FOMAL HAUT

フォーマルハウトは、みなみのうお座の一等星です。
この星のように輝けるようにと願いを込めて付けました。

三度目の運命(フェイト)

2012-09-27 17:02:38 | 小説
初めまして。
小説を担当しております水若ナスカと申します。
初めての作品となりますので、心優しく見守っていただければと思います。




三度目の運命(フェイト)1




はじめて彼女を見たのは偶然だった。
ふとした気まぐれで覗いた先にあったのは、薄暗く、潮の香りのする黴臭い部屋。
たいして広くもないその部屋には、頑丈な檻に入れられたたくさんのイキモノがいた。
変わった毛色のものや珍しい形をしたもの。ありふれた種類のものや見たこともないような不思議なもの。大きな猛獣や愛らしい小動物。
多種多様なイキモノがぎりぎりの大きさの檻に押し込まれ、大小の檻が積み上げられるようにして無理矢理空間を埋めていて、まるで子供の作った下手くそな積木細工のようだった。
そんな雑多なイキモノがぎっしりと詰め込まれたそこに、当然のように彼女はいた。
唯一檻の中に余裕がある大きめの檻の中に、まとめて入れられているうちの一匹だった。
薄汚れた服を纏い、虚ろな瞳を茫漠と揺らす人間の子供たち。
諦観と絶望で心が腐っていく嫌な臭いを放つ子供たちは、同じような境遇で、彼らよりもっと狭苦しい檻の中でも必死で生きている数多のイキモノたちに比べて遥かに醜悪なイキモノに見えた。
そんな彼らが僕の精神に何かしらの痛痒を与えることはなく、興が削がれた僕が目を逸らそうとしたときだった。

赤く、紅く、朱く。

煌々と光る瞳が、僕の心を揺さぶった。
暗闇の中でもはっきりとわかる鮮やかな赤。
その瞳は仄暗く、しかし爛々と輝いていた。
やせ衰え、襤褸切れのような衣服をまとった幼い少女。
汚泥のような匂いを放つ他の子供たちの垢に塗れてもなお目立つ光を放つ眼だった。
この薄汚れた空間に似つかわしくない、いや、むしろ何よりも相応しいのかもしれないその澱んだ美しさは、珍しくも僕の気を引いた。
思わず鳴らしてしまった喉に、僕はその瞳をもっと見てみたいと思った。
そっと覗き見る角度を調節し、じっくりと輝く赤を覗き込む。
じっと見つめてみたその瞳は、ぐるぐると渦巻く思いに揺れていた。
それがどんな感情だったのかは僕にはわからない。
それは灼熱の怒りだったのかもしれないし、凍える憎悪だったのかもしれない
ただ、彼女の心が移ろうのにあわせて燃え上がる瞳の炎に引き付けられた。
その炎に誘われるようにして、心の奥から何か熱くて重たいものが込み上げてくる。
今まで感じたことのない疼きが爆発する場所を求めて僕の中を彷徨った時。

彼女と目があった。

瞬間、僕はとっさに今まで覗き見していた窓を閉じた。
彼女に射抜かれた眼をかばうようにしてうずくまる。
わけのわからない感情が僕の中を荒れ狂い、混乱の渦へと叩き落とした。
あんな暗い中で、さらには次元を挟んで覗いていた僕に気づくはずがない。目があったような気がしたのは僕の考えすぎだと言い聞かせる頭とは裏腹に、心臓が痛いくらいにばくばくと脈打つ。
不思議と高揚する心が自分のものではないような気がする。
そんな得体のしれない感情なんて僕のものではない。
僕は無理矢理に僕の中で暴れるそれから目を逸らした。
考えないようにするために、もう一つ、心を揺さぶる事柄に目を向ける。
もしも彼女に僕の存在を気づかれたというのならば、それは自分の力に絶対の自信を持っていた僕には到底許容できない失態だ。
そんなことはありえないと頭が告げる。
幼く無力な子供である彼女が次元を渡る僕に気づけるはずがない。
僕が見詰めていた方向をたまたま彼女が向いただけだ。
傷ついたプライドを慰めるように次々と正論を述べる理性に釣られてか、混乱していた感情が落ち着いてくる。
狂ったようにうごめいていた得体のしれないものも、なんとか静けさを取り戻した。
落ち着いた僕は、彼女と目があったのは気のせいだったと結論づけた。
いまだに燻り、うずくまっていた感情を吐き出すように大きく息をつく。
知らず滲んでいた汗をぬぐい、僕はわずかとはいえ心乱されたことを恥じるように、さっき見た光景を頭から締め出した。
そしてまた、次元を割いて、面白いものを探し始めた。
枯れ草色の草原を駆ける双首大鹿の群れを眺める僕を、あの赤い瞳が見ている気がした。





二度目に彼女を見つけたのはある意味必然だった。
新たに移り住もうとしていた一つの世界。
生物や生態、文化や風習、歴史や法則、集めていたたくさんの情報の中に彼女の姿があった。
ほんの付け加え程度に紛れ込んでいた薄っぺらい情報。
僕は次元の窓から覗いて興味を引かれた世界に定住する。だから、見たことのある彼女の世界が選択肢に入っていてもおかしくはなかった。
あのときの僕は彼女の顔形も覚えてなんかいなかったし、当然名前や生い立ちなんてものは知るはずがなかった。
どこの世界で見たのかさえ、記憶には残っていなかった。
だから、あえて彼女のいる世界を選んだわけではない。
その証拠に、初め僕は彼女に気づかなかった。
暇つぶしに適当に覗き見していた風景の一部に彼女が混じっていただけなのだから当前といえば当前だが、この世界に住むイキモノのうちの一体としてしか僕の目には映らなかった。
しかし、それも情報に付随していた彼女の姿を視界に収めるまでのこと。
赤い目に、射抜かれた。
忘れ去っていた記憶があふれ出し、あの時の赤は彼女だと主張する。
あの時よりも、より暗く、より濁って、より熱く燃える瞳は、変わらない光と、遥かに強い輝きを秘めてそこにいた。
この世界で活動するうえで注意すべきもの一つとして挙げられていた彼女は、語られる華々しい伝説にふさわしい陰惨な過去を送っていたらしい。
僕が以前に見かけたそれを序章として、あれから彼女が見た地獄は馬鹿馬鹿しいほどにありふれたものだった。
ただ彼女は同じ地獄を味わっただろう星の数ほどの憐れなイキモノ達よりも少しだけ運が良かった。
少しだけ運が良かったから彼女は生き延びていて、少しだけ運が良かったから彼女は恐れられるほどに名を馳せている。
それはある意味で当たり前のことだったのだろう。
一度闇に落ちたら生半可なことでは戻れない。そして、そこで生き残ることもまた容易ではない。
彼女もまた戻ることはできず、そして今も生きている。
こうしている今もまだ彼女の苦難は続いているのだろうが、そんなことは僕にはどうでもよかった。
彼女の動向に興味はない。
ただ、彼女の仕事の一部を切り取った映像を何とはなしに眺める。

目があった。

映像越しだというのに、それでも僕は彼女と目があった。
カメラにちらりと視線をやった彼女に、射竦められた。
懐かしい疼きが、胸の奥で頭をもたげる。
気が付けば僕の手は繰り返し映像を流し、そのたびに彼女に睨まれて心臓を止めた。
何度も何度も覗き込んだ彼女の瞳は、至高の美しさとして僕の目に映る。

欲しい。

思考から滑り出てきた言葉を意識して、僕ははっと意識を取り戻した。
自分はいったい何をやっていたのだろう。
全くの無意識のうちに繰り出されていた行動に言い知れない恐怖を感じ、狼狽して自らの体を抱きしめる。
今まであらゆる事象を漫然と見過ごしてきた僕に、ありえない衝動。存在しなかった心の動き。
自分の立つ足場が崩れていくような感覚に、僕は延々と流されていた映像を叩き切った。
ありえない。この僕が執着することなんて、あるはずがない。
必死に言い聞かせて焦る心を宥め、また心が揺らぎださないうちにと僕は彼女の資料を処分した。
これ以上彼女を見ていれば、考えてしまえば、僕が僕としてあるべき大切な何かが、完膚なきまでに破壊されてしまう。
根拠のしれない、けれどひどく切羽詰った危機感に、僕は努めて彼女を記憶の隅から追いやった。
僕は何も見ていない。
ブラックリストにいたのは彼女ではなく、取るに足りない一人の人間だったんだ。
暗示をかけるように繰り返し、僕は彼女を忘れた。
記憶の底にこびりついた赤い目なんて、気のせいに決まっている。





そして三度目。
僕は、運命に巡りあう。