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あっちこっち気まま旅‼️

手賀沼物語

手賀沼にまつわる

手 賀 沼 伝 説 ①
2023年9月26日 (火)
手賀沼をしょっちゅう
走りながらも
道路脇に建つ
石碑には無頓着でした😭
この石碑には
手賀沼にまつわる昔ばなし
言い伝えが記されています
きょうはこの石碑をじっくり
みて廻ろうと思います🎵
石に刻まれたものを
チョット長くなりましたが
書いてみます
赤い〇ナンバーは各項目の位置を示したつもりです
鼻喰い田
後ろから見ると
鼻です
 昔、大井に追華城という小さな城がありました。ある時大津川を挟んだ対岸の芦張城と戦になりました。時の追華城主は坂巻若狭守、対する戸張方の大将は戸張弾正。大井勢が劣勢となり、弾正が追華の城山まで登ってきました。
そして、両将の一騎打ちとなり、組合ながら下の田んぼに落ちていきました。田んぼの泥の中で苦しさのあまり相手の鼻に喰いついたことから、この田んぼを『鼻喰いの田』と呼ぶようになったそうです。
今日では、鼻喰いの田の付近に住宅が建ち並んでいます。
黄金の亀
 昭和3年3月7日東京毎夕新聞によると、同年3月5日午後3時頃風早村大井の森さんの庭先で全身純金色の直径約8寸の亀を子供が発見、これを捕獲した
 昔から手賀沼の深い所には浦方の亀と称する『黄金の亀』が棲息していると言い伝えられていたそうです
伝奇『日女若(ひめわか)ものがたり』
 市川新之丞は手賀沼の渡船に揺られていた。
目的は主君千葉介の手紙を箕輪城に届ける事。
しかし彼の心には別の想いがあった。
箕輪城の城主は日女若といい、知らぬ者のない美しい女武者で、戦場で一目見て以来、その美しさに心を奪われていたのだった。
 千葉介と箕輪城の和平は成らず、千葉方の兵二千騎は、手賀沼を前に、白幡●発作の間に陣を張った。
 日女若夫人は長刀を水車の如くに奮戦したが敵の大軍前にじりじりと押されていった。
敵兵に囲まれ日女若の命運ももはやこれまでと思われたその時、若武者の一団が千葉方に向かって突撃を開始。
混乱した敵は大将を討たれ、総崩れとなって退却した。
 戦勝に沸く箕輪城の中で、深手を負った若武者(新之丞)は日女若に抱かれながら、息絶えたのである。
※『日女若ものがたり』は箕輪城を舞台に美しい女城主『日女若』が活躍する戦国ロマンです。
箕輪城は現在手賀沼病院の位置となります。

風早唱歌


手賀大橋の近くに歌碑が立っていました
『風早唱歌』とあります
作詞は関忠太郎さん
風早尋常小学校の先生です
この歌は大正元年(1912年)のものですね
なんと13番まであります
表に6番まで刻まれています
裏面にも刻まれていました

1番と2番を記してみます

1番
大利根ゆるく船乗せて
東に続く手賀の沼
波静かに手芦の間を
つくし置くなり漁り夫か

2番
此所早風は丑寅の
沼にそめる箕輪にて
如意寺は東手賀村に
鐘の響きを伝うらん
(まなびの庭もありしとか)



水神様


水神様
手賀沼の安全を祈願❓
小さな祠が祀られていました


彩を添えて
手賀沼の曼殊沙華
彼岸花が綺麗に咲いていました
曙橋からほど近い所です









真夏日から解放され
初秋の爽やかな
緑道を歩いてみました
手賀沼にも
彼岸花が植えられています
これからもっと増えてきそうです
キレイな手賀沼の
緑道をウオーキングしたり
サイクリングが楽しめます

後ほど『藤姫伝説』
書けたらいいなと思っています



急いで


走って


あぁ~ 疲れた

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