□「ブランジュリ タケウチ」 竹内久典さん
■子供のころの夢は「ケーキ屋」 毎日食べられるパン屋に転身したが…。
--小さいころからパン屋さんになりたいと思っていたんですか
竹内 最初は、ケーキ屋さんにあこがれていました。子供のころにテレビ番組で、ケーキ職人の1日を追っていて、それを見て、ああ、かっこいいなあと。中学を卒業したら高校には行かず就職しようと決め、自分で就職先のケーキ屋さんを探してきました。そしたら、親が「高校だけは出なさい」と猛反対。それで、定時制高校に通いながら昼間はケーキ屋で働くことにしました。
--高校に通う時間も待っていられないほど、一刻も早くケーキ屋さんになりたかったんですか
竹内 ほんとに職人にあこがれていましたからね。
--実際働いてみて、どうでした?
竹内 楽しかったです。毎日があっという間に過ぎていきました。学校に行くのもいやだと思うぐらい。とにかくずっと働いていたかった。
--青春はケーキとともにあったんですね
竹内 粉や卵から、ケーキができる。ほんとに魔法のように思えました。
--そこまでほれ込んでいたケーキづくりから、なんでまたパンに?
竹内 ちょうどバブルが崩壊し、客足も売り上げもぴたっ、と止まったんです。ところがケーキ屋の前のパン屋さんは、ずっとお客さんが並び、売れ続けていた。なんでかなあ、とずっと考えて、ケーキと違って、パンは毎日食べるものだから強いんやな、と。パン職人の先輩に相談したのですが、「おまえにパン屋が務まるわけがない」といわれました。
--パン屋さんとケーキ屋さんて、親戚(しんせき)みたいなものじゃないんですか? そんなに違いますか
竹内 ぼくも、そのときまでは、パン屋とケーキ屋は一緒や、と思ってました。材料も一緒やし。今までケーキを経験してきたから簡単や、と思って入ってみたのですが、大間違い。ほんとに、厳しくて。最初はつらいだけでした。
--そんなに
竹内 まず朝が早いでしょ。夜中に出勤して夜帰る、お日さまにあたるのは休みの日だけ。パンに合わせた毎日で。最初のころは、寝ていてもオーブンの音がしたような気がして「うわ、焦がした」と飛び起きたり。うなされました。修業時代は寝るのが怖かったです。
--でもケーキ屋さんに戻ることもなかった
竹内 意地になったんです(笑)。
--大阪や神戸のお店で修業を重ねたんですね
竹内 はい。そして24、5歳のころには独立したいと考えていました。「どこにもないパン屋をつくろう」と決めたのもそのころです。
--しかし、どこにもないパン屋がどんなパン屋か、私には思い浮かべるのも難しいです
竹内 ケーキのときは甘いものだけ作っていればよかった。でもパンは、お酒に合うものから甘いものまで、いろいろあります。それならば、サンドイッチならレストランに負けない具を挟みたい。甘いパンはケーキ屋さんに負けないものを。だからパン屋以外にもピッツェリア(ピザ専門店)や、ケーキ屋でも修業しました。その成果が形にできるようになったとき、「どこにもないぼくの店」を開きました。(聞き手 岸本佳子)
【関連記事】
・ なにわのモノづくり 「カレーなるパン聖地」
・ 女性は一生輝ける(2)上海観光親善大使 本堂亜紀さん
・ 【新・関西笑談】ゴリラに学ぶ(3)霊長類学者 山極寿一さん
・ ゴリラに学ぶ(1)霊長類学者・山極寿一さん
・ 【新・関西笑談】ヌーヴォはロマンだ(1)
・ 【著者に聞きたい】伊吹有喜さん『四十九日のレシピ』(産経新聞)
・ 張・新棋聖誕生、7大タイトル制覇(読売新聞)
・ 自民が国会審議に復帰 衆院議長不信任決議案などは否決(産経新聞)
・ <寺島しのぶさん>ベルリン映画祭で最優秀女優賞(毎日新聞)
・ トレーラー追突、6台玉突き=4人死傷、運転手を逮捕-新潟(時事通信)
■子供のころの夢は「ケーキ屋」 毎日食べられるパン屋に転身したが…。
--小さいころからパン屋さんになりたいと思っていたんですか
竹内 最初は、ケーキ屋さんにあこがれていました。子供のころにテレビ番組で、ケーキ職人の1日を追っていて、それを見て、ああ、かっこいいなあと。中学を卒業したら高校には行かず就職しようと決め、自分で就職先のケーキ屋さんを探してきました。そしたら、親が「高校だけは出なさい」と猛反対。それで、定時制高校に通いながら昼間はケーキ屋で働くことにしました。
--高校に通う時間も待っていられないほど、一刻も早くケーキ屋さんになりたかったんですか
竹内 ほんとに職人にあこがれていましたからね。
--実際働いてみて、どうでした?
竹内 楽しかったです。毎日があっという間に過ぎていきました。学校に行くのもいやだと思うぐらい。とにかくずっと働いていたかった。
--青春はケーキとともにあったんですね
竹内 粉や卵から、ケーキができる。ほんとに魔法のように思えました。
--そこまでほれ込んでいたケーキづくりから、なんでまたパンに?
竹内 ちょうどバブルが崩壊し、客足も売り上げもぴたっ、と止まったんです。ところがケーキ屋の前のパン屋さんは、ずっとお客さんが並び、売れ続けていた。なんでかなあ、とずっと考えて、ケーキと違って、パンは毎日食べるものだから強いんやな、と。パン職人の先輩に相談したのですが、「おまえにパン屋が務まるわけがない」といわれました。
--パン屋さんとケーキ屋さんて、親戚(しんせき)みたいなものじゃないんですか? そんなに違いますか
竹内 ぼくも、そのときまでは、パン屋とケーキ屋は一緒や、と思ってました。材料も一緒やし。今までケーキを経験してきたから簡単や、と思って入ってみたのですが、大間違い。ほんとに、厳しくて。最初はつらいだけでした。
--そんなに
竹内 まず朝が早いでしょ。夜中に出勤して夜帰る、お日さまにあたるのは休みの日だけ。パンに合わせた毎日で。最初のころは、寝ていてもオーブンの音がしたような気がして「うわ、焦がした」と飛び起きたり。うなされました。修業時代は寝るのが怖かったです。
--でもケーキ屋さんに戻ることもなかった
竹内 意地になったんです(笑)。
--大阪や神戸のお店で修業を重ねたんですね
竹内 はい。そして24、5歳のころには独立したいと考えていました。「どこにもないパン屋をつくろう」と決めたのもそのころです。
--しかし、どこにもないパン屋がどんなパン屋か、私には思い浮かべるのも難しいです
竹内 ケーキのときは甘いものだけ作っていればよかった。でもパンは、お酒に合うものから甘いものまで、いろいろあります。それならば、サンドイッチならレストランに負けない具を挟みたい。甘いパンはケーキ屋さんに負けないものを。だからパン屋以外にもピッツェリア(ピザ専門店)や、ケーキ屋でも修業しました。その成果が形にできるようになったとき、「どこにもないぼくの店」を開きました。(聞き手 岸本佳子)
【関連記事】
・ なにわのモノづくり 「カレーなるパン聖地」
・ 女性は一生輝ける(2)上海観光親善大使 本堂亜紀さん
・ 【新・関西笑談】ゴリラに学ぶ(3)霊長類学者 山極寿一さん
・ ゴリラに学ぶ(1)霊長類学者・山極寿一さん
・ 【新・関西笑談】ヌーヴォはロマンだ(1)
・ 【著者に聞きたい】伊吹有喜さん『四十九日のレシピ』(産経新聞)
・ 張・新棋聖誕生、7大タイトル制覇(読売新聞)
・ 自民が国会審議に復帰 衆院議長不信任決議案などは否決(産経新聞)
・ <寺島しのぶさん>ベルリン映画祭で最優秀女優賞(毎日新聞)
・ トレーラー追突、6台玉突き=4人死傷、運転手を逮捕-新潟(時事通信)