オーストラリアの朝刊紙ケアンズ・デイリーメール1998年3月15日号の社会面に次のような記事が掲載された。
先月26日にケアンズ市で開催された恒例の航空ショーに参加するため、グレート・バリア・リーフ上空を飛行中だったオーストラリア空軍退役少佐スティーヴン・シングルトン氏(74)所有の二人乗り小型飛行機が、機体にミートボール(日の丸)が描かれた航空機から実弾射撃を受けたと、着陸後ケアンズ地区航空運輸局に報告した。
操縦のシングルトン氏によると、愛機 ----- ステアマン初等練習機 ----- でリーフの西端高度800メートルを飛行中、突然、短くはあるが大きな耳鳴りがして、海の青さが急に増したように感じられた後、不意に50メートル上空を複葉、羽布貼り機体、双フロートの旧式水上機が飛行しているのに気付いた。同じ航空ショーに参加する飛行機だと思い、しばらく同行したが、日誌に記録しようと、その水上機の尾翼に書かれた機体識別番号を確認するために接近すると、突然、同機後部座席から機関銃による射撃を受けた。シングルトン機は、翼端に命中弾二発を受けながら300メートルを急降下して退避。その後、上空を見ると、その航空機は跡形もなく消えていたという。
報告を受けた同航空運輸局は、同日同時刻の各レーダーサイトの記録画像を点検。その結果、オーストラリア空軍並びにケアンズ国際空港管制室のレーダー画像では、同時刻に飛行する退役少佐の飛行機は認識できたが、同機を機銃掃射したとされる他の一切の飛行機は確認できなかったとしている。
同乗していたデボラ・シングルトン婦人は言う。
「主人は、その飛行機を見るなり『アルフ』だと叫びました。こないだの戦争が始まってすぐ、彼が空軍の飛行学校に入ったときに、機体を判別する授業で最初に憶えたのがアルフと呼ばれる、その日本軍の水上飛行機だったんですって。だから、忘れるはずはないんだって主人は言いますのよ」
シングルトン氏が記録した機体番号を、本紙が、日本の防衛省防衛研究所史料閲覧室に照会したところ、同機体番号は過去に実在しており、同機は先の大戦開戦前、日本海軍連合艦隊旗艦戦艦長門に搭載されていた九四式2号水上偵察機(E7K2)のうちの一機と同一であると回答があった。また、同機を含む偵察隊は、開戦後、いち時、ラバウル水上機基地に基地偵察隊として展開したが、同機は、1942年2月26日午前中、通常の偵察飛行任務に就いたまま消息不明となり、未帰還であると補足されていた。
なお、オーストラリア空軍兵器補給廠爆発物処理班が被弾箇所を調査したところ、7.7mm弾の弾痕であることが確認されたとともに、発射に際し使用されたとみられる火薬の硝煙反応から、先の大戦で日本海軍が使用した黒色火薬と同じ煙硝反応試験結果が得られたという。
パプア・ニューギニアのどこかの小島に、いまだ交戦可能な日本軍機が潜んでいるということか?
【Acapella Choir - Over the Rainbow】
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