マラナタ マラナタ

今天にいます主イエス・キリスト様はまもなく空中まで降りて来られます。マラナタ!

聖書を刻む 13

2011年02月16日 | 聖書を刻む
しかし、わたしは、あなたがたのことを知って元気になりたくて、テモテをすぐにあなたがたの所に送ろうと、主イエスにあって望んでいます。

なぜならば、あなたがたについてのことを、真実にこれからも心配し続けるような、わたしと同じ心の人は彼のほかにはいないからです。

なぜならば、全ての人々は自分自身の働きのことを追求していますが、イエス・キリストの働き全体のことを追求してはいません。

あなたがたはテモテの適性について知っています。なぜならば、彼はわたしと共に、親子のようにして、福音伝道に従事してきたからです。

それで、わたしはわたしに関することの見通しが付き次第ただちに、テモテを送ろうと願っています。それで、私自身も近いうちにあなたがたのところに行くことを主にあって確信しています。

さて、わたしはわたしの兄弟で同労者、戦友であり、しかもあなたがたの全権大使、そしてわたしの窮乏のための奉仕者であるエパフロデトをあなたがたのところに送ることが必要であるとの思いに至っています。

彼は、あなたがたすべてを慕い求めており、また、自分の病気のことがあなたがたに伝わったことを気にしているからです。

実際に、彼はほとんど死ぬほどに病気でした。しかし、神は彼を憐れんでくださいました。彼だけではなく、わたしをも、悲しみの上に悲しみを持つことがないように、憐れんでくださいました。


聖書を刻む 12

2011年02月15日 | 人の生死
すべてのことを不平不満なしに、また反論せずに行いなさい。それは、あなたがたが、曲がった邪悪な世代の中にあって、非の打ち所のない、また純真な者たち、すなわち傷のない神の子供になるためであり、あなたがたが邪悪な世代の中にあって、世の中の発光体として輝くためです。

いのちのことばをしっかりと保っていなさい。

それは、わたしがキリストの日に、無駄に走らなかったと、また無駄に労しなかったと、大いに喜ぶためです。

しかし、もし仮に、わたしが、あなたがたが捧げるいけにえと礼拝に加えて、自分の血を注いで捧げることになっても、わたしは喜びます。あなたがた全てとともに喜びます。あなたがたもこのことを喜んでください。わたしとともに喜んでください。

聖書を刻む 11

2011年02月14日 | 聖書を刻む
わたしの愛する者たちよ、あなたがたが常に従順であったように、わたしがあなたがたと共にいる時だけではなく、むしろ、いない今は一層のこと、恐れとおののきとをもって、あなたがた自身の救いの実を生み出し続けなさい。

なぜならば、わたしたちの中に、神のお喜びのために事を実行する意志と、またその結果を生み出す働きを起こしてくださるお方は神であられるからです。


聖書を刻む 10

2011年02月13日 | 聖書を刻む
それで、もしキリストの中にいくらかでも慰めがあり、愛による励ましがあり、また御霊による交わりがあり、また憐れみと同情があるならば、同じ愛を持ち、心を一つにして、同じ思いを抱くことによって、わたしの喜びを完全にしてください。一つ思いになってください。

だれも党派心によらず、また虚栄心によらず、かえって謙遜な心をもって、お互いを自分よりも優れていると考えなさい。

各々が自分自身のことに注目し続けず、他の人のことに気を配りなさい。

キリスト・イエスの御心の中にあるこの思いを、あなたがたの間にもあるように心にかけなさい。

神の御姿であられた主は、神と等しくあることを、手放したくない獲物とは考えられませんでした。かえって、ご自分を空しくされ、奴隷の姿を取られました。そして、人間と同じ姿になられ、人間としての外観でお現われになりました。

そして、ご自分を貧しくされました。さらに死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで、従順になられました。

このゆえに神は、この方をこの上もなく高く上げられ、この方に全てのの名に勝る名を賜りました。それは、イエスの御名によって、天上にある、また地上にある、また地下にある全ての膝がかがめられ、そして全ての舌が、父なる神のご栄光のために、イエス・キリストは主である、と告白されるためです。

聖書を刻む 9

2011年02月09日 | 聖書を刻む
肉体の中にある、そのいのちの活動そのものが、わたしのために、実に、実を結ぶ働きであるので、どちらを選ぶべきか、わたしにはわかりません。

わたしは、二つのものの間に、板ばさみになっています。この世を離れ、そしてキリストとともにいることをわたしは願っています。なぜなら、そのほうがはるかに優れているからです。

しかし、肉体をもってこの世にとどまることが、あなたがたのためにもっと必要です。そうなれば、わたしが再びあなたがたのところに行くことによって、わたしについてのあなたがたの喜びが、キリスト・イエスによって溢れるようになるからです。

ただ、キリストの福音にふさわしい生き方で生活しなさい。そうすれば、わたしが行ってあなたがたを見るにしても、また離れていても、わたしはあなたがたについて、あなたがたが一つ霊で立ち続けており、心を一致させて福音の信仰のために奮闘していると聞くことができるでしょう。またどのような場合でも、反対者たちによって驚かされてはいない、と聞くことができるでしょう。それは、彼らにとっては滅びの証拠ですが、それは実に、神から与えられたあなたがたの救いの証拠です。

なぜならば、あなたがたには、キリストを信じることだけではなく、キリストのために苦しむことが与えられているからです。

あなたがたは、かつてわたしについて見た事と同じことを、そして今、わたしについて聞いているのと同じ苦闘を経験しているのです。