税を主張 財界は1円も 消費税を払っていない?

 

 

 

不思議なユーチューブですネ゙?これの意味することは, 何なんですかネ゙?

こんなに長い間不景気や貧困を放置して, 儒学の経世済民からは, 程遠い思想です。

国の政府債務残高は, バブル崩壊により, 2000年9月末時点で511兆円, うち国債残高は361兆円に達してしまいました。

政府の信用リスクの意味からも, 国のその財政事情の急激な悪化が, 主要国の中で際立ってしまいました。

その原因は, 日本国だけには、国債償還のルールとして、他の主要国には例のない「60年償還ルール」という既定のルールが存在します。

他国では, 減債制度, 債務償還費の計上はしないので, 借り換えを繰り返しています。

これは, 先の大戦で占領軍から二度と戦争できないよう再軍備のための国債発行に足かせを履かせたためです。

そういう特殊な事情があるために償還が嵩上げ(赤色; 負債, 借換国債費が半分)となり他国と比較するとダントツ最下位の財政事情となりますが, 実際はバランスシート上での比較ではIMFの試算では, 財政破綻と反対にほぼ均衡し優良で先進国の中では上位です。

資産は, 半分は, Financial assets(黒色;金融資産)で天下り先関係団体(知られたくないので資産は公表しない, 債務だけで説明している。大手企業には還付金。)への貸付や米国債権などです。

また, 負債は, Pension liabilities(黄色;年金債務)社会保障費は政府の説明とは違いわずかです。

□図 IMF Public Sector Balance Sheets

日銀は, 政府の子会社ということから, バランスシート, 事務処理上では債権債務の帳消し, 利払いの帳消しとなっています。

日銀には通貨発行権がありますが, 市場からの買取りですので,今のところ急激なインフレとはなっていませんが, 間近に迫ると予想される世界恐慌時には致命傷となります。

したがって, 早急に国債制度を本来の姿に改めないと対外的にも間に合わないことになります。

 日本は、発行した国債は60年で現金償還しなければいけないという恒常的に債務を減らすという減債制度をもっています。

日本の国の一般会計の歳出では、過去の借金への対処である国債費が利払い費と償還ルールによる債務償還費を含め, 22.6%を占め歳出構造が硬直化し財政再建は急務であるといわれていますが, 米国の歳出では国債費には利払い費だけ計上され, 日本のような債務償還費は計上されず国債費は歳出の6.8%しかないのです。

60年償還ルールの問題, 先進国で政府の純債務残高が減っている国はないということです。

日本の政府の純債務残高の増加率は小さい方であり, グローバル・スタンダードでは, 国債の発行による支出は, 民間の資産の増加となるため景気過熱の抑制の必要がない限り, 発行された国債は事実上, 永続的に借り換えされていくため, 歳出に債務償還費は計上されないのです。

国債の60年償還ルールは, グローバル・スタンダードでは異常な財政運営です。

60年償還ルールは, 緊縮財政が必要であるという論拠に捻じ曲げられて使われてしまうという大きな問題です。

悪名高い財政のワニの口は, 一般会計の歳出と税収の差を示し, その差がワニの口のように拡大して, 日本の財政状況が歯止めなく悪化している根拠として使われていますが, 上あごの一般会計の歳出には, グローバルスタンダードではない債務償還費が入り, 下あごは税収だけで税外収入や特別会計などの資金余剰が入っていないという欺瞞があります。

また, 2021年度以降には, 「基金」という仕組みが多用されました, これは、政府が借金で賄ったお金を、いったん財団法人などに払い出して貯めておき、複数年にわたり目的に応じて使うという仕組みです, この支出は, 経済に影響を与えない, 基金の多用により財政支出が経済成長につながらない状況をますます助長してしまいました。

大半は, このような金融資産が占めていますが, 借金が純増し国民もバラマキによって借金が増えていると勘違いさせています。

60年償還ルールによる債務償還費を除き税外収入と資金余剰を入れたら, 本当のワニの口は開いていないばかりか, 新型コロナウィルス感染拡大前には, ほとんど閉じつつあったことが分かります。

□図 バイアスのかかった典型的な「ワニの口」の歳出と 歳入の乖離図とグローバル・スタンダードに基づく適切な手法の歳 出と歳入の乖離図の比較

 

また, 消費税の増税は, 法人税の減税に充てられました, 両方でワニの口にそっくりですネ゙!

消費税は, 民間需要を圧迫します, また, 法人税の減額は, 歳入を圧迫します。

□図 ワニの口👄にナントナクそっくりな税収図, ナゼ?

 

 

また, 米国からの年次要求で日本の国富は, 吸い上げられています。

郵政民営化(外資が主幹事; 米国に吸い上げ。)など, 小泉, 竹中(与野党, 今はある党の政治顧問)政権は, 対米依存でしたから, 米国からの要求を構造改革としょうしハゲタカファンドや人材派遣, 派遣村, 就職氷河期の話は, 記憶に新しいですネ゙。

「歴史は繰り返す。1980年代に日本は奇跡を起こした。いま起きつつある奇跡はもっと長く続くだろう」。10月6日, 岸田文雄首相が海外投資家と意見を交わした会合後の記者会見で, 席を並べた米資産運用大手ブラックロックの最高経営責任者(CEO)のラリー・フィンク氏の発言です。

バイデン氏が経済チームにブラックロックの現・元幹部2人を起用したことで同社はウォール街で政権への主な人材供給源の一つとして地位を確立しました。

日本国民の現預金1,100兆円が食い物に!? これは驚きました, 世界 最大の資産運用会社ブラックロックが岸田政権に促している要望です。

岸田政権は「(亡国)資産運用立国」を掲げ海外の運用会社に参入を促します, リップサービスも含んでいるかも知れませんが, 日本の政権は, 米国や, 財務省の支持がなければすぐ倒閣されてしまいます, 国民の主権はおざなりです。

また, 郵政民営化(外資が主幹事)など, 小泉, 竹中(与野党, 今はある党の政治顧問)政権は, 対米依存でしたから, 米国からの要求を構造改革としょうしハゲタカファンドや人材派遣, 派遣村, 就職氷河期の話は, 記憶に新しいですネ゙。

その再来です。

それは, 「90歳まで働け」で批判殺到の竹中氏, 「収入が上がらない」という悩みに自分の責任を棚上げし差別的説教, これには「死ぬまで働けということか」と批判の声も出ています, 利権構造, 改革?が透けて見えます。

米国は,借金大国です, 高い利回りは, そのせいです。

また, 被害の中心となるのが, 直近の運用資産額が219兆円と世界最大の年金基金であるGPIF(年金管理運用独立行政法人)であり, GPIFが厚生労働省から, 厚生労働省は国民から預かって運用している公的年金(厚生年金+国民年金)です。

現在は, 欧州からの資金の流入があり米国の株価も高騰していますが, 秋頃には, 米国は株価も暴落し, 金融恐慌, 大恐慌になると関係者の大方の予想があります。

したがって, GPIFの「戦略的アセットアロケーション」がすぐ必要です。

「日本国民の国富を守る」ため, 最短で最善の「有事即応体制」の構築をしなければ, 戦後営々と築き上げてきた「経済大国日本」は, 近い将来に跡形もなく消えてなくなるでしょう。

国民には, 正しくつたえられていないのです。

なぜ?生活がよくならないのか?

よくするためには, どうしたらよいのか?

アンバランスで偏った, 間違った政策により, こうならないよう金融, 財政政策運営における有効需要を高め, 国債, 税制を改めることが必要です。

バブル崩壊時に金融緩和といいながら事実上の金融引き締めをし,企業を国外に転出させたため, 国内投資もなくなりました。

利権構造から離れ, 客観的に政策をわかりやすく整理し, 経済は利益を上げることではなく, 経世済民という政治の立場から, 需要の大宗である貧しい人の国内消費を喚起し, 過度な円安を食い止め, インフレを阻止することが必要ですネ゙。

今後, 新NISA(少額投資非課税制度)などで人気を集めているのは, 全世界の株式に分散投資できるということですが, これもまた円安, コストプッシュインフレ要因になります。

占いでは, 世の中のことを占うのを測局といいますが, 世の中が複雑なので多少説明が理屈っぽくなってしまいました。

不景気, 政治について, 税制, 有効需要のなぜ?というジレンマを取り上げましたが、ボーと生きてんじゃねーよ?のチコちゃんは,悪口?かな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


魂の科学( 副題 ヨーガ )

2024-10-16 00:30:57 | その他

 

 

 

 

魂の科学( 副題 ヨーガ )

 

訳者, 近影, 紹介文

 

मोदी ने बांटे योग पुरस्कार, 12 टिकट भी जारी किए, कहा- योग का प्रचार करने वालों का करता हूं सम्मान
 
योग के संवर्धन और विकास में योगदान के लिए सम्मानित करते हुए पीएम मोदी ने दिल्ली के विज्ञान भवन में कहा कि योग कल्याण के साथ दुनिया को भारत के साथ जोड़ने का माध्यम बन रहा है.
 
訳しますと, モディ首相は, 木村 慧心 氏に ヨガ賞を配布し, 「ヨガを推進する人々を尊敬する」と述べました。
 
モディ首相は, デリーのビギャン・バワンでヨガの普及と発展への貢献を称えるとともに, 「ヨガは, 福祉とともに世界とインドを繋ぐ媒体になりつつある」と述べました。
 

( 思うに, 身近に会える, 捜しても,  会い難い 「聖人」です。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


仏教の歴史( 副題 実在の仏教、その後。 )

2024-10-13 09:30:37 | その他

 

 

 

 

 


仏教の歴史( 副題 実在の仏教、その後。 )

 

仏教は、身近ですが、その全体像について、よくわからないことがあります。

その疑問は、仏教の歴史を辿ることによって、解消すると思います。

以下に、簡単に仏教の歴史を述べてみました。

仏教は、前6世紀ごろ、北インドでガウタマ=シッダールタによって始められた宗教です。

インドでは衰えましたが、アジア各地に広がる世界宗教となりました。

過去に宗教は、世界観を表明していました。

世界観としては、

生命とは、何か?

生命のある惑星、生命の無い惑星。

宇宙とは、何か?

という命題があります。

「無記」と呼ばれます。

無記(むき、巴: avyākata, アヴィヤーカタ、梵: avyākṛta, アヴィヤークリタ)とは、仏教において、釈迦がある問いに対して、回答・言及を避けたことを言います。

仏説経典に回答内容を記せないので、漢語で「無記」と表現されます。

主として形而上学的な、「世界やその存続期間や有限性」「生命と身体の関係」「修行完成者(如来)の死後のあり方」といった仏道修行に直接関わらない・役に立たない関心についての問いに対して、このような態度が採られました。

認識論の問題ではありますが、しかし、科学の発達がなければ、十分な説明の基礎が得られません。

生命とは、何か? という問題は、ある意味宗教的なものです。

また、「唯識、中観派」は、世界観や認識論を展開しています。

古い認識論を解くと、現代人の心理の底流に流れているものも、分かるかも知れません。

仏教の開祖の当時、インドでは、輪廻転生が広く知られていました。

例えば、次のようなものです。

輪廻、または輪廻転生とは、サンスクリット語のサンサーラ(संसार saṃsāra)に由来する用語で、命あるものが何度も転生し、人だけでなく動物なども含めた生類として生まれ変わることを意味します。

漢字の輪廻は、生命が無限に転生を繰り返すさまを、輪を描いて元に戻る車輪の軌跡に喩えたことから来ています。

輪廻転生では、現世での行いが来世になんらかの影響を及ぼすと言われています。

人の生まれ変わりには、生前の悪行が関連しており、それに応じて六道という6つある世界のいずれかに生まれ落ちます。

輪廻転生では、必ずしも人に生まれ変われるというわけではありません。

生まれ変わる世界は、6つの世界に分けられています。

その世界は、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の6つで総称して「六道」と呼ばれています。

修羅を人間として括る場合には、五趣と呼ばれるときもあります。

また、地獄、餓鬼、畜生の3つの世界を三悪道といい、特に苦しみの激しい世界だといわれています。

次に生まれる世界は、死ぬまでに行った行為「引業」によって、決まっています。

引業とは、生前に行った悪行のことを意味します。

なので、引業の重さによって、次に生まれ変わる世界が決まります。

また、引業以外のすべての業ことを満業と呼びます。

再び、人間に生まれ変わるためには、「五戒」という戒律を守り続けなければなりません。

五戒とは、不殺生・不偸盗・不邪婬・不飲酒・不妄語の5つのことを意味します。

仏教の思想では、限りなく生と死を繰り返す輪廻の生存を苦と見、二度と再生を繰り返すことのない解脱を最高の理想とします。

なお、解脱とは、本能に基づく迷いに心を縛られている状態(煩悩(ぼんのう))から脱して自由になることで、 涅槃(ねはん)と同一視され仏教実践道の究極の境地とされます。

涅槃とは、生死を超えた悟りの世界であり、仏教の究極的な実践目的とされます。

また、仏教は、人類の平等、愛、共通の生活規準を含む信条や儀礼も特色としています。

古代のインドの前6世紀頃、北インドに多くの都市国家が成立すると、それぞれ新しい都市国家の中で保守的・形式的であったバラモンらは権威を失い、王族の勃興を背景として、自由で新しい思想家が生まれました。

彼らは、沙門と呼ばれ、世俗を離れて出家し、様々な新思想を展開しました。

仏教の創始者ガウタマ=シッダールタ、ジャイナ教の創始者ヴァルダマーナらも、そのような自由な新思想家の一人でした。

ブッダの教えの要点をまとめると、次のようなものです。

ブッダは、バラモン教の聖典ヴェーダの権威や儀式を認めず、またヴァルナ制度も否定しました。

本来の仏教は、そのような儀礼や身分にとらわれない、自己の解放を目指したといえます。

まず、人生は、生老病死の四苦をはじめとしてすべて苦である(一切皆苦)ととらえられます。

生きること、老いること、病むこと、死ぬことの四つの苦、 人生における自由にならない、そして、免れない四つの苦悩のことをいいます。

この人生の苦を解決するために苦、集、滅、道の四諦(四つの真理)を説きます。

苦諦は、人生は、すべて苦であるという真理、集諦は、苦の原因は、心の迷い、煩悩にあるという真理、滅諦は、煩悩を滅ぼすことで苦を取り除くことが出来るという真理、道諦は、正しい実践によって苦をなくすことが出来るという真理です。

正しい実践とは、正しく見(正見)、正しく考え(正思)、正しく話し(正語)、正しく行動し(正業)、正しく生活し(正命)、正しく努力し(正精進)、正しく思いめぐらし(正念)、心を正しく置く(正定)の八正道です。

また、その世界観の中心には、諸行無常、諸法無我、涅槃寂静の三法印(教理)があります。

上座部仏教の教理の特徴は、釈迦の教えをいかに正確に理解し整備するかという点にあります。

ブッダの教えを簡潔にまとめて「無常―苦―無我」と表すことが古くから行われ、また、涅槃は、ブッダの悟り、すなわち仏教徒の理想を示します。

仏教は、前5世紀頃、ガウタマ=シッダールタが悟りを開いてブッダとなり、ガンジス川中流のマガダの地でその教えを人々に説いたことに始まり、次第にクシャトリヤやヴァイシャ層に広がっていきました。

その教えを信じた人々が出家し、サンガといわれる仏教教団をつくり、または在家信者も増えていきました。

サンガ「僧伽(梵: संघ Saṃgha)」は、仏教の戒律を守る男性の出家修行者である「比丘」と女性の出家修行者である「比丘尼」の集団のことで、仏教の三宝の一つです。

ブッダの死後、インド各地に広がり、特に前3世紀のマウリヤ朝のアショーカ王の保護のもとで全インドに広がりました。

前4世紀末に都市国家を統一したマウリヤ朝の3代目の王アショーカ王は、インド各地に軍を進め、戦争を繰り返して領土を広げました。

前259年頃、東海岸のカリンガ国を征服したとき、多くの血が流されたことに心を痛め、仏教に帰依し、ブッダの慈悲の精神をもとにした法(ダルマ)を国家統治の基本としました。

アショーカ王の行った仏教保護政策は、磨崖碑・石柱碑の全国への設置、ストゥーパの建設、スリランカへの伝道、仏典結集などがあげられます。

ブッダの死去の百年後ごろ、拡大した仏教教団は、伝統的・保守的な上座部と、進歩的・革新的な大衆部との二つに分裂しました。

さらにその後も分裂が続き、約二十の部派が成立しました。

この部派に分かれた時代の仏教を部派仏教といっています。

アショーカ王時代に保護された仏教の主力は、上座部仏教であったので、前3世紀半ばにスリランカに伝えられ、いわゆる南伝仏教となり、東南アジア一帯に広がったのは上座部仏教でありました。

これらの部派仏教の僧侶たちは、権力者の保護のもと、僧院の中で他派との論戦を繰り返す中で学問的な研究を主体とするようになり、しだいに民衆の悩みや苦しみを救済するという実践的な活動からは離れて行き、貴族的になっていきました。

原始仏教教団について、師の説法(当時のマガダ語で語られていた)は、弟子たちに口伝で継承されていきました。

この頃の原始仏教の聖典としては、その後、南伝したパーリ語の聖典と、これに相当する漢訳諸経典(阿含経など)および少数のサンスクリット聖典の断片とがあります。

パーリ語聖典は、現在スリランカ・ミャンマー・タイ・カンボジアなどの仏教徒のあいだで奉じられ、律蔵(出家した修行者のための戒律の規定および説明)、経蔵(ブッダおよびその弟子の説法の記録)、論蔵(経蔵に説かれている思想の解説・註釈・研究)という三つの部分(三蔵)から構成されています。

原始教団では、ブッダの教えや戒律を正しく伝えようとして、仏典結集をおこないましたが、早い段階からその解釈において保守的な長老たち(上座部)と、革新的な一般僧(大衆=だいしゅ)とが対立する傾向にありました。

大衆部や法蔵部や経量部の教理は、大乗仏教の教理と一致することが多く、大乗仏教成立の起源に彼らの教理の影響があったと考えられています。

法蔵部 は、インドの仏教教団分裂によって生じた一部派の名です。

紀元前2世紀初期頃の成立と推定されます。

思想内容の詳細は、不明ですが、五蔵説を主張したこと、あるいは仏塔信仰の果報を唱えたことなどが知られています。

上座部の系統に属しますが、その説はむしろ大衆部に近かったようです。

五蔵説は、人間を5つの「鞘(次元の鞘。現在でいうオーラ。)」を持つ存在と考えています。

①.外側の食物鞘は、一般には肉体と呼ばれている食物によって支えられていて、最も粗雑な鞘です。

②.内側の鞘は、生気(プラーナ)から造られている生気の鞘ですが、この生気は、私たちの身体内に張り巡らされている目に見えないナーディーと呼ばれる導管の中を流れていると考えられています。

③.さらに内側の鞘は、私達の種々感覚や想念に関係する意志鞘

④.その内側の鞘は、完璧な智慧に基いた知性の働く理智鞘

⑤. 最後の最も内側の精妙の鞘は、「歓喜の居所」である歓喜鞘

であると考えられています。

ヨーガでは、真の幸福感に必要不可欠な心の調和は、この中から生じて来るという考えです。

ヨーガは、古代インド発祥の伝統的な宗教的行法であり、瞑想を主とします。

現代においては身体的エクササイズも含まれます。

元来は、心身、感覚器官を鍛錬によって制御し、精神を統一し、心の働きを止滅させ、古代インドの人生究極の目標である輪廻からの「解脱」に至ろうとするものです。

また、経量部は、上座部の系統に属しますが、3世紀末ごろ説一切有部から分派、クマーララブタが開祖です。

批判的・進歩的学説を展開し、説一切有部が〈論〉によったのに対し、〈経〉を判断の基準(量)としました。

四大と心のみを実在とする認識に立ち、唯識、中観派などの大乗仏教に影響を与えました。

マウリヤ朝のアショーカ王の保護を受けて、仏教は、全インドに広がりましたが、王は上座部の仏教に帰依しており、保守派と革新派の対立はその間も深刻になっていきました。

前250年頃、保守派の上座部と革新派の大衆部の分裂がはっきりするようになり、「根本分裂」といわれています。

この後、紀元前後の頃までの約250年間に、両派は、さらに細かい分裂を繰り返し、大衆部は一説部、説出世部などの8部に分裂し、上座部も説一切有部、雪山部など11部に分裂しました。

一説部の名は、「仏陀は唯一にして統合された超越的な意味を持つ言葉を語った」というこの部派の教義を指しています。

彼らは、ブッダの超越性を強調し、ブッダが常に悟りを開いており本質的に非物質的であると力説しました。

説一切有部は、過去、現在、未来のいずれに存在するものも実在であるといいます。

また、諸法を五位七十五法に分けて説明します。

『大毘婆沙論』『六足論』『発智論』は、有部の教義を述べたもので、『倶舎論』は、この部派の主要な概説書であり、有部の教義を述べています。

部派の祖は、カタヤーヤニプトラです。

自我は非実在、構成諸要素(諸法)は、実在と見て、全宇宙を五つの範疇(はんちゅう)と75の構成要素(五位七十五法)に分ける整然たる体系をつくり上げました。

五位七十五法は、仏教において、あらゆる事象を5種類の範疇および75種類の要素(法)に分類して、人間の精神や物質など全ての現象の要素をまとめたものです。

説一切有部の『阿毘達磨倶舎論』では、色法11種類、心法1種類、心所法46種類、心不相応行法14種類、無為法3種類(合計75種類)の法が記されています。

『六足論』とは、仏教の部派の1つである説一切有部における、6つの論書の総称です。

六足論は、以下の6論から成ります。

①.『集異門足論』

①は、舎利子(シャーリプトラ, Śāriputra 舎利弗)の説に仮託され、『長阿含経』に含まれる衆集経の註釈の形で術語を詳しく説明するものです。

②.『法蘊足論』

②は、大目乾連(マハーマウドガリヤーヤナ, Mahā-maudgalyāyana)の作と仮託され、学処品.預流品以下21品に分けて同じく術語を註釈するが、特に実践的項目を中心としています。

③.『施設論』

③は、世間施設・因施設・業施設の3部門に分けられ、宇宙論・因果・業の問題を解説します。

③はチベット訳のみにあり、因施設の部分だけが法護らによって漢訳されています。

④.『界身足論』

④は、提婆設摩(デーヴァシャルマン, Devaśarman)の造と伝え、主として五蘊の法が業因によって有情の身心を構成することを説きます。

⑤.『識身足論』

⑤は、世友(ヴァスミトラ, Vasumitra)の造と伝え、主として心および心所、特にその中の煩悩法などを解説します。 

⑥.『品類足論』

⑥も世友の造と伝え、弁五事品(色・心・心所・心不相応行・無為の5位による法の分類を説く)、弁諸智品・弁諸処品以下の8品に分け、「六足論」中最も広く種々の問題に関し説明します。

そのうち、第七弁千問品の中には、明らかに②よりの発展が認められます。

⑥には、玄奘訳のほかに劉宋の求那跋陀羅と菩提耶舎の訳の『衆事分阿毘曇論』があり、弁五事品のみの異訳として後漢の安世高の訳の『阿毘曇五法行経』、唐の法成の訳の『薩婆多宗五事論』があります。

弁五事品の一部に対する註釈として法救の造、玄奘の訳の『五事毘婆沙論』があります。

③以外の5論はすべて唐の玄奘によって漢訳され、ただ漢訳にのみあります(ただし①は梵文の断片が発見されました)。

この「六足論」に対して、『発智論』を「身論」と呼びます。

『阿毘達磨発智論』は、迦多衍尼子(カーティヤーヤニープトラ)が著したとされます。

略称として、発智論が用いられる傾向にあります。

本書は、「雑・結・智・業・大種・根・定・見」の八蘊で構成され、説一切有部の教学を発展させた書です。

古来より、『集異門足論』・『法蘊足論』・『施設論』・『識身足論』・『界身足論』・『品類足論』の「六足論」に対して「身論」と呼ばれて来ました。

本書ではじめて六因説の解釈が明確に詳細に論じられました。

この部派の教義は、大乗の主要な論敵とみられたため、盛んに研究されました。

大乗仏教国でも、戒律は、この部派の戒律によることが多いといわれます。

雪山部は、部派仏教の一つの名称です。

上座部の系統から出ました。

仏滅後 300年頃、上座部から説一切有部が分れ出てから、上座部はヒマラヤ山 (雪山 ) に移った部衆によってわずかに法燈を保つようになりました。

これを雪山部といいます。

これらの多くの部派に分裂していた時期の仏教を部派仏教といいます。

部派仏教の多彩な分裂は、教義上の見解の差異、指導者の対立、地理的な条件などによるもので、時期によって変動はありましたが、主要な部派は18ないし19で、根本2派とあわせて20部とされています。

部派仏教の教義は、修行者集団の特質を反映して、きわめて哲学的、思弁的です。

それぞれの部派のよって強調点には差異がありますが、部派仏教に共通する教説の基調は、ゴータマ・ブッダが説いた「有」(一切は存在する)という基本的立場を認めて、「相」(人間の心の様々な現れ)と「性」(人間の心の本質)を考察して体系化し、最も有効な修行論を展開することにあったといえます。

部派仏教の各教団は、国に保護されて広い土地を持ち、多数の僧尼が僧院にこもって学問に専念するようになり、そのため仏教はしだいに現実から離れた貴族的な学問仏教の面が強くなっていきました。

その後、スリランカに伝えられた上座部は、「南方上座部」(赤銅鍱部)と呼ばれ、特にマハーヴィハーラ(大寺)の学灯に連なる集団は「上座部大寺派」といい、ミャンマー・タイ・カンボジア・ラオスなどの東南アジア諸国で正統説とされ、今日に至っています。

スリランカへの仏教伝播は、アショーカ王の子とも弟ともいわれるマヒンダとその一団がスリランカへ布教したことに始まります。

時のスリランカ王デーヴァーナームピヤティッサ(前250-210年在位)は、王都アヌラーダプラに後世「大寺」といわれる寺院を建設しました。

その後、5世紀に入って、 スリランカの外からブッダゴーサという僧が大寺にやってきました。

彼はパーリ語で『ヴィスッディマッガ』という書を著すと共に、 シンハラ語に翻訳されていた古注釈をもとにパーリ語の仏典注釈を作成しました。

彼の活躍により、以後、上座部仏教の著作は、パーリ語で書かれるようになりました。

マウリヤ朝は、前180年ごろ滅亡し、その後現在のアフガニスタン地方のギリシア系のバクトリア王国が北西インドに進出してきました。

これによって紀元前後にインドにヘレニズムの影響が及んできました。

紀元後1世紀頃には、クシャーナ朝が成立し、中央アジアから北西インドにかけて支配しました。

このクシャーナ朝時代には、仏教が2つの点で大きく展開しました。

紀元前1世紀頃から、仏教の内部に、部派仏教のあり方を批判して、実践的な信仰を求める在家信者を主体とした信仰運動が起こりました。

紀元前後の西北インドから大乗仏教が登場し、2世紀中ごろのナーガールジュナ(竜樹)によって理論化され、部派仏教と並んで広がっていきました。

同じ頃、クシャーナ朝のカニシカ王は、大乗仏教を篤く保護しました。

大乗仏教は、上座部仏教のめざす自己救済ではなく、広くすべての人間(衆生)の救済をめざし、そのような力をもつ菩薩を信仰の対象とするという、新しい仏教でありました。

菩薩とは、初期には悟りを開く前の釈迦をさしていましたが、人々に仏法を説いて悟りを開かせる修行中の者を広く呼ぶようになりました。

菩薩信仰とは、大乗仏教の中心思想で、自己を犠牲にし悟りに達して大衆を救済するのが菩薩です。

大乗仏教では、他者の救済のために犠牲的な活動をすることが菩薩(ボーディサットヴァ、覚りをめざす衆生の意味)として重要視されるようになりました。

菩薩(ぼさつ)とは、ボーディ・サットヴァ(梵: बोधिसत्त्व, bodhisattva, 巴: bodhisatta) の音写である菩提薩埵(ぼだいさった)の略であり、仏教において一般的には菩提(bodhi, 悟り)を求める衆生(薩埵, sattva)を意味します。

また、菩薩は、自己を犠牲にして一切衆生の救済のために尽くす存在であり、その理想として弥勒菩薩や観音菩薩のような大菩薩による救済が求められるようになりました。

観世音菩薩とは、世間の人々の救いを求める声を聞くとただちに救済する求道者の意味で、 救う相手の姿に応じて千変万化の相となるといいます。 

弥勒菩薩とは、兜率天 に住み、 釈迦 入滅から56億7000万年後の未来の世に仏となってこの世にくだり、衆生を救済するという菩薩で、 弥勒仏ともいいます。

そのように、菩薩信仰は、他力本願の性格をもち、新たな信者を取り込む仏教の革新につながりました。

また、他力本願とは、仏教で、阿弥陀如来の立てた本来の願いにすがって衆生が救済され、極楽往生を得ることで、ひたすら祈願により救済されることを意味します。

なお、大乗とは、「大きな乗り物」の意味で、その立場からは旧来の部派仏教は「小乗仏教」と蔑称で呼ばれました。

仏像彫刻の始まりについて、クシャーナ朝時代からヘレニズムの影響で、インドで仏像が造られるようになりました。

仏教は、偶像崇拝を否定していたので、シャカの時代やマウリヤ朝時代は仏像は造られませんでした。

シャカの像というレリーフがあっても、沙羅双樹の木は、描かれていても、シャカの姿は、顕されていませんでした。

偶像崇拝とは、絵画・彫刻・自然物などの可視的対象物を信仰の対象として崇拝・礼拝することです。

ユダヤ教・キリスト教・イスラム教などでは厳しく否定されます。

己れの本質を見失わせるものです。

逆にいえば、己れの本質を見失わせるということからいえば、過度な傾倒、拝金主義、それらに類するものも広くいえば、偶像崇拝ともいえます。

また、大乗仏教には、「唯識、中観派」などがあります。

唯識は、一切の対象は、心の本体である識によって現し出されたものであり、識以外に実在するものはないということです。

また、この識も誤った分別をするものにすぎず、それ自体存在しえないことをも含みます。

中観派は、インド大乗仏教二大哲学学派の一つです。

すべての存在は、その固有の本質をもたず(無自性)、空であると主張します。

サンスクリットでマーディヤミカMādhyamikaといいます。

1~2世紀の竜樹(ナーガールジュナ)を開祖とします。

その主著《中論》より学派名を得ました。

中論は、初期大乗仏教を基礎づけた書物で、それ以降の大乗仏教はすべてその思想を受け継ぎ、そのため龍樹は八宗(大乗仏教の全宗派。中国八宗と呼ぶ場合の八宗は、日本仏教の現在、法相宗・禅宗・密宗・法華宗・天台宗・三論宗・律宗・華厳宗のことを言います。)の祖と称せられます。

その中心思想を一言でいえば、「縁起―無自性―空」で表されます。

八つの否定をもって始まり、独立の実体ないし本質、すなわち自性、および自性を立てようとする考えを、独自の相依(そうえ)による縁起説によって完全に否定し、それを深く体得したところを空とし、さらに中道(ちゅうどう)とも説きます。

無自性niḥsvabhāva निःस्वभाव (skt.)とは、それ自身で孤立的に存在する本体もしくは独立している実体を「自性」といい、それを否定して「無自性」が説かれます。

自性を立てて「法」(dharma)の体系を確立した説一切有部に対し、龍樹は、主著『中論』において、相依(そうえ)・相待(そうたい)の縁起説を新たに展開し、その理論により自性を根底から覆して無自性を徹底させ、ここに自由で広大な「空」のありかたが浸透します。

「無自性 = 空」は、実体的な思考を排除すると同時に、一切のとらわれのない悟りの境地を如実に示します。

無自性は、修行者にしてみれば、その意味は、深く認識作用に関わっています。

したがって、論者にしてみれば、拘泥する訳ですが、修行の一課程であり、空理空論のように、論敵とするものではありません。

現代科学からすれば、認識における「映写の映画」のようなもの?

北伝仏教について、私たちが仏教というとすぐに思い浮かべる寺院の中心に据えられた仏像というのは、仏教の本来の姿ではなく、ヘレニズムの影響でクシャーナ朝時代に始まり、それが衆生を救済するという大乗仏教の菩薩信仰と結びついて、中国を経て日本にも及んで来たものでした。

なお、宗教というと、拝めば守ってもらえる現世利益の神秘的なものだと思っているかもしれませんが、ブッダが説かれた本来の仏教は、そのような宗教ではないのです。

すなわち、これは現代人にも通じる、「生きるとは如何なることなのか、人はどう生きるべきなのか」という大切なテーマについて学ぶ教えです。

現世利益とは、信仰した結果がこの世において実り、欲望が達せられるということです。

現世利益とは、また、神仏の恵みが現世で与えられるとする信仰でもあります。

日本では、一般的に、多種多様な神仏は、それぞれの特色に応じた恵みを、生活の様々な局面のなかで授けてくれるという世界観が根付いています。

一般的に、宗教における現世利益の位置づけは軽視されがちでありますが、日本においては、特に、その発足当初から、既に、神仏と切っては切れないものとして認識されています。

特に大乗仏教が伝来した中国においては、老子の神仙思想や現世利益が盛んであり、道術の範囲が非常に拡大され、政治術や科学的技術から仙術・呪術や予言・卜占などの宗教的霊力を含めるものとなりました。

いわゆるこのブログで述べている『五術』です。

その後、大乗仏教は、北インドから西域を経て後漢時代に中国に伝播し、いわゆる北伝仏教として、朝鮮半島を経て6世紀に日本に伝えられました。

最初は、鎮護国家としての仏教で、各地域に国分寺を建立しました。

鎮護国家とは、国家のわざわいをしずめ、安泰にすること、 また、そのために法華経・仁王般若経・金光明最勝王経などの護国経典を読誦し、あるいは息災増益などの修法を行なうことです。 

本題に戻り、インドでは、4世紀にはグプタ朝が成立しました。

この王朝は、ガンジス川流域に起こった王朝で、インドの文明を継承しており、その宮廷では従来の仏教と並んで、インド社会固有の宗教であるバラモン教から生まれて、その頃民衆に定着していたヒンドゥー教も保護されました。

この時代の仏教は、ただちに衰退したわけではなく、依然として宮廷の保護も受け、5世紀にはナーランダー僧院も造られています。

しかし、仏教は次第に民衆から離れた、いわば知識人の学問という性格に転換し始めており、民衆にはカースト制と結びついた伝統的な社会慣習を基盤とした多神教であるヒンドゥー教が深く浸透していました。

中国僧のインド来訪、グプタ朝からヴァルダナ朝にかけて、中国から多くの僧侶が仏典を求めてインドにやってきました。

5世紀初め、グプタ朝のチャンドラグプタ2世の時の法顕、7世紀のヴァルダナ朝のハルシャ=ヴァルダナ王の時の玄奘、7世紀末の義浄です。

玄奘と義浄は、ナーランダー僧院で学んでいます。

ナーランダー僧院は、グプタ朝の5世紀に創設され、ヴァルダナ朝でも栄えた仏教の僧侶養成学院です。

5世紀頃、グプタ朝の王の保護のもとに建てられた仏教の教学を学ぶ学院で、7世紀のヴァルダナ朝でも栄え、唐から訪れた玄奘と義浄もこの学院で学んでいます。

ガンジス川流域のビハール州南部、マガダ国の古都ラージャグリハに創建され、現在は遺跡が残っています。

ナーランダ僧院は、一時は数千人の学僧を集め、仏教教学を中心に、バラモン教の教学や哲学、医学、天文学、数学などを研究する総合大学でした。

バラモン教(漢字では婆羅門教)は、古代インドの民族宗教です。

バラモン教の根本聖典は、ベーダです。

ベーダとは知識の意で、宗教的知識を総集した聖典の名称となったものです。

ベーダには4種あって、神々への賛歌を集めた〈リグ・ベーダ〉、旋律に合わせて歌う詩歌を集めた〈サーマ・ベーダ〉、祭祀の実務に関する書を集めた〈ヤジュル・ベーダ〉、災厄を除く呪法の句を集めた〈アタルバ・ベーダ〉があります。

前13世紀ころ、アーリヤ人がインドに侵入し、そこで成立させた宗教です。

明確な教理はないが、梵我一如とウパニシャッド哲学に基づき、寺院などもありません。

ウパニシャッド(梵: उपनिषद्、upaniṣad )は、サンスクリットで書かれたヴェーダの関連書物で、一般には奥義書と訳されます。

ウパニシャッドの中心は、ブラフマン(宇宙我)とアートマン(個人我)の本質的一致(梵我一如)の思想です(ウパニシャッド哲学)。

ただし、宇宙我は、個人我の総和ではなく、自ら常恒不変に厳存しつつ、しかも無数の個人我として現れるものと考えられたとされます。

のちのヒンドゥー教の基礎となりました。

ナーランダ僧院は、ヴァルダナ朝、次のパーラ朝でも保護を受けたが、1200年頃、アフガニスタンから侵攻したイスラーム教徒のゴール朝によって破壊され、インドにおける仏教の繁栄は終わりを告げました。

また、これ以後、独自の中国仏教の展開が見られるようになりました。

なお、7世にはチベットにも伝えられ、土着の宗教と結びついて、独自のチベット仏教が成立しました。

密教の成立について、7世紀には大乗仏教の一つの宗派として密教も生まれました。

これは、神秘的な呪術によって、現世的な利益を図ろうとするもので、ヒンドゥー教の影響を強く受けたものでした。

密教は、中国にも伝えられて深められて、9世紀には中国に渡った空海や最澄によって日本に伝えられ、それぞれ真言宗の東密、大乗仏教の天台宗も後に密教をとりいれ台密として、日本の仏教の主流となり、独自に発展していきました。

密教は、 仏教の流れの一つで、文字通り、自己を非公開的な教団の内に閉鎖し、秘密の教義と儀礼を師資相承によって伝持しようとする秘密仏教をいいます。

顕教、すなわち広く民衆に向かって開かれ、その世界観を明瞭な言葉で説く通常の仏教に対し、対称的な反対の極にあります。

密教は、象徴主義的儀礼ないし観修法によって宗教理想を達成しようとする点に特徴をもちます。

『漢訳大蔵経』は、他の言語で書かれた聖典よりも、はるかに分量が多いものです。

漢訳大蔵経は、宋の太祖の時に刊行された漢語訳の仏教経典です。

大蔵経とは、一切経とも言われ、仏教の経(釈尊の教え)、律(僧侶の生活規範)、論(経の注釈書)の「三蔵」と、仏教の解説書などをすべて含む仏教典籍の総称です。

宋(北宋)の太祖(趙匡胤)の時、国家的事業として漢訳『大蔵経』の刊行が始まりました。

『大蔵経』刊行は、膨大な版木を作り、木版印刷するもので「宋版」といいます。

宋版は、1239年に完成しましたが、それより前の1236年には朝鮮で高麗版大蔵経が刊行され、現在も韓国の海印寺に保存されています。

また、初期の漢訳仏典は、必ずしも忠実な翻訳ではなく、中国人の人間観とか儒教の身分倫理に適合するように、内容をあらためて翻訳し、また冗漫な内容を簡約化しています。

宗派としては、昔から十三宗と称し、「毘曇・成実・律・三論・涅槃・地論・浄土・禅・摂論・天台・華厳・法相・真言」の諸宗を数えます。

(1)毘曇宗

毘曇宗は、中国仏教十三宗の一つです。

毘曇とは、阿毘曇の略称で、阿毘曇abhi‐dharmaは、対法と直訳される論のことです。

この宗派は、説一切有部という学派の論研究によって成立していて、法勝の《阿毘曇心論》と法救の《雑阿毘曇心論》を研究の中心とし、東晋の道安や慧遠らによって5世紀に成立しました。

阿毘曇心論は、インドのダルマシュレーシュティンが著しました。

成立は 250年頃です。

「心論」とも略されます。

説一切有部の思想は、『阿毘達磨大毘婆沙論』で確立しましたが、その綱要書です。

阿毘達磨大毘婆沙論は、有部の根本的論書である迦多衍尼子の『発智論』に対する大注釈書です。

その内容は、アビダルマ全体にわたり、カシュミール有部の正統説を広く詳細に示しています。

また、有部内の異端者と思われる西方師、犍陀羅国師、外国師などの異説を数多く引用し論破している点で、有部内の勢力や発展をうかがうことができ、さらに譬喩者、分別論者、犢子部、大衆部などの他部派の教義を多数紹介し、論難している点で、有部以外の部派の主張が明らかになります。

とくに本書は、譬喩者(ダールシュターンティカDārāntika)の「法は実有でない」という主張を論破することに激しい情熱を抱いているように思われます。

本書の題名から、有部はまた「毘婆沙師」(バイバーシカVaibhāika)ともよばれました。

(2)成実宗

成実宗は、仏教の宗派の1つで、『成実論』を研究する論宗(経を所依とせず、論を所依とする宗派)です。

『成実論』は、3~4世紀ごろのインドの仏教学者、訶梨跋摩(かりばつま)(ハリバルマンHarivarman)の作で、部派仏教(小乗仏教)の教理に大乗的趣旨を加味した仏教概説書です。

訶梨跋摩 Harivarman (4世紀頃) の著作で、 仏教の重要な教理である四諦の意義を論述し、また部派仏教の諸説を記し、サーンキヤ、バイシェーシカ、ニヤーヤなどのインド哲学派の説にも言及しています。

著者の立場は、いわば経量部にあるとみられます。

「苦、集、滅、道」の四諦を明らかにし、苦を滅して涅槃に至るためとして、禅定と空無我の真智とを説いています。

中国仏教の教理発展に大きな影響を与えました。

(3)三論宗

三論宗は、三論宗は、中国・東アジアの大乗仏教宗派の一つで、インド中観派の龍樹の『中論』『十二門論』、その弟子提婆の『百論』を合わせた「三論」を所依の経典とする論宗です。

空を唱える事から、空宗とも言います。

その他、無相宗・中観宗・無相大乗宗の呼び方もあります。

インドでは、中観宗といいます。

宗義は、仏教の根本的な哲学である「般若皆空・諸行無常」で代表される空の哲学を根幹としています。

他宗では経の価値の高下を説くのに対して、この宗では、人々を導く方法において一切の経典では区別はあるが、元来は、執着を離れるためである点で、同一価値を持つとするが、特にこの世界の現象そのものには実体がない、すなわち空であるという点を強調している点に特徴がみられます。

インドでは四世紀中期ころから盛行をみ、中国へは五世紀の初め鳩摩羅什によって『百論』『中論』『十二門論』が漢訳され、研究されました。

百論の解説は、鳩摩羅什 により 訳され、それは 竜樹の「中論」に基づいて空  の思想を明らかにしたものです。

十二門論は、龍樹が著わした大乗空観の理を一二章に分けて解説したもので、同じ著者の「中論」の綱要書です。

同じく鳩摩羅什 により 訳されました。

その後、道生・曇済・法朗を経て、法朗の門下より隋の嘉祥大師吉蔵を出しました。

三論宗という宗の組織体系を与えたのは吉蔵で、吉蔵を宗祖とします。

吉蔵は、釈迦の教理は唯一理の顕揚で、二諦八不の理を終極の思想とし、破邪即顕正すなわち諸宗の偏執を取り除き、中道の理を顕すことを本旨としました。

(4)涅槃宗

涅槃宗は、中国仏教の宗派の一つです。

大乗仏教の伝える『大般涅槃経』に立脚し、その中に見える重要な思想、すなわち、この世の生きとし生けるものには、本来仏陀となる可能性が備わっている (一切衆生悉有仏性 ) とする思想を基本とします。

大乗涅槃経の基本的教理は、

①.如来常住(にょらいじょうじゅう)

②.一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)

③.常楽我浄(じょうらくがじょう)

④.一闡提成仏(いっせんだいじょうぶつ)

以上の4つを柱として要約されます。

釈迦の入滅という初期仏教の涅槃経典と同じ場面を舞台にとり、また諸行無常という仏教の基本的理念を踏まえながら、如来の般涅槃は方便であり、実は如来は常住で変易することがないとして、如来の法身の不滅性を主張します。

また、如来(仏)は、涅槃の教法(法)を説く教団(僧)と共に一体で常住し不変である(三宝一体常住不変)と説き、その徳性を常楽我浄の四波羅蜜(四徳)に見いだし、またそれを理由に、「一切衆生はことごとく仏性を有する」(一切衆生悉有仏性)と宣言します。

この経は、『法華経』の一乗思想を受け入れ、如来蔵思想によってそれを発展させました。

一乗思想とは、仏教の種々の教説はいずれも存在意義があり、それぞれ釈尊が人々を導くために方便として説いたもので、実は唯一の真実の教えがあるのみであるとする思想です。

なお、「一切衆生悉有仏性」は、近代の大乗仏教において、衆生つまり人間以外の山川草木や動物などもすべてにおいて仏性があるという解釈から「一切悉有仏性」とも言われるようになりました。

また、『法華経』同様、大乗を誹謗するものに対して厳しい姿勢をとり、これを一闡提(いっせんだい。梵: iccantica欲望よりなる者、の意)と呼び、仏となる可能性をもたない(一切衆生の例外規定)とします。

しかし、後の増広部分(法顕訳にない北本の第11巻以下)では、その主張を緩和し、方便説として、闡提にも仏性はあり成仏できる可能性はあるとします。

この経は4世紀の成立で、龍樹には知られていません。

なお、この如来常住や常楽我浄は、釈迦仏が衆生の機根にあわせて教えを説いた仏教の段階的説法の最終形といえます。

(5) 地論宗

地論宗は、世親の著『十地経論』をもととする中国仏教の一派です。

北魏の勒那摩提 、菩提流支 の2人が『十地経論』の梵本を漢訳したのが初めで、のち光統律師 (慧光) が出て本論の研究を盛んにし、地論宗と呼ばれるようになりました。

南道派と北道派に分裂し、梁代、陳代、随代には盛んでありましたが、唐代に華厳宗に合併しました。

(6)浄土宗

浄土宗は、宋代に形成された、仏教の浄土信仰から生まれた宗派です。

中国仏教の初期の南北朝時代に始まった末法思想の中から、苦難に満ちた現世から離れて極楽浄土に往生しようという浄土思想が起こりました。

このような仏教の一派を浄土教といい、宗派としては浄土宗といいます。

浄土教の思想は、東晋の慧遠に始まり、6~7世紀の曇鸞、道綽をへて、唐時代の善導によってその信仰は深められ、唐の仏教の中で発展しました。

同時期に成立した禅宗の難行に対して、一切を阿弥陀仏によって救済されることを信じる他力本願であり、誰でもできる易行を説いて民衆に広がりました。

特に宋代にはいると民間の仏教として浄土宗が主流となりました。

(7)摂論宗

摂論宗は、無着の『摂大乗論』の学説を基として成立した一派です。

無着までの大乗仏教の教義をまとめたもので、『大乗阿毘達磨経』・『解深密経』・『十地経』・『般若経』が引用されています。

大乗仏教の精髄を唯識説の立場から10章にまとめて示した論典です。

この論を世親が注釈した『摂大乗論釈』が、梁~陳の代に真諦によって中国に伝えられ、真諦の門人がこの論を講じて義疏をつくり、次第に相承して一派を形成しました。

(8)華厳宗

華厳宗とは、当時の中国である唐の地論宗を原点に、唐の僧、杜順が興した宗派です。

華厳宗の教示である華厳経学は、歴史の中でさまざまな宗派の教示を取り入れて完成に至りました。

現代では、仏教思想の代表のひとつとされています。

華厳宗の教示である華厳経学は、華厳経をもとに日本で独自の発展を経て体系化された宗学です。

華厳経学の特徴としてよく例にあがるのは、「四法界」という世界の見方です。

四法界とは、仏の心に映る世界を表します。

四法界の名の通り、世界は4つの見方ができるということです。

4つの見方にはそれぞれ名前があり、事法界、理法界、理事無礙法界、事事無礙法界と呼ばれています。

四法界という世界の見方を通じて示されていることは、「自分本位にならない」ということです。

偏ったものの見方や、自分に都合のいいように物事を解釈せず、出来事や存在するものをありのままに見ることが大切だと教えられています。

四法界とは、華厳宗で説く四種の存在の領域で、存在するもの(法)の世界を現象と本質の二面から見たもので、

①.差別的な現象の世界(事法界)

②.本質的な理の世界(理法界)

③.両者が融通する一体不二の世界(理事無礙法界または事理無礙法界)

④.事象・事物がそのままで相互に交流し融合する真実の世界(事事無礙法界)の称です。

(9)法相宗

法相宗 とは、インド瑜伽行派(唯識派)の思想を継承する、中国の唐時代創始の大乗仏教宗派の一つです。

645年、中インドから玄奘三蔵が帰国し唯識説が伝えられることになります。

その玄奘の弟子の慈恩大師基(窺基)が開いた宗派です。

唯識宗・慈恩宗・中道宗とも呼ばれます。

(10)律宗

律宗は、戒律の研究と実践を行う仏教の一宗派です。

中国で東晋代に戒律について翻訳されると、唐代には道宣が成立させました。

(11)禅宗

禅宗は、6世紀の初め、インド僧の達磨が開宗、唐より宋初にかけて、中国文明の再編とともに、民族自らの宗教として独自の教義と歴史をつくりました。

(12)天台宗

天台宗は、中国を発祥とする大乗仏教の宗派のひとつです。

諸経の王とされる妙法蓮華経(法華経)を根本仏典とするため、天台法華宗とも呼ばれます。

名称は、実質的開祖の智顗が天台山に住んでいたということに由来します。

(13)真言宗

インドで芽生えた密教は、大日経と金剛頂経の二つの系統に分かれて唐へ伝わります。

この二つの密教を、唐の恵果が承継しており、空海が唐へ渡り、伝授されます。

なお、その後、近代の中国仏教は、禅宗に浄土信仰を混じたもので、道教の俗信とも融合しています。

日本へは、欽明天皇の治世(六世紀半ば)に仏教が伝わりました。

歴朝皇室の尊崇をうけ、特に推古朝の聖徳太子のときに非常に盛んになりました。

主に支配階級の援助を受けて広まりましたが、鎌倉時代からのちは民衆のあいだに浸透し、それとともに仏教そのものが、著しく日本的なものにあらたまりました。

奈良時代には、「律・成実・倶舎(以上は「小乗」)・三論・法相・華厳」の六宗派が大陸から移入されたが、主に学問的な宗派として支配階級や学僧のあいだに遵奉されていたにとどまり、後代には衰えました(今では、「律・法相・華厳」の三宗派だけが残っています)。

そのように、南都六宗が成立しましたが、具体的には、次のようなものです。

 (1) 三論宗

入唐して吉蔵に学んだ高麗僧、慧灌が、すでに推古天皇の時代に来日して広めました。

その高弟の智蔵、智蔵の弟子の道慈や智光がこの教えを深め、大乗仏教の基礎学として学ばれました。

 (2) 法相宗

道昭から玄昉に至る多くの学僧が入唐して学び、帰国後、藤原氏の氏寺の興福寺で多くの弟子を教えたため最も栄え、その伝統は法隆寺などに残って今日まで続きます。

道昭の弟子に行基がおり、諸国を巡歴して大いに社会事業に尽くしました。

 (3) 成実宗

智蔵が伝え、三論宗の付宗となりました。

 (4) 倶舎宗

倶舎宗とは、中国・東アジアの仏教宗派の1つです。

世親が著した『アビダルマ・コーシャ』 とその漢訳本である真諦訳『阿毘達磨倶舍釋論』・玄奘訳『阿毘達磨倶舍論』、それらの注釈書を中心として諸経論を研究・講義し、師資相承する学僧たちの一派です。 

法相宗の付宗として広く学ばれ、また仏教学全体の基礎としての学究は、現在も継承されています。

 (5) 律宗

唐から来日した華厳の学僧の道璿が四分律宗を伝えたのに始まり、のち鑑真が来日して、完成した律を教え、東大寺の戒壇において聖武天皇をはじめ400余人に戒を授け、のち唐招提寺を戒律の根本道場としました。

 (6) 華厳宗

道璿の伝来のあと、直接に法蔵から学んだ新羅の審祥が来日して広まり、その第一の弟子が良弁でありました。

華厳の理念に基づいて東大寺の大仏(毘盧遮那仏)が建立され、聖武天皇の帰依を受けて全国の国分寺を従えました。

その後、平安時代初期には、伝教大師最澄によって「天台宗」が、弘法大師空海によって「真言宗(密教)」が伝えられたが、現実には呪術的儀礼体系として重んじられていました。

平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて「浄土教」が盛んとなり、良忍が「融通念仏宗」を、法然房源空が「浄土宗」を、親鸞が「浄土真宗」を、一遍が「時宗」を創始しました。

浄土教とは、極楽浄土に往生することを説く教えです。

阿弥陀仏の誓いを信じ、念仏して死後に極楽浄土に生まれることを願う教えです。

「浄土宗・浄土真宗・時宗・融通念仏宗」などがあります。

浄土思想に由来します。

これに対して「法華経」を尊崇する立場から、日蓮が「日蓮宗」を開きました。

「法華経」は、大乗仏教の代表的な経典であり、誰もが平等に成仏できるという仏教思想が説かれています。

また、大陸から「禅宗」が移入され、栄西らが「臨済宗」を、道元が「曹洞宗」を伝えました。

江戸時代には、隠元により「黄檗宗」が伝えられました。

禅は、特に武士に信奉されました。

「禅宗」とは、中国と日本の、仏教の一派です。

6世紀の初め、インド僧の達磨が開宗、唐より宋初にかけて、中国文明の再編とともに、民族自らの宗教として独自の教義と歴史をつくり、鎌倉時代以後、日本にきて結実しました。

経論の学問によらず、坐禅と問答によって直接に仏陀の心に目覚める、見性悟道を説きます。

近世、中国の仏教は、皆、禅宗を名乗りますが、日本では、他の諸宗に伍して、「曹洞宗、臨済宗、黄檗宗」の3派を数えます。

「曹洞宗」は、中国の禅宗五家の1つで、中国禅宗の祖である達磨から数えて6代目の南宗禅の祖、曹渓宝林寺の慧能の弟子の1人である青原行思から、石頭希遷、薬山惟儼、雲巌曇晟と4代下った洞山良价によって創宗されました。

日本仏教においては、禅宗の1つであり、始まりは、鎌倉仏教の1つとしてでもありました。

本山は、永平寺、總持寺です。

「臨済宗」は、中国禅宗五家(中国の禅宗五家とは、「臨済・潙仰・曹洞・雲門・法眼」のこと。)の一つで、唐の時代の臨済義玄を開祖とします。

日本には、鎌倉時代初期に栄西により伝えられ、「曹洞宗や浄土宗、浄土真宗、時宗、法華宗」とともに鎌倉新仏教の一つに数えられます。

「黄檗宗 」 は、日本の三禅宗のうち、江戸時代に始まった一宗派です。

江戸時代初期に来日した中国の名僧、隠元隆琦(1592 - 1673年)を開祖とします。

臨済宗の一派です。

仏教だけでなく文化や食べ物など広く日本に伝えられたきっかけとなる宗派でもあります。

なお、中国の禅宗五家とは、中国禅宗集団の分派の総称です。

達磨を開祖とする禅宗は、五伝して、唐代に南宗の慧能と北宗の神秀の禅に分かれ、南宗の禅がさらに大きく展開しました。

南宗の禅は、慧能の弟子の青原行思と南岳懐譲の系統が後世まで発展し、青原系より洞山良价と弟子の曹山本寂の「曹洞宗」、雲門文偃の「雲門宗」、法眼文益の「法眼宗」の3家が成立、南岳系より潙山霊祐と弟子の仰山慧寂の「潙仰宗」、臨済義玄の「臨済宗」の2家が成立し、これらをあわせて「五家」といいます。

宋代になって臨済宗がとくに勢力をもち、臨済宗の慈明楚円の弟子の黄竜慧南と楊岐方会の系統に分かれ、それぞれの系統を「黄竜派、楊岐派」とよぶようになりました。

この2派を五家に加えて「七宗」といいます。

その後、室町時代末期の社会変動期に、「真宗」と「日蓮宗」とは、一般民衆のあいだに急激に広まりました。

「浄土真宗」は、大乗仏教の宗派のひとつで、浄土信仰に基づく日本仏教の宗旨で、鎌倉仏教の一つです。

鎌倉時代初期の僧である親鸞が、その師である法然によって明らかにされた浄土往生を説く真実の教えを継承し展開させました。

親鸞の没後に、その門弟たちが教団として発展させました。

古くは「一向宗」「門徒宗」などと俗称されました。

なお、「小乗仏教」というのは、大乗仏教側が使った蔑称であるので、上座部仏教に代表される部派仏教の側では使われませんでした。

そこで、小乗という呼び方は、世界仏教徒会議(1952年)の申し合わせで、南方仏教の呼称などとしては用いないことにしました。

現在では、大乗仏教以外の仏教、東南アジアに広く信仰される仏教は、「上座部仏教」(または上座仏教)ということが多いようです。

それだけでなく、上座部仏教の立場からは、「大乗仏教」は本来のブッダの教えからはなれてしまったもので仏教ではない、ブッダの教えではない、という見解さえ有ります。

仏教の歴史を辿ってみますと、そのように変遷がありますが、現代では、現代人の意識変化に合わせた宗教というものも、模索されています。

この時代、ブッダの時代から3千年近くも経ちました。

多様な個々人である、現代人の悩みに寄り添った宗教性が求められています。

別に、現代人向けの本を予定しています。

ご希望の方には、頒布します(ただし、別サイトです。また、有料です。)。

 

○参照、仏教典籍

上座部仏教・部派仏教

パーリ語仏典(前4世紀 - 前1世紀)

律蔵

パーリ律

経蔵 長部〜増支部(阿含経) 

サーマンニャパラ経(沙門果経), マハーパリニッバーナ経(大般涅槃経)等

経蔵 小部 

ダンマパダ(法句経), スッタニパータ, テーラガーター, テーリーガーター, ジャータカ, ミリンダ王の問い等

論蔵 

各種の論

大衆部(前3世紀) 

摩訶僧祇律 · 増一阿含経

説一切有部(前2世紀) 

十誦律 · 中阿含経 · 雑阿含経 · 六足論 · 発智論(前1世紀)・婆沙論(2世紀)・

倶舎論(4世紀)・順正理論(5世紀) (根本説一切有部 根本説一切有部律)

化地部 

五分律

法蔵部 

四分律 · 長阿含経

経量部(3世紀) 

成実論(4世紀)

分別説部(南伝仏教) 

清浄道論(5世紀)・アビダンマッタサンガハ(11世紀)

大乗仏教

大乗仏教・初期 

般若経[>理趣経](前1世紀-1世紀)[>般若心経]

維摩経(1世紀)

法華経[>観音経](1世紀) --- 「法華三部経」

華厳経[>十地経](2世紀)

無量寿経 · 観無量寿経 · 阿弥陀経 --- 「浄土三部経」

馬鳴 

ブッダチャリタ(2世紀)

龍樹(中観派) 

中論 · 百論 · 十二門論 · 大智度論 · 十住毘婆沙論(3世紀)

大乗仏教・中期 

如来蔵経(3世紀)

勝鬘経(3世紀)

大宝積経

大般涅槃経

大集経

金光明経(4世紀)

仁王経(4世紀)

楞伽経(4世紀)

解深密経(4世紀)

大乗阿毘達磨経(4世紀)

唯識派(瑜伽行派) 

瑜伽師地論 · 大乗荘厳経論 · 宝性論 · 摂大乗論 · 唯識三十頌(4世紀)・

因明正理門論 · 集量論 · 成唯識論(6世紀)

弥勒大成仏経(成仏経) · 弥勒下生経(下生経) ·

観弥勒菩薩上生兜率天経(上生経) (4世紀-5世紀) --- 「弥勒三部経」

薬師瑠璃光如来本願功徳経(5世紀)

地蔵菩薩本願経(5世紀)

密教(金剛乗)

(大乗仏教・後期) 

蘇悉地羯羅経(蘇悉地経) · 大毘盧遮那成仏神変加持経

(大日経・毘盧遮那経)・金剛頂経[>理趣経](7世紀) --- 「大日三部経」

(「真言三部経」)

無上瑜伽タントラ(8世紀 - 11世紀) 

幻化網タントラ · 秘密集会タントラ(8世紀)・呼金剛タントラ ·

勝楽タントラ(9世紀)・時輪タントラ(11世紀) 

三蔵・一切経・大蔵経

パーリ語 

パーリ語仏典(ティピタカ)

サンスクリット語 

サンスクリット仏典

漢語 

大正新脩大蔵経 · 日本大蔵経

チベット語 

チベット大蔵経

日本語 

日本語訳大蔵経 

南伝大蔵経 · 国訳一切経 · 国訳大蔵経 · 昭和新纂国訳大蔵経 · 新国訳大蔵経 他.

 

 

            パーリ語仏典

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   


祈り

2024-10-13 09:30:23 | その他

 

 

 

 

 

 

祈り

 

 

 

 

 

 

 

 

 


仏教の歴史( 副題 実在の仏教 )

2024-10-13 09:30:07 | その他

 

 

 

 

仏教の歴史( 副題 実在の仏教 )


仏教は、仏陀と称せられる歴史的人物ゴータマの創始した宗教です。

仏教の開祖は、姓をゴータマGotama(瞿曇)(梵: गौतम)、個人名をシッダッタSiddhattha(梵: सिद्धार्थ)といいます。

ブッダ(梵: बुद्ध buddha)は、「目覚める」を意味するブドゥ(梵: बुध् budh)に由来します。

「目覚めた人」という意味です。

インドの宗教一般において、すぐれた修行者や聖者に対する呼称です。

仏教で用いられ、釈迦の尊称となりました。

前四六三年ごろ(他の学説によるとそれよりも約一世紀以前)に釈迦(パーリPāli語でŚākiya、サンスクリットSanskrit語でSākya)族の中心地であるカピラ城Kapilavastuに国王であるスッドーダナŚuddhodana(浄飯王)の長子として生まれました。

青年時には王子として現世的な快楽の生活にふけったが、満足できず、ふかく人生の問題に思い悩み、二十九歳で出家し、山に入って六年間修行し、ブッダガヤーBuddhagayāの菩提樹のもとで悟りを開き、ブッダBuddha(仏陀、「真理を悟ったもの」の意)となりました。

この真理は、世間の常識に逆行するものであり、「法を説いても、世間の人々は、悟りの境地を知ることはできないだろうから、語ったところで徒労に終わるだけだろう。」との結論に至りました。

ところが梵天が現れ、衆生に説くよう繰り返し強く請われました(梵天勧請)。

3度の勧請の末、釈迦は世の中には煩悩の汚れも少ない者もいるだろうから、そういった者たちについては教えを説けば理解できるだろうとして開教を決意しました。

その後は、中インドの諸地方を遊歴して教化につとめ、八十歳でクシナーラーKusinārāで病死しました。

尊称して釈迦牟尼Sākiya-muni(梵: शाक्यमुनि 釈尊、「釈迦族出身の聖者」の意)と称されます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 


不思議な映像 !?

2024-10-12 23:24:19 | その他

 

 

 

 

 

不思議な映像 !?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


不思議な映像 !?

2024-10-12 23:23:49 | その他

 

 

 

 

 

不思議な映像 !?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ペンタゴンの見知らぬ人であるValiantThor( 副題 善意のムダ。そして、終末期を迎える !? ) 

2024-10-12 21:41:19 | その他

 

 

 

ペンタゴンの見知らぬ人であるValiantThor( 副題 善意のムダ。そして、終末期を迎える !? ) 

 

ペンタゴンの見知らぬ人であるValiantThor、1950年代に国防総省に3年間住み、助言した地球外のヴァリアント・トール、 彼はアイゼンハワー大統領と当時の副大統領リチャード・ニクソンに会い、何かを警告した。

1967年に読者に提示されたフランクストランジ博士による本「ペンタゴンの見知らぬ人」に登場しました。

惑星金星からのエイリアンの訪問者、ヴァリアントトール、ある会議で、ストレンジ博士はペンタゴンの従業員から連絡を受け、トールに直接会うことを申し出ました。 

 ハワードメンジャー 1950年代後半のニュージャージー州ハイブリッジのコンタクティー事件、ヴァリアントトールは、地球に到着しました。

この地域を巡視している警察官が、彼を最初に見つけました。 

最初に、彼らはバージニア州アレクサンドリア市の近くの畑にゆっくりと着陸したエイリアンの船を見ました。 

それから背の高い男が出て行きました。 

彼は、警察が到着するのを待つのをやめました。 

エイリアンは、法執行当局にドワイト・アイゼンハワー米国大統領との会談を手配するよう要請しました。 

警察は、すぐに上司に連絡し、上司は見知らぬ人の要求を国防総省に伝えました。

すぐに、国家安全保障局のエージェントがエイリアン船の着陸地点に到着しました。 

彼らは、その男を国防総省に連れて行きました。 

彼は、ValiantThorとして自己紹介しました。 

その日、エイリアンはペンタゴンのセキュリティシステム全体をからかいました。 

彼は、念力だけを使ってそれを簡単に迂回した。 

トールは、テレパシーを使用して米海軍の司令官と通信しました。 

その後、国防長官のチャールズ・ウィルソンに紹介されました。

ヴァリアントは、彼が船「ビクター-1」で金星から惑星地球に飛んだと言いました。 

自宅では、彼は「評議会-12」のメンバーです。 

他の世界の代表者は、しばしば彼に助けを求めます。 

それは、彼らの問題の解決策を見つけるのに役立ちます。 

したがって、トールは宇宙のさまざまな場所に送られることがありますが、彼の主な仕事は銀河系の秩序を維持することです。 

彼は、核兵器の在庫を減らすという問題に対処するために地球に来ました。

それは、戦争の場合には普遍的な規模の大惨事につながる可能性があります。

トールは、アイゼンハワー大統領に高等評議会の指導者の演説の記録を手渡した。 

彼らは、核兵器の生産を停止することと引き換えに、地球人に新しい技術へのアクセスを提供し、精神的な発達を助けようとしました。 

大統領は、既存のシステムのうえに成り立っていたので、防衛を担当する将軍に新しい兵器の開発をやめるよう説得することができなかった。

その後、国家元首はトールに3年間の特別なVIPステータスを付与しました。 

この間、彼は核戦争を防ぐために様々な高位の個人と会い、コミュニケーションをとることができました。 

ヴァリアントもいくつかに関与したと考えられています 。

彼のIQレベルは、1200ポイントで、平均的な人の知能レベルの数百倍でした。 

彼は意のままに現れたり消えたりする能力を持っていました。

しかしフィルは彼が政府の秘密のプロジェクトの多くに精通していることを聴衆に保証した。 

彼は、米国当局が1954年に別の凶悪なエイリアンと「グレナダ協定」に署名したと言った。

フィルはまた、政府が地震を引き起こす可能性のある特別な装置を持っていて、それらのエイリアンが地球に侵入しようとしていることを知っていました。 

既存のシステムは、権力構造のもとに成り立っています。

「ペンタゴンの見知らぬ人」の善意の提案は、実りませんでした。

時間がムダに経過し、終末期を迎えようとしています。

最近、司令官ソー(Valiant Thor)のテレグラム、時間が許せばもっと詳しく説明するつもりだ。

内なる地球の存在たちの最初の層を持つことは、私たちにとって大きな助けとなります。

内なる地球の存在たちは悪の存在に気づいています。

地球上で核兵器が爆発することは二度とない。

アメリカが日本に核兵器を投下したとき、それは銀河系全体に波紋を広げ、私と私の家族が地球に来た一番の理由であることを知っておいてほしい。

核兵器が投下されて以来、私たちはあらゆる政府機関に所属しています。

私の金星人ファミリーは、ここに2,000人いて、その半数がすべての政府に潜入している。

私のような他の者たちは、プレアデス人、アークトゥリアン、アンドロメダ人、オリオン光の評議会、9の評議会、12の評議会、セルポアン、光の評議会、シリーズA+B、リラン、磁気ベールの向こうからのエネルギー存在、アセンデッド・マスター、天使、その他挙げればきりがないほど多くの者たちとともに、悪を根絶するためにここにいます。

過去の経験から、アプローチの仕方を変え、自主性尊重のために善意の異星人を募り地球にスターシードとして転生させ、その祈りにより地球のアセンションを達成させることにしました。

惑星レベルでの凶悪異星人の逮捕は、間近(現時点では、ほぼ完了。今後の太陽フレア、電磁雲(フォトンベルト)により消失を予定。)

 

 

 

作品挿絵;解説

実話からインスピレーションを得た作品。宇宙使者であるヴァリアント・ソーは 1957 年にアイゼンハワー大統領と会談し、3 年間 VIP の地位に置かれます。ソーは人類に援助を与えるためにやって来ましたが、軍産複合体と影の政府だけが彼の高度な技術を欲しており、それを手に入れるためにあらゆる手段を使います。

□今回のブログは、この作品から参考に最近の事情を得て構成しました。

 

 

 


“永遠の若さを保つ液体”に入った800万年前の謎の美女ミイラ! ロシアで再注目されました。

2024-10-06 22:10:38 | その他

 

 

 


“永遠の若さを保つ液体”に入った800万年前の謎の美女ミイラ! ロシアで再注目されました。

 

以前ロシアで発見されたミイラはなんとそれらをはるかに上回る800万年前!?のものではないかという驚きのニュースが報道されました。

1969年にシベリアで発見された“眠れる美女”!?

事の始まりは1969年9月, 露シベリア連邦管区にあるケメロヴォ地区の村でとても奇妙な墓が見つかったことだ。

炭鉱で石炭の採鉱作業をしていたひとりの坑夫が, 地下70メートル付近で大理石の棺を発見したのである。

すぐに採掘作業は中断され棺は地上へと引き上げられたが棺は正確な機械的構造をしており, 蓋は既に化石化しているがパテで封をされている状態であった。

その時風はそんなに強くなかったが太陽熱の影響もありパテは溶けて流れてしまったという。

その場にいた人々は思わず息を飲んだ。

棺の中はピンクがかったブルーの透明な液体がふちのギリギリまで溢れそうに入っており, 中にあったダークブラウンの布で覆われたものを丁寧に剥いでいくと横たえられた美女が現れたのである。

女性は細身で推定30歳ほど, 大きな青い瞳のヨーロッパ系の顔立ちをしていたという。

袖に色鮮やかな花の刺繍が施され, ひざ下丈の白いレースが透けているドレスを着ていたが, 下着類は身につけていなかった。

死んでいるのではなく, ただただ, まるで眠っているだけのように見えたということだ。

頭のそばには, 携帯のような角の丸い, 約25センチ×10センチほどの黒くて四角い金属の箱が置いてあったようだ。

半日後には棺の蓋は完全に開けられ, 村中の人たちが我先にと見学に押し寄せた。

そして24時間以内には, この不可思議な発見のニュースは地区の全域にまで広まることとなったのである。

消防団や軍隊, 民兵隊までもが真偽を確かめにやってきてついにはヘリも到着し, 伝染病の恐れがあるとして付近にいた野次馬は遠ざけられてしまった。

事態を重く見た当局は現場を封鎖し, 棺に触れた者をはじめ, 近くにいた見物者全員を隔離したという。

ウェアリング氏いわく「この女性は発見時まだ生存していた。」

その後半世紀近くも話題に上らず, 立ち消えになっていたこのミイラだが, ロシア国内で当時の目撃者インタビューを含む特集が組まれ, 最近また日の目を見るようになった。

だが, 女性の遺体は現在記録映像で確認することができるが, 残念ながら既に液体は取り除かれ, 当時の“生きているかのような”という記述からは程遠い, 誰もがイメージするミイラの状態になってしまっている。

発見から現在に至るまでどうやら詳しい調査は行われた形跡はないようだ。

このミイラに着目した前述のウェアリング氏は独自の見解を述べている。

「この女性は発見時にはまだ生存していた可能性がある。女性は石棺のようなものの中に満ちていた液体によって保存されている状態で, もし仮に女性が死亡していたとしても, そのおかげで生存前の若さを保つことができたのだろう」

「担当した当時のロシア人研究者はこの事実を知っていたはずだ。液体は分析され, 最終的には再現に成功していたかもしれない。だとすれば, 液体の謎を突き止めた研究者はその情報を隠匿して自分自身に用いたに違いなく, もしかしたら現在もまだどこかで生きていてこの液体によって若さを保っているかもしれないのだ……」

古代ミイラのように人工的にミイラ化させようとすれば, 身体の腐敗が進行するよりも早く急激な乾燥を行うべきで, 今回のように液体に身体が浸かった状態であると通常は腐敗したり劣化が進んでしまうはずである。

女性はなぜ生存しているかのような状態を保っていたのか? 

棺を満たしていたという液体はなんだったのか? 

そして女性の正体はいったい何者だったのか? 

すべてはいまだに謎に包まれたままだ。

世界中のUFO情報や宇宙の謎を追い続け, 自身のブログ「UFO Sightings Daily」で発表しているUFO研究家のスコット・ウェアリング氏によると, このミイラはまだ人類が地球上に存在していない時代のエイリアンの女性であり、さらにはエイリアンの特殊な不老不死技術によって生存状態を保たれていたのではないかというのだが……。

不思議ですが, 真相は不明です。

引用 http://tocana.jp/2017/01/post_12073_e...

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


不思議, 雲の上を歩く人間像

2024-10-01 00:05:53 | その他

 

 

 

 

 

不思議, 雲の上を歩く人間像