妻は、わざとアッキーにはソーセージをやらずダルだけにやっている。 アッキーは自分にもくれと、しばらく妻の手元で飛び跳ねていたが、やがて私が脇に置いたドッグフードの器に戻ってきた。
海の彼方に目をやると、西の水平線に間もなく沈もうとしている太陽の明るさが彼方の雲を明るく輝かせている。
「西の空が晴れていたら夕日が綺麗だろうな」
呟きながら、何気なくアッキーの動きを見るともなくを見ていた。
先ほどからアッキーは私が傍らに置いたドッグフードの器のそばに居た。 何気なく見ていたのだが、気が付くと、器からドッグフードを一粒ずつ咥えては1メートルほど離れていって何かしている。 何をしているのかとよく見てみると、アッキーはドッグフードを咥えて行き、それに鼻先で砂をかけているのだった。 私は自分が夕暮れの海を見ていた間、アッキーはドッグフードを食べているものと思っていた。
「アッキーを見てごらん」
私は小声で妻に声をかけた。 はじめは私が言ったことの意味が判らないようにアッキーを見ていたが、すぐに
「だめでしょう。アッキーは」
と、声を上げた。 その声に驚いてアッキーは妻の顔を見上げた。 それは「どうしたの?」とでもいうような表情だった。 立ち上がった妻はアッキーを抱え上げ、二つ三つお尻をたたいた。
「食べないで隠すなんてことをしちゃあ駄目じゃない」
私が探ってみると、砂の中から五つ六つのドッグフードが出てきた。
「獣は食べ物を土の中に隠しておいて、あとで掘り出して食べるというから、そういった習性からやったのかもしれない」
と、私が言うと
「初めて来た場所でそんなことするはずがないわよ。ただ、食べたくないからしたのよ」
妻は怒ったように言った。
「アッキーには今夜はもう何もあげないから」
言いながら、アッキーを砂の上に放り出した。 アッキーは何事が起きたのかわからないというように逃げ出し、しばらく私たちから離れていたが、やがて恐る恐る近寄ってきて、妻の横に座っているダルの陰に隠れた。
妻はソーセージを3,4本ダルにやり終えると、こんどはジャーキーを小さくちぎって食べさせはじめた。そして妻は私の顔を見ながら得意げにニヤニヤしている。私が不審な顔をしていると、私の前で片方の手のひらを開いて見せた。そこにはドッグフードがのっていた。 小さくちぎったジャーキーをやる合間にドッグフードを混ぜていたのだった。
ダルは知ってか知らずか、おとなしく妻の手のひらにのっているものを食べていた。 そして気が付くと、妻がジャーキーをちぎって差し出す手は、いつの間にかダルの横にいるアッキーの口元にも伸びていた。
犬たちを宿の前の車に入れ、玄関の戸をあけると
「ああ、外に行ってたんですか」
と、宿のおじさんが待っていたように言った。
「食事の支度が出来てますから、食堂へどうぞ」
とやや気忙しげに言われた。
妻と私は部屋へは戻らず、そのまま食堂へ向かった。 食堂にはもう大勢の客が集まっていた。 この民宿にこんなに多くの客が居たのかと驚くほどの人数だった。 私たちが食堂に入った最後の客のようだった。
今回の北海道旅行に出かけてきてからの初めての「宿の食事」だった。 テーブルにのっていたカニ、エビ、ホタテ、ウニ、白身の魚の刺身、焼き魚などの海の幸はどれも美味かった。 白身の刺身がソイという魚であることは、宿の主人の説明で知ったことだった。
翌日は残念ながら雨になった。
6時半、起きて窓を開けてみると細かい雨が音もなく降っていた。 見下ろすと、宿の前に駐めてある車の助手席でダルが丸くなっているのが見える。まだ眠っているらしい。 いつも後部座席を占領しているアッキーの姿は見えない。 窓を閉めてまたしばらく床の上に横になった。 そして、昨日のうちに島の南を見ておいてよかったと思った。
「お天気はどう」
妻が床の中から声をかけてきた。
「雨が降ってる。小雨だけどね」
「やっぱり。残念ね」
いいながら起き上がった。
「天気予報では曇りなんだがね」
私は、妻が寝ている間に見たテレビの天気予報のことを話した。
「天気予報は当てにならない。出たとこ勝負よ」
妻が言うように、ここのような北の果ての地方では、天気の予報も難しいらしく、これまでもラジオで聞いてきた天気予報は余り当たってはいなかった。
「そうだな。運がよければ止むかも知れない」
「ダルとアッキーが困るわね」
妻が言うように、犬連れ旅行では雨に降られるのが一番厄介である。 特にアッキーのような小型室内犬はヤッカイである。
ダルのような犬は少々濡れても、ブルブルと身体を震わせればおおかたの水気は吹っ飛んでしまう。しかし、アッキーの場合はそんなわけにはいかない。同じように身体を震わせることはするのだが体毛はびっしょりと濡れたままである。タオルで拭き取ってやらなければ水気は取れない。 そういったことは充分承知の上で出かけてきているが、実際に降り込められるとうっとうしく思われるのだった。
9時ちょっと前、私たちは宿を出た。 そして小雨の中をスコトン岬へと向かった。 浜中からしばらく海に沿って走るとスコトン岬の標識が見えた。
海に向かって突き出した岬へと道が伸びている。 道の先が駐車場になっていて、そこから先は歩道である。
妻は雨合羽を着て、私は傘を持ち車を下りた。 霧のような雨は降ったり止んだりしている。 駐車場なら脚も身体もそれほど汚れまいと思ってダルとアッキーを出してやったが、しばらくうろうろしてすぐに車に戻ってきた。 さすがのアッキーも雨の日には走り回るような元気はない。
犬たちを車に戻しておいて妻と私は岬の先のほうへ向かった。 階段を下り岬の先端の展望所まで行くと、そこには「最北限の地スコトン岬」と書かれた高さ2メートルほどの木標が立っていた。
妻を木標の横に立たせて写真を撮ろうとすると、カメラに向かった妻の雨合羽の襟元からアッキーが顔を出していた。 先ほど駐車場でダルたちを出してやった後、車に戻したときにダルだけ戻してアッキーは合羽の下に抱いて連れてきていたのだった。
霧雨の向こうにはトド島が見える。 そして、霧雨の中を漁にでも行くのか漁船が一隻白い波を分けながら岩礁の間を走り抜けていった。
妻は同じ道を引き返すということが嫌いである。 旅行に出たときに限らず、いつもそうである。
スコトン岬から浜中まで戻るとき、またその性癖が出た。 別の道を通ろうというのである。
助手席で道路地図を見ている妻の言い分に従って、分かれ道を右にとるとすぐに上り坂になった。 上り詰めた車窓に広がった景色は丘陵の原野と海である。 しばらく進むと斜面の原野が白っぽく見えてきた。
斜面はほぼ全面がハマボウフウの白い花に覆われていた。
「晴れていたらもっともっとすてきなのに」
妻はやや残念そうに言った。
浜中で海と別れて内陸へ入った。 ゆるい上り坂を過ぎてしばらく行くと「レブンアツモリソウ群生地」という標識が見えた。
「ゆうべ民宿のオジサンがレブンアツモリソウは、今は柵に囲われて保護されているのだと言ってたが、ここのことかな」
言いながら車を降りた。
こういうところではどうしてもダルとアッキーは車の中でしばらく留守番ということになる。
「ちょっと待っててね」
妻はダルとアッキーに声をかけてドアーを閉めた。
階段を少し上ると、低い木立の下の野草の中にレブンアツモリソウは埋もれるように咲いていた。 花の盛りは過ぎたらしく、その薄い黄色はみずみずしさを失っていた。
アツモリソウ群生地を過ぎて坂を下ると西上泊の集落である。その先には澄海岬の入江を見下ろすスポットがある。
ぬかるみの階段を上ってみるとなるほど雨の日にもかかわらず青く透き通った入り江が見下ろせた。入り江の左右には岸壁が切り立っている。絵葉書かカレンダーの写真を見ているような感じだった。 しかし、風と雨は依然として続いている。 妻と私はソソクサと階段を下りて駐車場横の売店へ入った。
売店には私たちの後を追うようにして初老の夫婦と思われる二人が入ってきた。 その夫婦は、浜中から西上泊、澄海岬を経てスコトン岬までの4時間のウォーキングコースを歩くところだと言った。
「ここからスコトン岬までどれくらいかかるでしょう」
と聞かれたのだが、私たちは車での移動である。歩いての所要時間は見当が付かなかった。 ガイドブックによると澄海岬から鉄府を通って未だ3時間はかかりそうだというのである。
「私たちでもここまで3時間かかりましたから、失礼ですが3時間では無理だと思いますよ」
売店で濡れた髪をタオルで拭いていた若い女性の二人連れが私たちの会話を耳にして助言してくれた。 彼女たちはその初老の夫婦が行こうとしているコースをスコトン岬から逆に歩いて来たのだった。
「それじゃあ、鉄府まで車でおくりましょうか。私たちは車で来てますから。車でいけるところまでおくりますよ」
と、妻が言った。 二人は最初は辞退していたが
「鉄府の端っこまで車で行けばずいぶん違いますよ」
と若い女性たちが言ったので
「それじゃあ、お願いします」
ということになった。
「犬がいますから、少々窮屈ですけど」
妻は言いながら、アッキーを抱き上げダルを運転席の後ろの隅に押しやった。
夫婦は車の中にいたダルをみて一瞬驚いた様子だったが、妻が
「ダル隅へ行きなさい。お客さんが乗るんだから」
と言って押しやると、運転席の後ろで黙ってお座りの姿勢をとったので安心したようだった。
ダルの横にアッキーを抱いた妻が座り、その横に女性が、そして、男性は助手席に座った。 アッキーは妻の腕の中で小さくウーウーとうなっていた。
鉄府の集落へ入り、海沿いに少し北へ走ると車道は途切れた。 そこから先は歩行者用の道がさらに北へ伸びている。 夫婦は丁重に礼を言って車を降りた。
初老の夫婦と別れた後、浜中を経た私たちは香深港を目指して、昨日来た道を南に下った。
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アッキー のジオログです。 この前はリンクがはれなくて失敗でした。
今回は出来ると思います。
アッキーの独り言