2006年3月9日
インターン5日目。
午前中は、行政改革PTに出席。また、資料を受け取りに、参議院別館まで走る。
午後は、自主ゼミの勉強。
夜は、代議士の講演会に同行させていただく。改めて、代議士の哲学を知ることができ、感銘を受けた。その後、代議士を車までお送りして、19:30に一日の仕事が終わった。
朝5時から昨日の自主ゼミの議事録をまとめていたので、今日はこのくらいしておこう。
2006年3月10日
インターン6日目
本日はひたすら事務所で仕事。電話応対、お使いなど。
電話応対に関しては、議員、あるいは民主党に物申すというものが多い。これはこれで勉強になる。しかし、全てに対応することは、少人数の事務所では難しい。電話の声を分析して、世論の動向を見極めるシステムが必要だと思う。
3月16日
今日はインターンの間での弁論大会。一週間近い合宿に行っていた私は、急いで民主党本部に向かった。
弁士は全部で16人。テーマは自由。
「若者と政治」「政治家ハンター」「夢」「若者向けのマニフェスト」など、テーマは多岐に渡った。私は、15番目の弁士として「格差社会における教育行政」についてお話させていただいた。
格差社会と叫ばれているが、結果の不平等は仕方ないかもしれない。しかし、その不平等の起因するところは何か。私は、機会の不平等にあると思う。基礎的な能力を伸ばす機会を与えられなかったから「自分はできない」という誤った劣等感を抱く。それが、その人の可能性を封じ込めているのだ。こうしたことは、まさに教育において、解決しなくてはならない問題である。
しかし、質の高い教員を増やすべきだと言っても、肝心のシステムは変わっていない。文部科学省の「指導」という形をとった「トップダウン」型の通達。こういうことではなく、役人も、教員と一緒になって議論して、有機体の組織として教育問題の解決に向かうべきだ、とこのようなことを述べた。
時間配分を間違え、言いたいことが全て言えなかった。特に後半の教育行政の部分。国が教育にはしっかりと責任を持つべきである、ということ。そして、民主党は文部科学省を廃止し、教育のモデルを提示する知的リーダーのような組織を置くとしているが、これでは不十分であり、役人に学校担当制を導入し、教員や関係者と議論しながら、モデルなどを提示する。そうすれば、現実に適したモデルを提示でき、まさに元三重県知事の北川正恭早大教授が仰っているような「北京の蝶々」の有機体の組織ができるということ。こうしたことを付け足したかった。
結果は、入賞。自分の演説には納得いかないが、評価していただいた方には感謝したい。入賞したので、自動的に街頭演説する機会を得た。同じ問題を投げかけたいと思う。
3月17日
本日はインターンの日ではないが、事務所に寄らせていただいた。
というのも、明日の憲法ワークショップにて、急遽「安全保障班・9条グループ」のコーディネーターを務めることになったからだ。
そもそも、私達の班では、日本の安全保障のあり方を検討するために、東アジアと憲法9条という二つの観点から切り込むことにしていた。様々なタイプの国が存在する東アジアの情勢分析を踏まえて、憲法9条にはどのような要素を盛り込む必要があるのか、という議論を展開しようと思っていたのである。しかし、一週間ほど携帯の使えない山奥に私が行っている間に、「東アジア班」と「9条班」に分裂していた。このままでは、知識もなく、明日のワークショップにおいてまともな議論ができない。
このような状況から、議員会館で作業させていただいたのである。とてもバタバタしていて、事務所の方々には大変ご迷惑をかけ、申し訳ないと思っている。
肝心の本番だが、枝野憲法調査会長のご講演は素晴らしかった。「憲法は国民の皆さんには適応されません」「私は憲法に関心がない、だからこそ憲法調査会長を引き受けたのです」というご発言が印象的だった。グループでの議論は、あまりうまく主導できなかった。最初の方に、細部のことにこだわりすぎたと思う。反省。
3月20日
インターン7日目。今日の永田町は、本当に平和だ。政治がやるべきことは山積しているが、連休中ということもあり、国会議員がいない。小泉首相も休暇を取ったそうだ。新聞記者も、あまりにもネタがないのだろうか、こうした「異常な平日」について記事を書いていた。事務所でも、あまり動きはなかった。
3月22日
17時45分。自分の声が、渋谷の中心ともいえる交差点に響き渡る。そう、今日は初めての街頭演説だ。
テーマは格差社会における教育。このようなテーマを論じて、聞いてくれる人がいるのだろうか、と疑問に思った。あまり「若者」という定義自体は好きではないが、その若者にとって聖地ともいえる渋谷である。街頭演説の前に街を歩いてみたが、全体的に雰囲気がよくない。絶対に話なんか聞いてくれないと確信した。しかし、それでも敢えて真っ向から自分の考えをぶつけようと思った。それが、自分の「素」だからだ。
焦点は、結果の不平等ではなく、生まれの不平等に絞った。話によれば、幼児期に人間の基礎能力(読み書き算盤以前の問として)は決まってしまうようである。能力に応じて色々な仕事につけばよい、という人は、まさにこの点を見落としている。能力というものは、完全に先天的ではなく、しっかりと教育すれば、さらなる可能性を見出すこともできるのだ。
ただ、私たちのような大学生は、既にそのような時期は過ぎてしまっている。だからといって、諦めてはならない。色々な人たちと友人になり、その友人を通じて新たなことを発見し、取り組んでいくことが、まさに自分のキャパシティ、言い換えれば視野の広さを拡充するのだと思う。そういったことを論じた。
そもそも、何故このようなテーマにしたのか。やはり、先日参加した4泊5日のドイツ語合宿の影響が大きかったと思う。そこで、ドイツ人学生を交えてディスカッションを行ったのだが、大学などにいけば、ドイツ語を学ぶ機会はある。しかし、学ばない人は、一生学ばない。もちろん、ドイツ語を知らなくても、なんら不利にはならないのだが、ドイツ語を学んで得られることはとても大きい。押し付けがましくなっていけないのだが、そのようなことに触れる・触れないという「岐路」は、どこに起因するのだろうか。つきつめれば、幼児期の教育において、知的好奇心を喚起・持続させられる刺激を受けたのか、というところにたどり着くと思うのである。
結果的に、あまり多くの人に聞いてもらえなかった。街頭演説というものは、迷惑なものだとも思う。そして、無名の人間は感情に訴えない限り、人々は足を立ち止めてくれないのだろう、とも分かった。少し話が長くなって、言いたいことがよくわからなくなったということも反省点であろう。
何はともあれ、良い経験だった。インターン終了まで後二日。全力投球していきたいと思う。
インターン5日目。
午前中は、行政改革PTに出席。また、資料を受け取りに、参議院別館まで走る。
午後は、自主ゼミの勉強。
夜は、代議士の講演会に同行させていただく。改めて、代議士の哲学を知ることができ、感銘を受けた。その後、代議士を車までお送りして、19:30に一日の仕事が終わった。
朝5時から昨日の自主ゼミの議事録をまとめていたので、今日はこのくらいしておこう。
2006年3月10日
インターン6日目
本日はひたすら事務所で仕事。電話応対、お使いなど。
電話応対に関しては、議員、あるいは民主党に物申すというものが多い。これはこれで勉強になる。しかし、全てに対応することは、少人数の事務所では難しい。電話の声を分析して、世論の動向を見極めるシステムが必要だと思う。
3月16日
今日はインターンの間での弁論大会。一週間近い合宿に行っていた私は、急いで民主党本部に向かった。
弁士は全部で16人。テーマは自由。
「若者と政治」「政治家ハンター」「夢」「若者向けのマニフェスト」など、テーマは多岐に渡った。私は、15番目の弁士として「格差社会における教育行政」についてお話させていただいた。
格差社会と叫ばれているが、結果の不平等は仕方ないかもしれない。しかし、その不平等の起因するところは何か。私は、機会の不平等にあると思う。基礎的な能力を伸ばす機会を与えられなかったから「自分はできない」という誤った劣等感を抱く。それが、その人の可能性を封じ込めているのだ。こうしたことは、まさに教育において、解決しなくてはならない問題である。
しかし、質の高い教員を増やすべきだと言っても、肝心のシステムは変わっていない。文部科学省の「指導」という形をとった「トップダウン」型の通達。こういうことではなく、役人も、教員と一緒になって議論して、有機体の組織として教育問題の解決に向かうべきだ、とこのようなことを述べた。
時間配分を間違え、言いたいことが全て言えなかった。特に後半の教育行政の部分。国が教育にはしっかりと責任を持つべきである、ということ。そして、民主党は文部科学省を廃止し、教育のモデルを提示する知的リーダーのような組織を置くとしているが、これでは不十分であり、役人に学校担当制を導入し、教員や関係者と議論しながら、モデルなどを提示する。そうすれば、現実に適したモデルを提示でき、まさに元三重県知事の北川正恭早大教授が仰っているような「北京の蝶々」の有機体の組織ができるということ。こうしたことを付け足したかった。
結果は、入賞。自分の演説には納得いかないが、評価していただいた方には感謝したい。入賞したので、自動的に街頭演説する機会を得た。同じ問題を投げかけたいと思う。
3月17日
本日はインターンの日ではないが、事務所に寄らせていただいた。
というのも、明日の憲法ワークショップにて、急遽「安全保障班・9条グループ」のコーディネーターを務めることになったからだ。
そもそも、私達の班では、日本の安全保障のあり方を検討するために、東アジアと憲法9条という二つの観点から切り込むことにしていた。様々なタイプの国が存在する東アジアの情勢分析を踏まえて、憲法9条にはどのような要素を盛り込む必要があるのか、という議論を展開しようと思っていたのである。しかし、一週間ほど携帯の使えない山奥に私が行っている間に、「東アジア班」と「9条班」に分裂していた。このままでは、知識もなく、明日のワークショップにおいてまともな議論ができない。
このような状況から、議員会館で作業させていただいたのである。とてもバタバタしていて、事務所の方々には大変ご迷惑をかけ、申し訳ないと思っている。
肝心の本番だが、枝野憲法調査会長のご講演は素晴らしかった。「憲法は国民の皆さんには適応されません」「私は憲法に関心がない、だからこそ憲法調査会長を引き受けたのです」というご発言が印象的だった。グループでの議論は、あまりうまく主導できなかった。最初の方に、細部のことにこだわりすぎたと思う。反省。
3月20日
インターン7日目。今日の永田町は、本当に平和だ。政治がやるべきことは山積しているが、連休中ということもあり、国会議員がいない。小泉首相も休暇を取ったそうだ。新聞記者も、あまりにもネタがないのだろうか、こうした「異常な平日」について記事を書いていた。事務所でも、あまり動きはなかった。
3月22日
17時45分。自分の声が、渋谷の中心ともいえる交差点に響き渡る。そう、今日は初めての街頭演説だ。
テーマは格差社会における教育。このようなテーマを論じて、聞いてくれる人がいるのだろうか、と疑問に思った。あまり「若者」という定義自体は好きではないが、その若者にとって聖地ともいえる渋谷である。街頭演説の前に街を歩いてみたが、全体的に雰囲気がよくない。絶対に話なんか聞いてくれないと確信した。しかし、それでも敢えて真っ向から自分の考えをぶつけようと思った。それが、自分の「素」だからだ。
焦点は、結果の不平等ではなく、生まれの不平等に絞った。話によれば、幼児期に人間の基礎能力(読み書き算盤以前の問として)は決まってしまうようである。能力に応じて色々な仕事につけばよい、という人は、まさにこの点を見落としている。能力というものは、完全に先天的ではなく、しっかりと教育すれば、さらなる可能性を見出すこともできるのだ。
ただ、私たちのような大学生は、既にそのような時期は過ぎてしまっている。だからといって、諦めてはならない。色々な人たちと友人になり、その友人を通じて新たなことを発見し、取り組んでいくことが、まさに自分のキャパシティ、言い換えれば視野の広さを拡充するのだと思う。そういったことを論じた。
そもそも、何故このようなテーマにしたのか。やはり、先日参加した4泊5日のドイツ語合宿の影響が大きかったと思う。そこで、ドイツ人学生を交えてディスカッションを行ったのだが、大学などにいけば、ドイツ語を学ぶ機会はある。しかし、学ばない人は、一生学ばない。もちろん、ドイツ語を知らなくても、なんら不利にはならないのだが、ドイツ語を学んで得られることはとても大きい。押し付けがましくなっていけないのだが、そのようなことに触れる・触れないという「岐路」は、どこに起因するのだろうか。つきつめれば、幼児期の教育において、知的好奇心を喚起・持続させられる刺激を受けたのか、というところにたどり着くと思うのである。
結果的に、あまり多くの人に聞いてもらえなかった。街頭演説というものは、迷惑なものだとも思う。そして、無名の人間は感情に訴えない限り、人々は足を立ち止めてくれないのだろう、とも分かった。少し話が長くなって、言いたいことがよくわからなくなったということも反省点であろう。
何はともあれ、良い経験だった。インターン終了まで後二日。全力投球していきたいと思う。