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きみの靴の中の砂

飛行機を使わずに行くニューヨーク





 住んでいるというなら兎も角、わざわざ寒い冬に軽井沢へやって来るなどおかしな話で、それについてはちゃんとしたわけがあった。

                    

 父が亡くなってからしばらくは、老母は信州や湘南にあった家をひとりで巡っては手入れをしていたが、さすがに七十代が終わると精根尽き果てたかサッサと始末して欲しいとぼくに頼んだ。
 投機目的ではなかったので権利書に添えてあった購入時の領収証を元に、ほぼその価格で売りに出した。

 腰越の家は直ぐに売れて引き渡してしまったが、信濃追分の千メートル林道を少し下がったところにある小屋は冬の寒さを思い計ってか、引き渡しは春を待つこととなった ------ そこは父母が半世紀程前に最初に建てた平屋の夏の家で、築年数は一番古かった。

 自分達が自由に使えるのもこの冬が最後だからと、膝下まで積もった雪の中を車高の高い車を借りて二、三泊するつもりでイチ子とやって来た。

                    

 古い小屋の暖房は今は石油ストーブになっていたが、この家との最後の思い出にと古い薪ストーヴに火を入れた。庭の薪小屋で時間をかけて乾燥させた薪は、燃やすと、はじけて気持ちのいい音をたてた。

                    

 東京を出るときからの約束で、追分での朝食は、ぼくが作ることになっていた。

 朝、パーコレーターからあがる湯気で曇った硝子窓の前にイチ子が立って、林道の向こうに見える雪の浅間山を眺めている。

 小屋も古ければ、ストーヴも珈琲沸かしまでもが古い。

 あぶったスコーンとブラックベリー・ジャムから湯気がのぼる。
 レンズ豆とソーセージをトマト・ジュースで煮込んだシチュウも食べ頃を迎えつつある。

 直径二メートルもあろうかという合板の丸テーブルに朝食を用意する。

 今朝もイチ子は早く目覚めたらしく、この間からの書き仕事の続きをしているようだった。尋ねると、
『飛行機を使わずに行くニューヨーク』という遊び半分の雑文だと言う。

「地図の手品で、緯度が高くなると距離感がいい加減になるじゃないの」とイチ子。
 続けて、
「横浜から船でシアトル。シアトルから鉄道でニューヨークというのが実は最短距離。つまり、これが飛行機を使わずに行ける最短ルート。思ってもみなかったでしょ」
「読みたくなる記事だね」とぼく。
「ところが、この記事は、最早成立しないの」
「なんで?」
「とっくの昔に客船も貨客船も無くなってるの。もう飛行機なしではニューヨークへは行けないのよ」
「ユーザーがいなければ航路も失われる。神社仏閣のように古くても残っていくもの、残さなきゃいけないものとは違うわけだ」
「話は違うけど、このブラックベリー・ジャム、とっても美味しいけど、東京から持ってきたの?」とイチ子。
「いや、昨日ここに着いてから食料棚を点検したら瓶詰が残ってた。オクラホマだかのアメリカ製。これはエアカーゴかコンテナ船のどっちで日本に来たんだろう」

 ぼくにもイチ子にも、この小屋と二十代の頃の信濃追分での思い出はとりわけ懐かしい。
 いずれ失われていくであろう思い出が酸っぱいのか、スコーンに付けたジャムが酸っぱいのかは、今は互いに判然とするはずもなかった。




【Petula Clark - A Sign of the Times】

 

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