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苦労が
(
長谷邦夫
)
2006-12-21 21:06:26
なるほど。
分かりますよ。その感想。
『魔女』の分かりにくさも、そういうことからくる
んですね。
諸星さんの作品というか、活躍を始めていた時代は
そうした点で、編集者から「分からない」という
指摘をいろいろ受けたんではないでしょうか。
ましてジャンプから始めたんですから、なおさらです。彼はですから、大変な苦労をして「不思議」なものの表現に、さまざまな工夫をしてこられた。
しかし、五十嵐大介の時代は、その謎も
編集者が理解してくれる方なら、軽く
OKが出ていた~という状況があったと
考えられるわけです。
説明ナシに自分の好みの世界へどんどん行ってしまう。その点で、作品構成に「苦労」が無い。
彼が、評価が高い割りには、いまひとつポピュラリティを持ち得ていないのは、貴兄のご指摘のマイナス点が、担当編集者にも感じられていないからでしょう。
諸星作品のすごさを改めて感じさせますね。
謎と詩?
(
冬月
)
2006-12-21 21:36:43
■なるほど、編集者の力の違いは大きいのかもしれませんね。
ただ、「謎」は謎であってもいいように思うんですよ。でも、それは、何回も読みたくなるような謎でないと、いけないような気がするんです。諸星大二郎にしても、つげ義春にしても、しばらくすると、また、読みたくなる。二人は、分かりやすいけれど、謎がある。けれど、五十嵐大介のこの作品集は、読み終わったとき、また、読むか、という気が起きない。
それは、なぜなのか、よくわからないんですが、作品の根底に「詩」がないからではないか、そんな気もするんです。見当はずれかもしれませんが。
二度か~
(
長谷邦夫
)
2006-12-22 10:34:50
「詩」の力が無い。大きな問題ですね。
奇想天外な展開だ円から、一見詩的想像力があるかの
ように思えてしまう。
これも貴兄のご指摘は鋭い。
大介には『リトル・フォレスト』なる、地方住まい
していた彼の実体験をリアルに再現したかのような
面白い作品があります。
根底に「リアル」が優先する傾向があるのかも
知れません。
つげさんにも、貧乏な自分の生活を描いた
私小説的な作品は多いですが、全てが
「リアル」ではない。
その体験の変換・創作過程で、彼の詩的な感性が
独特な形式で発揮されることになります。
五十嵐大介の『リトルフォレスト』には
それがあまり感じられません。
主人公が女性に代わっているくらいかな~
という印象だった。
ですから、ぼくは最初この大介ネームは
女性作者のメクラマシかな?と、思って
しまったくらいでしたからね。
こうした作品とタマシイとの飛躍距離。
そこへ飛んでいくときに、強引さが出ている。
飛躍のための「詩心」が生まれていればいいが、
彼は絵画的描写力が高度なものだから、
それに頼り過ぎているのかも知れませんね。
諸星・つげ路線はそうではない。
どちらかというと「不器用」な作画能力だ。
極端に言うと「下手」。
そこに実にいい味があるんですね。
ぼくが驚いたのは、つげさんが或る作品で
単行本再録の際に、絵を書き直したコマが
あるんですが、人物のデッサンが少し狂った
感じで修正されていたんです。
普通、デッサンが狂っていたから直す。
その逆を意識的にやっていた。
つげ、畏るべし、と思いましたね。
油断できないな(笑)と、感じたものです。
五十嵐は巧すぎるのかも。
ぼくはマンガ・コースの生徒にも良く言うんですが、
うまくなんかなくていいよ、心をこめて下手のまま
真剣に描いてよ!と言ったりします。
「うまくなりたい!」と思って入学してきた学生に
とっては、「ん??」ってな感じがするかも。
でも、最近のマンガを見ていると、みんなうまくて、
なんかつまんない~といった印象もある。
「ヘタウマ」とは違った、下手さの詩。
そんな感じのマンガが有ったら読みたいです。
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分かりますよ。その感想。
『魔女』の分かりにくさも、そういうことからくる
んですね。
諸星さんの作品というか、活躍を始めていた時代は
そうした点で、編集者から「分からない」という
指摘をいろいろ受けたんではないでしょうか。
ましてジャンプから始めたんですから、なおさらです。彼はですから、大変な苦労をして「不思議」なものの表現に、さまざまな工夫をしてこられた。
しかし、五十嵐大介の時代は、その謎も
編集者が理解してくれる方なら、軽く
OKが出ていた~という状況があったと
考えられるわけです。
説明ナシに自分の好みの世界へどんどん行ってしまう。その点で、作品構成に「苦労」が無い。
彼が、評価が高い割りには、いまひとつポピュラリティを持ち得ていないのは、貴兄のご指摘のマイナス点が、担当編集者にも感じられていないからでしょう。
諸星作品のすごさを改めて感じさせますね。
ただ、「謎」は謎であってもいいように思うんですよ。でも、それは、何回も読みたくなるような謎でないと、いけないような気がするんです。諸星大二郎にしても、つげ義春にしても、しばらくすると、また、読みたくなる。二人は、分かりやすいけれど、謎がある。けれど、五十嵐大介のこの作品集は、読み終わったとき、また、読むか、という気が起きない。
それは、なぜなのか、よくわからないんですが、作品の根底に「詩」がないからではないか、そんな気もするんです。見当はずれかもしれませんが。
奇想天外な展開だ円から、一見詩的想像力があるかの
ように思えてしまう。
これも貴兄のご指摘は鋭い。
大介には『リトル・フォレスト』なる、地方住まい
していた彼の実体験をリアルに再現したかのような
面白い作品があります。
根底に「リアル」が優先する傾向があるのかも
知れません。
つげさんにも、貧乏な自分の生活を描いた
私小説的な作品は多いですが、全てが
「リアル」ではない。
その体験の変換・創作過程で、彼の詩的な感性が
独特な形式で発揮されることになります。
五十嵐大介の『リトルフォレスト』には
それがあまり感じられません。
主人公が女性に代わっているくらいかな~
という印象だった。
ですから、ぼくは最初この大介ネームは
女性作者のメクラマシかな?と、思って
しまったくらいでしたからね。
こうした作品とタマシイとの飛躍距離。
そこへ飛んでいくときに、強引さが出ている。
飛躍のための「詩心」が生まれていればいいが、
彼は絵画的描写力が高度なものだから、
それに頼り過ぎているのかも知れませんね。
諸星・つげ路線はそうではない。
どちらかというと「不器用」な作画能力だ。
極端に言うと「下手」。
そこに実にいい味があるんですね。
ぼくが驚いたのは、つげさんが或る作品で
単行本再録の際に、絵を書き直したコマが
あるんですが、人物のデッサンが少し狂った
感じで修正されていたんです。
普通、デッサンが狂っていたから直す。
その逆を意識的にやっていた。
つげ、畏るべし、と思いましたね。
油断できないな(笑)と、感じたものです。
五十嵐は巧すぎるのかも。
ぼくはマンガ・コースの生徒にも良く言うんですが、
うまくなんかなくていいよ、心をこめて下手のまま
真剣に描いてよ!と言ったりします。
「うまくなりたい!」と思って入学してきた学生に
とっては、「ん??」ってな感じがするかも。
でも、最近のマンガを見ていると、みんなうまくて、
なんかつまんない~といった印象もある。
「ヘタウマ」とは違った、下手さの詩。
そんな感じのマンガが有ったら読みたいです。