駒大苫小牧高校が甲子園出場を辞退しました。
原因は卒業式当日の3年生部員による飲酒・喫煙。夏の大会後で事実上引退している3年生ですが、高野連によるルール改正で、今では卒業式までは野球部員として監督・部長の指導下におかれるらしいです。これが災いして、野球部員としての最後の日に3年生は不祥事をおこしてしまったわけです。
高野連はこれを受けて処分を検討、連帯責任を問わない最近の傾向と卒業生による不祥事ということで厳重注意で済むのではないか、という憶測がされていました。しかし、学校側が処分を待たずに先手を打って対応し、センバツの辞退と監督・部長・校長の辞任を発表しました。世間に対して道義的に責任を取ったわけです。学校だけに限りませんが、なんでこんな対応を取ってしまうんでしょうか。学校長は会見で「心技体そろった学校が甲子園にでるべきだ」みたいなことを言いました。うちの学校は心ができていませんでした、と。
心技体なんて横綱にようやく求められるものだと思ってました。どう考えても高校生で心技体の完成を求めるのは無理があるでしょう。彼らは色々と間違いを犯します。だからこそどうやって対応してきたか、またこれからどう対応するつもりかを具体的に学校長は提示しないといけなかったし、それを示さずに辞退で事を終わりにしようという態度は最悪としか言いようがありません。
また、駒大苫小牧は甲子園のブランド校で全国から有望な選手が入学してきます。彼らは甲子園に出場することだけを目的に北海道まで来たわけではありません。昔は甲子園に出られることがゴールという選手も多かったかもしれませんが、今の高校生たち(特に強豪校の生徒たち)は、プロ野球をはっきりと意識しています。メジャーという選手もいるでしょう。そういう選手が数少ない大きな大会でプレーする機会を失うということ、あるいは何ヶ月も対外試合を禁止されることの意味を日本人はどう考えているんでしょうか。「選手たちがかわいそうだ」とはよく言われます(そんなことは当たり前で、言う必要もないんですが)。しかし、こういうところに無頓着だから冬季五輪でメダル1個みたいなことになるということを誰も言いません。90年代後半から金メダリストや一流スポーツ選手は長期的な育成プランと充実した環境で生まれる時代に突入しています。サッカーのストライカーなんかはスラムから輩出されると言われますが、日本には貧乏から脱するためにプロになるとか自分がプロになって親戚一同を養うとかいう切迫した状況はありません。だったら育成環境を整えて才能を潰さないように伸ばすしかないと思います。
実際のピッチングは見たことありませんが、新3年生の田中投手は松坂大輔(西武)を超える逸材と言われているみたいです。プロ野球は客を呼べる選手が少なくなっているので、こういう選手こそ大事に育てるべきです。甲子園で見られなくて残念という短期的な話じゃないですよ。
もうそれより甲子園は今の日本に必要ないということにまで触れるべきなのかもしれません。田中投手が甲子園に出たとしても連投に次ぐ連投で肘・肩を消耗するでしょう。こんな出鱈目な登板をさせる大会はなくていいというのが1つ。さらに、野球留学による地域性の消滅が問題にされています。これは、留学を制限させて地域性を復活させるというより、地域別というこだわりを捨てた方がいいんじゃないかということがもう1つです。選手の育成を第一に考えた大会方式を考えるべきです。オレはそういう大会だったら見たいですね。地元や出身県の活躍する姿を見て、田舎を誇らしく思いたいという大人の事情なんて無視していいんです。高校生の側からぜひ言ってほしいですね。
「オレたちには与えられた甲子園なんていう舞台は必要じゃない。もっと野球がうまくなりたいだけなんだ」と。
原因は卒業式当日の3年生部員による飲酒・喫煙。夏の大会後で事実上引退している3年生ですが、高野連によるルール改正で、今では卒業式までは野球部員として監督・部長の指導下におかれるらしいです。これが災いして、野球部員としての最後の日に3年生は不祥事をおこしてしまったわけです。
高野連はこれを受けて処分を検討、連帯責任を問わない最近の傾向と卒業生による不祥事ということで厳重注意で済むのではないか、という憶測がされていました。しかし、学校側が処分を待たずに先手を打って対応し、センバツの辞退と監督・部長・校長の辞任を発表しました。世間に対して道義的に責任を取ったわけです。学校だけに限りませんが、なんでこんな対応を取ってしまうんでしょうか。学校長は会見で「心技体そろった学校が甲子園にでるべきだ」みたいなことを言いました。うちの学校は心ができていませんでした、と。
心技体なんて横綱にようやく求められるものだと思ってました。どう考えても高校生で心技体の完成を求めるのは無理があるでしょう。彼らは色々と間違いを犯します。だからこそどうやって対応してきたか、またこれからどう対応するつもりかを具体的に学校長は提示しないといけなかったし、それを示さずに辞退で事を終わりにしようという態度は最悪としか言いようがありません。
また、駒大苫小牧は甲子園のブランド校で全国から有望な選手が入学してきます。彼らは甲子園に出場することだけを目的に北海道まで来たわけではありません。昔は甲子園に出られることがゴールという選手も多かったかもしれませんが、今の高校生たち(特に強豪校の生徒たち)は、プロ野球をはっきりと意識しています。メジャーという選手もいるでしょう。そういう選手が数少ない大きな大会でプレーする機会を失うということ、あるいは何ヶ月も対外試合を禁止されることの意味を日本人はどう考えているんでしょうか。「選手たちがかわいそうだ」とはよく言われます(そんなことは当たり前で、言う必要もないんですが)。しかし、こういうところに無頓着だから冬季五輪でメダル1個みたいなことになるということを誰も言いません。90年代後半から金メダリストや一流スポーツ選手は長期的な育成プランと充実した環境で生まれる時代に突入しています。サッカーのストライカーなんかはスラムから輩出されると言われますが、日本には貧乏から脱するためにプロになるとか自分がプロになって親戚一同を養うとかいう切迫した状況はありません。だったら育成環境を整えて才能を潰さないように伸ばすしかないと思います。
実際のピッチングは見たことありませんが、新3年生の田中投手は松坂大輔(西武)を超える逸材と言われているみたいです。プロ野球は客を呼べる選手が少なくなっているので、こういう選手こそ大事に育てるべきです。甲子園で見られなくて残念という短期的な話じゃないですよ。
もうそれより甲子園は今の日本に必要ないということにまで触れるべきなのかもしれません。田中投手が甲子園に出たとしても連投に次ぐ連投で肘・肩を消耗するでしょう。こんな出鱈目な登板をさせる大会はなくていいというのが1つ。さらに、野球留学による地域性の消滅が問題にされています。これは、留学を制限させて地域性を復活させるというより、地域別というこだわりを捨てた方がいいんじゃないかということがもう1つです。選手の育成を第一に考えた大会方式を考えるべきです。オレはそういう大会だったら見たいですね。地元や出身県の活躍する姿を見て、田舎を誇らしく思いたいという大人の事情なんて無視していいんです。高校生の側からぜひ言ってほしいですね。
「オレたちには与えられた甲子園なんていう舞台は必要じゃない。もっと野球がうまくなりたいだけなんだ」と。