ねこの気まぐれ散歩

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隅田山 多聞寺 付近 消えてしまった橋の航空写真

2007-08-06 21:24:39 | Weblog
レンガ造りの蔵が建つ敷地の前が、綾瀬川側道と消えてしまった橋の丁字路なっています、この丁字路のところに、40年ほど前までは、小さな橋がかかていたそうです。
綾瀬川も49年ほど前に河川工事が行われ無機質なコンクリート堤防になり綾瀬川の上には、首都高速の高架橋が建設され不粋な風景です、美香氏消えた小さな橋を難しい現状ですが、なつかしい昔話に出会ったような気持ちがしました。
昭和23年米軍撮影の航空写真です。

隅田山 多聞寺 付近 綾瀬川堤の跡2

2007-08-06 21:12:07 | Weblog
前記時からの次きます。綾瀬川の堤に上がるための石の階段です、石段を上がたところに、昔の橋がありました、昔から多くの人々が使用したのでしょう、堤の高さは、2メートル40センチ程手す。

隅田山 多聞寺 付近 綾瀬川堤の跡

2007-08-06 21:01:58 | Weblog
大正5年建築のレンガ造りの蔵が立つ敷地に、綾瀬川の堤の跡が残されています。堤の高さ、角度が略残されています。次の記事で堤に上がるための石の階段の画像をご確認下さい、約100メートルの部分は、昔の地形を知るための貴重な資料です。

隅田山 多聞寺 付近 大正5年建築のレンガの蔵2

2007-08-06 20:46:29 | Weblog
先の記事で説明いたしましたが、蔵の表面の状態です、大正5年の建築としては、破損や修復の跡も非常に少なく、大変よい保存状態です。

隅田山 多聞寺 付近 大正5年建設のレンガ造り蔵1

2007-08-06 20:38:25 | Weblog
多聞寺裏て、
綾瀬川の側道に面したところに、大正5年に建設されたレンガ造りの蔵が立っています、墨田区では、関東大地震と戦災と言う大きな災害に見舞われましたが、このレンガ造りの蔵は、幸い難を逃れ現存しています、構造やレンガの表面も劣化が少なく保存状態も良好で、東京でも大正中期の建築物は、少なくなりました、特に墨田区内では、貴重な資料です。

隅田川七福神 隅田山吉祥院 多聞寺 石仏1

2007-08-06 11:24:47 | Weblog
本堂左手奥にあります。

隅田川七福神 隅田山吉祥院 多聞寺 蓮の花

2007-08-06 11:12:07 | Weblog
多聞寺を訪れたときに、一輪の蓮の花が光り輝いて咲いていました、

隅田川七福神 隅田山吉祥院 多聞寺 石仏2

2007-08-06 11:10:12 | Weblog
本堂左手奥にあります。

隅田川七福神 隅田山吉祥院 多聞寺 本尊

2007-08-06 01:17:16 | Weblog
多寺寺の本尊の本尊は、毘沙門天像は、弘法大師作言われていますが、鎌倉時代の特徴を示あう総高50センチの木立像です。

毘沙門天は、梵名のバイシュラマナを訳したもので、仏の教えをよく聞くと言う意味で、多聞天の別名です、インドの神ですが仏教に取り入れられました、仏教では、四天王の最強の神です。

十二天の一神でもあり、毘沙門天信仰のもとは、毘沙門天経で毘沙門天を願すれば、財宝福徳の仏神と子宝を授かると言う信仰も強い、
また、軍神としても信仰が厚い。聖徳太子が物部守屋を征討した時、四天王を造って、祈願して戦勝し、後に摂津国に四天王寺を造立、戦勝護国の仏神としても信奉されてきました、

毘沙門天は勇気を持って悪に立ち向かえば、財をもたらすと言うことから七福神に加えられたとの説と、幸福の神である吉祥天を妻にしたところから、毘沙福をもたらす神だからというせつもあります。

御利益は福徳、戦勝、仏法守護などがあります。

隅田川七福神 隅田山吉祥院 多聞寺 狸塚の言われ

2007-08-05 17:26:52 | Weblog
狸塚の言われ

むかし、江戸幕府が開かれる前の頃、今の多聞寺のあたりは、隅田川の河原の中で、草木が生い茂るとても寂しいところでした。
そこには、大きな池があり、ひとたび見るだけで気を失い、何か月も寝込んでしまうと言う毒蛇が潜んでいました。大人が五人でかかえるほどの松の木がありました。この末の根元には大きな穴があり、妖怪狸がすみつき人々とをたぶらかしていたのです。
そこで「ばん海和尚」と村人たちは、人もよりつくこともできないような、恐ろしいこの場所に、お堂を建てて妖怪たちを追い払うことにしました。
まず、大きな松を切り倒し、穴をふさぎ、それから、いけをうめてしまいました。
そるとどうでしょう、大地がとどろき、空から土が降ってきたり、いたずらがひどくなるばかり、
ある晩のことでした、和尚さんの夢の中に、天までとどくような大入道があらわれて、
「おい,ここはわしのものじ。さっさと、 さっさと出て行け、さもないと、村人たちを食ってしまうぞ。」とおどかすのでした。
和尚さんはびっくりして一心にご本尊さまを拝みました。
やがて、ご本尊毘沙門天のお使いが現れて、妖怪狸に話しました。
「おまえの悪さは、いつかおまえをほろぼすことになるぞ。」
次の朝、二匹の狸がお堂の死んでいました。これを見つけた和尚さんと村人たちは、狸がかわいそうになりました。
そして、切り倒してしまった松の木や、埋めてしまった池への供養のためにもと、塚を築いたのです。

昔の言い伝えは、人々への戒めや教えを伝えようとしていますが、この狸塚の言われは現在の人間とって反省すべきことがあるように思いがします。

隅田川七福神 隅田山吉祥院 多聞寺 阿弥陀如来石像

2007-08-05 11:33:00 | Weblog
墨田区指定文化財、阿弥陀如来石像は、寛文四年(1664)に造立です、阿弥陀様で知られています。
西方極楽浄土に居られ、その力は、無量寿如来「はかりしれない生命力」と無量光如来「はかりしれない光に満ちた如来」とされています。
御真言「おん あみりた ていせい から うん」(なむあみだぶつ)で知られていますが、「南無阿弥陀仏」を唱える者を極楽浄土に導いてくれると言われています。
真言宗では「おん あみりたていぜい から うん」とのことですです。

「あみだくじ」の語源が阿弥陀如来からきていると言われております、阿弥陀様の放射状に広がる後光と似ていた事から名前が付いたようです。

なお阿弥陀如来石像の左手は子育地蔵です、

隅田川七福神 吉祥院隅田山 多聞寺 座姿六地蔵

2007-08-04 23:27:58 | Weblog
多聞寺の六地蔵は、座姿六地蔵で都内で非常に珍しい地蔵尊です、総高は150センチで地面から一段と二段は方形の台座で三段目は蓮台、その上に、それぞれ60センチの地蔵が載っています。いずれも安山岩で出来ています。
僧覚誉理慶(利慶)が願主となり、七年間にわたって、隅田村内の地蔵講結衆の二世安楽を願って造立ました、
墨田区登録文化財

隅田川七福神 隅田山吉祥院 多聞寺 山門

2007-08-04 23:16:56 | Weblog
健立は慶安二年(1649)でその後焼失しましたが、享和三年の火災の時は、難を逃れておりますから享和3年には再健されていた事になります。墨田区は、関東大地震や戦災の被害多く墨田区現存する最古の木造建築です、周辺の意匠と関連や相違を検証するうえでも重要な建造物です。

隅田川七福神 隅田山吉祥院 多聞寺

2007-08-04 22:54:09 | Weblog
東武伊勢崎線鐘淵駅を下車、鐘淵駅前商店街と言う古い商店街を通り狭い道をと歩くと、多聞寺に着く街並みは道が狭く車の通行が少ないので静かで、その街の中に清楚なたたずまいの多聞寺ある。
創建は天徳年間(957~960)頃と伝えられています、ご本尊を不動明王とし号を大鏡山明王院隅田寺と言われています。
当時隅田寺の周囲は、堤は桜並木があり観光名所で賑やかな所だっようです。
その後天正年間(1573~1592)頃現在の地に移り本尊を毘沙門天とし号を隅田山吉祥院多聞寺と改弥したと言われています。