きょの朝食は、一昨日で賞味期限が切れていた食パンで、シラスピザトースト風パン。
ピザソースじゃなくてケチャップなので、ピザ風トースト。
美味しかったけど、仕事があるので急いで食べたから、ちょっと残念。
あさて、きょも晴れていたので、窓辺の段ボールベッドで各々寝ることにしたチャミュらん。
・・・と思ったら、すぐに左右が入れ替わっていた。
何があったのぢゃ?!
そのうち、窓辺のベッドに集結してお寝んねのチャミュらん。
中断しているプロジェクトのウェブサイトを更新し、
きょの昼食は、ほうれん草コーン塩ラーメン!
食べるラー油ものっけて、美味い以外にない。
隣でチャミュらんは眠り続け。
逆光と判断されてしまうのか、イマイチ思うような露出で撮れないので、ミラーレスでも撮ってみた。
あさて、きょはあの日から9年だねぇ。
記憶が風化するとか言われているけど、風化なんかしない。
あの日は金曜日。
月曜日の朝から始まる春闘交渉のために、組合事務所に詰めて準備をしていたなぁ。
グラウンドへの避難の社内放送がかかって、2時間ぐらいはみんなでグラウンドにいたのではなかっただろうか。
当時は大きな災害の経験も乏しく、避難のやり方や点呼の取り方などが準備されておらず、ワタシたちは延々とグラウンドで待たされ続けた。
あの日は寒かったな。
ワタシはコートも着て、カバンも持って避難していたのだが、上着も来ていない人が大勢いて、可哀想だった。
二つ折りの携帯の小さな液晶画面で、田畑を進んでいく津波の中継を見た。
夕方いったん、家に帰ることができた。
ワタシは自転車だったので、ディノの待つ部屋に戻り、管理人さんに手伝ってもらってガス栓を開け、ちょっと動いていたテレビ台や冷蔵庫を元に戻し、ディノを撫でて慰めることができた。
でも、小一時間で会社に戻った。
週明けに行われる予定の春闘交渉の準備を行うために。
こんな大きな地震があって、お友達も被災しているというのに、金の話かよ!!と、憤る気持ちもあったが、当時ワタシは支部の二千数百人の組合員の生活を守らなければならない立場で、それは必死で準備を行っていた。
夜中の2時過ぎになって、家に帰れることになった。
ワタシは自転車だったので、真夜中の道のりを進み、いつものコンビニでビールを買い込んで帰宅した。
大通りの歩道には、たくさんの人が歩いていた。
思わず自転車をあげようかと思ったぐらいだった。
ディノを撫で、ビールを飲み、うつらうつらとして朝を迎えたのを覚えている。
お友達のところには翌朝、自衛隊が助けに来たとニュースでやっていて、安心した。
結局、月曜日の春闘交渉は延期となった。
唯一良かったのは、当時16歳だったディノは耳が遠くなっていて、地震の記憶がトラウマにならなかったということだけであった。
9年経った同じ時間、ネットのむこうで働いているなかまと一緒に黙とうした。
同じ3月と思えないぐらい、きょは暖かかった。
毎年春闘の話題が出るたびに、ワタシはあの日を思い出す。
数年後には、コロナを嫌がって家にこもって黙とうしていたことを、笑って思い出すことができるだろうか。
いや、来年春闘交渉ができているぐらい、企業にも経済にも影響が少ないことを願っている。
てことで、本日もなんとか業務終了。
ちょっとだけ買い物に出る。
変な雲だったねぇ。
ビールを飲む前にと思って、すじと風呂に入っていたら・・・
茶色いヤツに、ゴルフバッグを倒されますた。
ドライバ折れてたらどうしようと思ったけど、無事やった。
茶色め・・・・・・。
てことで、3日前に消費期限が切れていた水餃子が発掘されたので、きょは強制的に鍋。
昆布大量投入したので、んまかった。
茶色は後方でお寝んね。
平和なもんやな。