取材の余白から2 田中 一実

  一九九十二年十一月九日   

 枯葉舞う中で

 「倉田悌二と申します。どうぞよろしく」。
ゆっくりと、しかし張りのある低い声を掛けながら、倉田さんは右手を私に差しだした。一見鋭い目付き。でも瞳の輝きは穏やか。長身で灰色の髪に、濃紺のスーツがよく似合う。

素晴らしい通訳だった。いや、あれは通訳の範囲を超えている。取材の前に、取材相手とプレゼンテーション進行の打ち合せまでしてくれたのだ。本来ならば我々か、プレゼンを設定した側が手配すること。しかし事情があって我々にはできない。しかも取材をセットしたフランス政府の対応も稚拙。その役割を倉田さんが果して下さった。

 パリに住んで二十五年になる。
「最初にここに現れたときには、日本語と英語しかできませんでした」
 ときどき、遠くを見るような眼。
「彼、何か深い事情があってパリに来たようですね」
同行のF記者が、私に呟いた。

 通訳という職業柄か、常に控え目。立ち振舞いは、ごく自然。でも、どこかに存在感がある。
 枯葉舞うブローニュの街で、先を歩く倉田さんの姿に、眼が釘付けになった。象牙色のロング・コートの背が、晩秋の街路に見事に溶け込んでいた。
 薄暗いTGVの車内で交わした会話。渋みを含んだ微笑。すべてが端正。

 無論、年齢のなせる業には違いないだろう。しかし、過ごしてきた時間が充実していなければ、こうは行かない。
 こんな素敵なおじさんに、なれたらいいな。自然で端正で、そして暖かいおじさんに。

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