chakoの山村通信

添乗員もアラビア人。

豊根村サウジアラビア王国交流委員会プログラム卒業生が起こした日本とアラブを繋ぐ事業が始まっています。

二期生のナイフ君、ムタズ君から連絡がありました。

バハレーンの旅行会社が中東三か国からの旅行者を日本に送り込みたいので清水館で受け入れ可能だろうか、というものです。 

はいはいどうぞ来てください、二つ返事で引き受けた私はなんて向こう見ずでしょうか。今回はナイフ君が添乗員としてこのツアーに同行するというのです。

添乗員という仕事は生半可ではできません。

日本のツアー旅行に同行する添乗員は、一体いつ座って、いつ寝て、いつ食事するんだろうかと疑問に思うほどお客様のために動き回っています。

宴会では片手にビール瓶、片手に酒、お客様のグラスが空になろうもんなら瞬間移動でグラスを満たし、常に状況を把握しカラオケが始まればその手にリモコンを握りしめ何曲も予約を入れます。


皆さんももうご存知だと思いますが時間に対するルールがアラブと日本では全く違うのです。

果たしてナイフ君は添乗員とは何かを知っているのか私は疑問です。

まあ、彼も日本に13年も住んで、大学卒業後はF通に勤めていたのでアラビア人を引率する能力はあるかもしれない…

バハレーンクエートサウジアラビア中東3カ国のお客様が本決まりとなり私は準備に没頭しました。

普通のツアー旅行ですと宿屋は宿泊、食事を提供し、翌朝送り出せは済みなのですが、何しろプログラム卒業生が清水館を見込んでやってくるのですから、しかも3泊4日です。

食事のメニュー、食材の手配、アクティビティーの構成など目が回る忙しさです。


いよいよ到着の日、浜松駅まで迎えに行った息子からいきなりのスケジュール変更を告げられました。

嵐の予感…ランチやお買い物タイムをすっ飛ばし3時間も早く到着し、しかも人数が減っている!

もっと早く分かりませんでしたか?と言いたいのをぐっとこらえて笑顔で迎えます。

23名で予約を頂いていましたが、東京で1人、更に浜松で2人別行動となったので20人になりました、とバスを降りた玄関で告げられました。

まあいい、それでも20人も来てくれたのだから。


​3泊4日はいろいろあった!!!!

いろいろありすぎて、もう驚かず、次は何が起きるのかとむしろ楽しんだ。


添乗員と言いながら、食事の時間、集合時間、出発時間すべて無視し倒しお客様の数も数えず、自分はドローンと一緒に行方不明になって遊ぶ。

サウジ力は衰えていなかったのだ!!


​しかし引率されている側からは苦情も出ず、当たり前のどこ吹く風。

ああこれでいいのだ…


時計といつもにらめっこ、ほんの少し遅れた早いといつも気を揉むこちらの方がどうかしているのかも、と思ってしまう4日間でした。


クエート人の元警察官のフセイン軍侵略時の牢獄での話、現代日本は男女平等であるか、原爆以降の奇跡の日本復興、天皇についてなど、まさか中東の方とこのような話題で盛り上がるなど想像もしていなかったので興奮する素敵な夜を過ごせました。

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バハレーン人シェフが厨房に入りびたりで料理してくれ、女性には着物を着つけたりそれはそれはたまらん面白い日々でした。

これだからやめられん。


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