だいまる凹凸日記

今まで、三日坊主どころか一日で終わらしていた日記。
子宮体がんになったからには、がんばって記録を残してみよう!

引き金の一つ…たぶん

2010-10-27 20:02:49 | 病名がわかるまで

2009年3月の人事異動の2ヶ月前に、他部署へ異動の内示があった。
父が余命宣告されて、家族全員ががたがたしているときである。


何故このタイミング!!!!!(怒


そして、父がいってしまってからすぐに引き継ぎを始めた。

引き継ぎの相手Kさんと一緒に、毎日毎日夜10時頃まで残業が続く。
自分もかなり大変なはずなのに、Kさんは私のことを気遣って、色々言葉をかけてくれた。
ありがとう。精神的にだいぶ救われました。

けれど、新しい部署の上司は、

夜、引き継ぎを終えて自分の席に戻ると、必ず帰った後。一言もなく。

その時は、仕事のことと家族のことで頭がいっぱいいっぱいだったので、スルーしたが、今回の件で会社をお休みすることになり、その上司にも私の仕事を分担してもらうことになって、

ざまぁみろ。と少し思ってしまったのでした。

私もあの時大変だったんですよー(笑

ただ、Kさんにも分担してもらうことになってしまったため、申し訳ない気持ちでいっぱいです。ごめんなさい。


2010-10-26 21:13:02 | 病名がわかるまで

母には、自覚症状も婦人科の病院に行くことも、すべて話しをしていたので病名を隠さずに伝えた。
話し終えた後、「そう…」とつぶやいてしばらく何も話さなかった。



父の病気が分かったのは、2008年の秋だったと思う。
若い頃に痔の手術をして直したが、また便に血が混じるようになって病院で検査してもらったところ、大きな病院での検査をすすめられた。


大腸がん と、がんが 肝臓 にも転移していた。


今の状態では、手術をすることができないので、抗がん剤で腫瘍を小さくしていきましょう。といわれて、抗がん剤投与が始まった。
しばらくすると、副作用がでてきた。

手足のしびれ、味覚の異常、口内炎、脱毛

本人は直るのであれば、このくらいなんてことない。がんばれると言っていた。
私も、何の根拠もなく直るだろうと信じていた。

でも、抗がん剤を始めて1年がすぎた頃、車の運転ができなくなった。
母から、アクセルを急に踏んだり、路肩ぎりぎりを走行したりして、父の運転に不安を感じると聞いていたので、車を購入してペーパードライバーを返上、父の通院に備えた。

12月、父に表情がなくなり、無気力になった。
そして、余命宣告。

父も母も、病院への入院ではなく、在宅治療を選んだ。
寝たきりになってしまった父を一人にしないように、ベットを居間に移した。
ある日、外を見たいと父が言った。
車いすがなかったので、弟が父を抱きかかえて、家族4人で居間の窓から庭を眺めた。
いってしまう1ヶ月前だった。

あれから、1年と少し。

しばらく母の様子がおかしかったが、少しずつ元気になってきた頃、弟が突発性難聴になって入院。
何とか回復して皆で喜んでいたときに、私の病気が発覚した。



父を見ていて、がんの治療の辛さはわかっていた。そして、家族の何とかしてあげたいのに何もできないもどかしさも。悲しみも。

絶対に死ぬわけにはいかないと思った。


組織診の結果

2010-10-25 21:19:45 | 病名がわかるまで
(私にとって)最悪な組織診から、1週間後の7月9日。
母が墓参りしに出てくるというので、病院が終わったら待ち合わせて一緒に帰ることに。

カルテにも、細胞診の結果報告書にも、


「子宮体癌の疑い」


と記載されていたのに、この日まで、まったく気にもとめていなかった。

窓口で受付を済ませると、「今日はTが診察を行いますので、1番診察室になります。」と言われる。
…え?
前回診察が終わって、予約を入れたとき、「次回のご予約は7月9日で、担当はMになります。」と言われたはず…
T医師って…ここの病院の医院長だ……
いやな予感で息がつまってくる。

予約時間を1時間程過ぎても、一向に呼ばれる気配がない。
母に、診察が遅れているので、座って待てる場所に移動してもらうようメールを送信し終わると、ようやく呼ばれて診察室へ。

診察室へ入ると、T先生は振り返りしっかり目をあわせ、


「悪いお知らせです。がん細胞が見つかりました。」



-病理組織検査報告書より-

組織所見:標本は生検された内膜組織ですが、比較的明瞭な腺管形成傾向を示す異形細胞の増殖が認められます。これらの細胞は核の腫大および濃染化傾向が強く、場所により明瞭な大小不同性を示し、管腔構造にも著しい乱れがみられます。また、部分的に間質への浸潤を示唆する所見が認められます。標本からは、Grase 1のendometrioid adenocarcinomaと思われます。

endometrioid adenocarcinoma=類内膜腺癌



なぜ?


大きな病院での検査をすすめられ、紹介状書くのでどこの病院にしましょうか?と聞かれるが、何も考えられない。
かろうじて、病院に通うことになるのであれば会社の近くでなければ、と思いつき、市内がいいと答えると、大学病院にしましょう。紹介状とプレパラートをお渡ししますので、週明けすぐに行ってください。と言われた。
けれど、大学病院の初診受付は10時30分まで。
今は、金曜日の17時30分。仕事の調整をしなければならないし、上司に報告する必要がある。
週明けはちょっと難しい…ともらすと、

「あなたの身体の方が大切なのだから、必ず月曜日に行ってください。」

とT先生。

ありがとうございます。
身体の心配をしてくださって、大変うれしかったです。


…が、後で確認したところ、大学病院の婦人科外来は、月・水・金曜日。
しかも完全予約制。
初診は電話での予約が必要で、電話の受付が平日の14時から16時まで。

さて?


小休止

2010-10-21 13:38:50 | 雑記

組織診の結果の用紙が手元にないので、今日はお休みです。

ブログを開設したばかりで、用語そのものがわからず四苦八苦しながら更新しています。
そんな未熟なブログにアクセスいただいて、本当にありがとうございます。


私はつい最近まで、子宮体がん、いえ、 がん とは無縁だと思っていました。

けれど、

2008年に父が大腸がんを患い、自分も子宮体がんと告知されて、慌てて知識を求めました。
医学書や病院のサイト、闘病記など、さまざまなものを読みました。

その中で、

同じ病気の方のサイトは、未知の病気を前に、ともすればくじけそうな気持ちをひっぱり上げてくれました。
だから、私の体験も、同じ悩みをかかえているだれかの気持ちの、ほんの少しではあるけど助けになればいいな、と思ってブログを立ち上げたのです。


とかいいながら、
後で見返すための記録帳がわりでもありますが(笑


そ・し・き・し~ん!(泣)

2010-10-20 13:20:45 | 病名がわかるまで
6月18日に始まった生理は、3日目にしてピークをむかえ、塊がどっと落ちるのがわかるほど。
慌ててトイレに駆け込んで確認すると、「多めの昼用」ナプキンはいっぱいいっぱいで、吸収できない状態に。
そして、ぷるぷるとゆれる塊が…

うひ~ こ、怖すぎるぅ。
貧血になって倒れんじゃないか、私!

この日は、1時間ごとにナプキンをかえていた。

4日目は何とか落ち着いたもののやはり多かったが、12日目になって終わりに近づいてきたため、


7月2日 ふたたびTクリニックへ、組織診を受けに行く。


前回の診察のとき、「組織診は痛みを伴います」と説明されていたので覚悟はしていた。
覚悟はしていたけど……………


い゛だーーーーーーーー!!!!!!!


しかも広範囲に採取してくれたらしくて、中々終わらない(泣
そのうち、足に震えがきて気が遠くなる。

いえ、いいんですよ。
せっかく検査をするのだがら、きっちり見てもらったほうがいいに決まってますし。
分かってます。分かってますが、



最悪の検査です(トホ

せっかく生理が終わったのに、また出血するし(涙


あくまでも、だいまる個人の感覚と、採取した時の状況によります。
この後、もう1回組織診をしましたが、あまり気になりませんでしたから。

診察が終わって待合室でお会計を待っている間、

今、呼ばれても絶対に立ち上がれるわけないっつーのっっ!
呼ばれても、ぜったいに断ってやる!!

と息巻いていたが、結局呼ばれたのは1時間後でした。
慣れてらっしゃる。


そしてまた、結果が1週間後にでるとのことで、ヨロヨロしながら帰宅の途についたのでありました。