(Op.20250313-2 / Studio31, TOKYO)
詩心を表現する手段、つまり、国語を操るセンスの話を別にすれば、詩とは、詩人の『見方』『感じ方』の圧縮された表明に他ならない。
詩人岸田衿子が発表した作品のほとんどは子供目線のものだが、ぼくが時折読み返す彼女の作品は、それらとは視点が異なる次の一編。
うまれたままの瞳で
闇の中の星をかぞえたいなら
丸木舟に乗って
モーレアを旅立つこと
娘はまだ 髪の間に花をさして
佇んでいるだろう
ゴーギャンは まだ
ノアノアを書いているだろう
もし夢をまもりたかったら
永遠に孵(かえ)らない
あの鳥の卵をぬすむこと
片目の海賊をさがすこと
鳥はまだ 夕映えのなかに
暮れのこっているだろう
そのままで 六十年 百年と
過ぎてゆくのだろう
題名が不案内な上、どの詩集所収の作品かも不明。わかっているのは、これがただ、ぼくの目指す方向と同じ方角を向いているということだけ。