8年前の今日、パンテラのギタリストとして名を馳せたダイムバック・ダレルがダメージプランのパフォーマンス中に銃弾を浴びて絶命した。
パンテラは小学生のころメタルの流れで聴いていたけどギターソロとかあんまり無いし大して速くないから(速い曲もあるけど)メタルって言うよりはラウド/ヘヴィって感じだなとか思ってた(このパラドキシカルな感覚は僕の世代では既に必然だ)。パンテラってとにかく『俗悪』だの『脳殺』だの『鎌首』だのといった邦題が異常なカッコ良さとダサさを演出していて渋かった。で、1枚といったらやっぱり『俗悪』かなあ。『脳殺』もかなり棄て難いんですが。
『俗悪』が出たのが92年。前年には『ネヴァーマインド』があって、この2枚がその後のメインストリームの流れを決定的にしたというのはほぼ間違いがないと思う。つまり曲で言えば"Walk"と"Smells Like Teen Spirit"ということだ。あとメタリカの『ブラック・アルバム』(1991年)も重要だったのかもしれないな。早弾きとテクニックからグルーヴとヘヴィネスへ、という。90年代半ばから00年代初頭にかけての主流を思い出してみよう。ニューメタル(死語)なんてジャンルだってヒップホップ云々以前にこれらが無ければ存在しえなかったはずだ。
パンテラ聴いて無闇に人殺したくなったりとかは、実はあんまりしない。それよりもむしろ生きるためのエナジーを血がドバドバドバドバ出るくらいにブチ込んで苦難多き人生を力ずくでサヴァイヴするためにパンテラはある。賢く生きるということは他人に道を譲ってヘラヘラこびへつらうことのみを指すのでは断じてなく、時には暴れたり、ブン殴ったりしながらもいたずらにそこに安住するのではなくして目を曇らせることのない力への意志と、意志そのものが生み出す圧倒的な「パワー」。幻想と消極的ニヒリズムの脆弱なツガイを真っ向から否定できる数少ない好例。