なんてことだ。大ピンチ。
ぜったいに私以外の人の前で、しゃべっちゃダメだって言っておいたのに……
リュウのヤツってば、いくらカラスにみつかったからって「助けてぇー!」なんて大声で叫んで、よりによって本田のランドセルにもぐりこむなんて。
仕方がない。こうなったら大声でも出して本田の気をそらすしかない。超恥ずかしいけど、そんなことは言ってられない。私は神社の入り口の鳥居を指さして、自分が出せる一番大きな声で叫んだ。
「わー! なにあれ? 鳥居の上!」
本田が鳥居を見上げてくれたらチャンス。そのすきにリュウがランドセルから抜け出して、こっそり逃げてくれればいい。あとはてきとうにごまかせばなんとかなるだろう。
ところが本田は、私の声など聞こえなかったかのように、ペタンと地面にすわりこむと、背中からおもむろにランドセルをおろし、静かにそっとフタを開いた。
サイアク……おわった。
人の言葉を話すヘビ。大さわぎなんかされたら、どうしよう。
なすすべもなく、ぼうぜんとしていると、本田は両手で口をおおって大きく息を吸い込み、小さな声でつぶやいた。
「わお! 信じられない! これは……これは……サイコーにワンダフルッ!」
肩をプルプルふるわせて、銀ブチのメガネの奥で大きな目をキラキラさせている。
どうやら大声でさわぐ心配はなくなったようだ。ひとまずホッと胸をなでおろす。
けどまだ安心はできない。今度はリュウをこのまんま連れて帰られたら、それこそほんとにおしまいだ。私は一歩、二歩と足を進めると、
「下校中に神社に寄り道しちゃダメだって、言われてるよね?」
そう言って本田の前にしゃがみ込んだ。
本田の顔が一気に青ざめて、まるでお化けにでも出会ったようなおびえた表情で私を見る。さっきまであんなにキラキラと目をかがやかせていたのに。
「ご、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。何もしないからゆるしてください」
これでは、私が本田をいじめているみたいだ。
「ちょ、ちょっとぉ、やだなぁ。私、怒ってるんじゃないよ。ただランドセルの中のそのヘビをどうするのか聞きたかっただけ」
おびえて下を向いていた本田が顔を上げ、不思議そうに首をかしげて私の顔を見た。
「あのさ、えっと、なんて言ったらいいのかな。変だと思うかもしれないんだけど……そのヘビ、私の大事な友達なんだ。だから持って帰ったりしないでほしい。一生のおねがいだから」
私ったら、何言ってるんだろ。ぜったいに本田に変なヤツだと思われただろうな。そう思っていたのに本田の目がまたキラキラとかがやいた。
「友達? このヘビと? これまたなんてワンダフルなんだ! ってことはきみと友達になれば、ぼくもこのヘビと友達になれるのかな?」
「は? え?」
私が本田と友達……予想外の本田の言葉に吹き出しそうになった。だいたい本田はそんなことを言うようなキャラじゃない。いつも教室で本を読んでいて、ほとんどだれとも話をしない。まるで本以外は見えていないんじゃないかと思ってしまうくらいに。
「あ、ぼく、最初からこのヘビを連れて帰るつもりはなかったんだよ。このヘビはとても飼育がむずかしいからね。でももう少しじっくり観察させてくれない? このヘビ夜行性で土の中で生活してるから、なかなかお目にかかれないヘビでさ、ずっと見てみたいと思ってた、あこがれのヘビなんだ。タカチホヘビ。実際に見ることができるなんて夢みたいだ。ほら、光の加減で虹色にかがやくだろ? ほんっとに美しいなぁ。きみもそう思うだろ?」
本田とは二年生の時から二年続けて同じクラスだ。だけど、こんなにペラペラとしゃべるのを聞いたのは、初めてだった。
「タカチホヘビ? なにそれ? リュウってば、やっぱヘビなんだ」
私がぼそっとつぶやくと、ランドセルからリュウがひょこっと顔を出した。
「こら! みさっちまで何を言うてるねん。だまって話聞いとったら、ワイがヘビやと? ワイはヘビやないでっ! 龍や! 龍の子やねん」
「え? ええええっ!」
本田が体をのけぞらせて、大きな目をさらに大きく見開いた。
「ヘビがしゃべった! なんてことだ! ワンダフルすぎる。さっきも助けてって声がしたような気がしたけど、まさかそんなことないよなって思ってたんだ」
ああもう、リュウのバカっ。さっきの「助けてぇー!」だけなら、なんとかごまかすことができたのに。もう無理だ。私は「あちゃー……」と、おでこに手を当てて目を閉じた。
「ねぇ、聞いた? しゃべったよね? 聞き間違いじゃないよね?」
「だーかーらー、ワイは龍やで。龍言うたら神様や。しゃべれて当然やろ」
もうごまかしようがない。
「えっとぉ……そのぉ……信じられないだろうけど……そう言うことなんよ。ねぇ、このことは、ぜーったいにヒミツにしてくれる? だれにも言っちゃダメ。おねがい。こんなこと他の人に知られたら、リュウがどんな目にあうかわかんないじゃない」
本田は大きく見開かれた目をパチパチさせて言った。
「あたりまえだよ。これはぼくときみの二人だけのヒミツ。ぼくたちは友達だもの」
もう完全にお友達認定されている。リュウを守るためだから、とりあえず話を合わせておこう。
「そう! そうだよ。友達同士の約束ね」
本田は満足そうに、うんうんと大きくうなずくと、突然何かを思い出したようにハッとして、
「そうだ。ぼく家に帰らなきゃ。お母さんに早く帰ってくるように言われてたんだ。明日もここで会える? ぼくは三年一組、本田春樹。きみは?」
本田ってば、二年間も同じクラスなのにいまさら名前聞く? 軽くショックだ。
「同じ三年一組、水野美咲。去年も同じクラスだったよ」
「あ、ごめんなさい。ぼく人の名前とかおぼえられなくて」
「まぁいいけど。リュウと話をしたいなら、今日みたいな時間はダメ。人があまりいない早朝じゃなきゃ。朝五時にここに……」
私が話している途中なのに本田は、
「わかった! 朝の五時だね。じゃ明日」
そう言って、ランドセルを背負って走り出した。
「まったく。なんなのあれ」
私があきれていると、リュウがうれしそうに首をふりながら言った。
「あいつはたぶんええヤツや。みさっちとちがってワイのこと、尊敬の眼差しで見とった」
「はいはい、そうですか。それはよかったですね」
リュウのヤツってば、私がどんなに心配したか全くわかってない。
「リュウ、ダメじゃん。こんな時間にのこのこ出てきたら。危ないって言ったでしょ」
「ごめんって。ワイ、みさっちにあの花をあげたかっただけやねん」
足元を見ると、タコさんウインナーみたいなザクロの花が3つ落ちていた。昨日リュウにあの花おもしろいなって言ったから、わざわざ落としてくれたんだ。
「ありがと、リュウ。でももうこんな危ないことしないで。心臓ばくはつしそうなくらい心配したんだから」
私はザクロの花を拾い上げると、ポケットからハンカチを取り出して、ていねいに包んだ。
この神社には手水舎に立派な龍があって、リュウは生まれた時にそれを見たからなのか、自分は龍の子どもなのだと言いはっている。
ほんとかどうかは私にはわからない。龍なんているはずないってわかってるし、やっぱりヘビなんじゃないかなと思っている。現にさっきの本田の話で、ほぼヘビだって確定しちゃったし。あの神々しく虹色に光る体もそんな種類のヘビがいたってことだ。
だけど、言葉を話すことができるわけだから、ヘビだとしても、やっぱりふつうのヘビではない。
ふつうじゃないものは、生きていくのがむずかしい。
人に見つかったら、きっと見せ物にされて一生閉じ込められて自由をうばわれる。
リュウは私の初めての友達。だから私はリュウのことを守るって決めているんだ。
「みさっちは、おかんみたいやな。ワイ疲れたからもう寝るわ」
リュウは大きく口を開けあくびをすると、スルスルと賽銭箱に入っていった。
この神社の賽銭箱は、お金を入れるすきまがわずかにあるだけで、中も見えないようになっている。リュウがかくれるのにちょうどいい。ときどきお賽銭のお金がふってくるから、当たらないように気をつけているらしいけど。
私はリュウの姿が見えなくなるのを確認すると、家に向かって歩き始めた。
朝の五時、少し前までこの時間は、まだうす暗かったのに、もうすっかり明るくなっている。外に出ると空気がちょうどいい温度で気持ちいい。
子どもが朝早起きして散歩をするというと、たいていの親は反対しないだろう。
「早起きは三文の徳」だとかなんだか言って、早起きすることをものすごくいいことだと思っているから。
神社に着くと、鳥居の前で本田が不安気に立っていた。私をみつけると、ホッとした顔をして、
「よかった。来てくれて。時間まちがえてないかなとか、別の日のことだったかなとか、いろいろ考えたら、不安になっちゃって」
そりゃ人の話ちゃんと最後まで聞かないからだよ。って、つっこみたくなる気持ちをおさえて「おはよう。早かったね」とだけ言って賽銭箱に向かう。
賽銭箱を軽くコンコンとたたくと、リュウがひょっこり顔をのぞかせた。
「おはよう。みさっち、ぽんちゃん」
本田は自分のことだとわからなかったのか、きょろきょろとあたりを見回した。
「ぽんちゃんって、本田、あんたのことだよ」
私が言うと、なっとくしたらしく「ああそうか。ぼくがぽんちゃんなのか」と小さくつぶやいてから、
「おはようございます。えっと、リュウさん。でいいのかな?」
「リュウでええ」
「あ、えっと、きみのこと、スケッチしてもいいですか?」
本田はリュックからスケッチブックと鉛筆を取り出しながら言った。
「え? ワイ、モデルなんか? カッコイイ感じで描いてや」
もうリュウの返事も聞いていない。鉛筆を持つ本田の手が、さらさらとスケッチブックの上をリズミカルに動いている。
真っ白な画面に、写真のようにリュウが写し出されていく。
「へーうまいじゃん。いつも絵を描いてるの?」
本田はだまったまま、手を動かしている。聞こえていないのだろうか。しばらくすると
「できたっ! ありがとう!」
そう言って、本田はスケッチブックをリュックにしまい、さっさと帰ってしまった。
私があっけにとられて、ぼうぜんとしていると、
「あいつ、なんかすごいな。チョーおもろいヤツやで」
リュウが言った。
「ぜんぜん、おもしろくないっ! なにあれ? あれが友達にとるたいど? 信じられない」
私はむしょうにはらがたってきた。名前も覚えてもらえてなかったうえに、今日は無視。
リュウがクククと笑う。
「ええんとちゃう。あいつは自分に正直に生きとるだけや。シンプルに自分のやりたいこと、思いついたままにやっとるだけ。他のことにまで気が回らんのやろ。そんなん怒るほどのことちゃうやん」
リュウだけは、なにがあっても私の味方だと思ってたのに。
「もう帰るっ。そうだリュウ、今日は昨日みたいなことしないでよ」
なんだか本田のせいで朝から最悪な気分だ。
私は家に帰ると朝ごはんを食べ、モヤモヤする気持ちをかかえて学校に行った。
学校では本田は、やっぱりあいかわらず本田だった。ひたすら本を読んでいる。
朝は無視されてカチンときたけど、よく考えたら本田は本田なのだ。私が勝手に友達だから、仲良くおしゃべりできると期待してしまっていただけなんだ。はらをたてていることがバカバカしく思えてきた。リュウの言ったとおりだ。
明日の朝も本田は神社に来てくれるだろうか。スケッチが終わったら、もう来ないのだろうか。あんなにはらをたてていたのに、こなくなるかもしれないと思うと、ちょっぴりさびしい。そんなことをぼんやり考えていると、本田はパタンと読んでいた本を閉じ、私の方に向かってきた。
「明日の朝も行ってもいい?」
「え? ああ。もちろん」
私はホッとした。
そんなこんなで、私と本田とリュウの朝の会は続けられた。
本田はしゃべる時はめちゃくちゃよくしゃべる。生き物が好きで、今まで見たものは全部スケッチしているらしい。見せてもらったけど、どれもあまりに上手く描けていて、びっくりした。本田にこんな才能があったなんて。本をたくさん読んでいるから、話もおもしろい。リュウは日本の神話をおもしろがって、よく聞いていた。
本田のことをよく知らない時には、何を考えているのかわからない、気味の悪いヤツだと思ってたし、あまり関わりたくないなって思ってた。
ちゃんとしっかり見なきゃ、人のいいとこなんてわからないものだな。
あと一週間学校に行けば、夏休みが始まる。学校から解放される日が近いと思うと、心も軽くなる。いつものように朝の神社に行くと、本田とリュウがなにやら空に向かって、お祈りみたいなことをしていた。
「ねぇ、二人でなにやってるの?」
私の声に気がついたリュウが、
「おお、みさっち、ワイ、今日は本気出すで。なんてったって龍の子だからな。今から雨降らすねん」
「は? なんで雨?」
私が首をかしげていると、本田がリュウの代わりに説明してくれた。
ここ一週間、病気で入院している孫のために、毎日のようにお参りにきているおばあちゃんがいて、昨日は今日手術をする孫を勇気づけるために、ずっと見たがっていた大きな虹が空にかかりますように、ってねがい事をしていたらしい。
「虹言うたら、雨上がりやろ? ワイ龍やから雨雲呼べるはずやねん。ぽんちゃんからそんな龍の話、聞かせてもらったからな。ワイはがんばる。あのおばあちゃんの願いを叶えてあげるんや」
「そっか、それはなんとしてでも雨降らせたいね。私も雨が降るようにお祈りする」
本田はすでに土下座でもするかのように、お祈りしている。
こんなにいっしょうけんめいなのに、雨、降らなかったらどうしよう。リュウは龍じゃなくて、ただのヘビかもしれないのだから。そしたらリュウ落ち込むかな。ふとそんな不安が頭をよぎる。
本田はそんな私の顔を見て、私の耳元に顔を近づけると、小さな声でささやいた。
「大丈夫、雨は降るよ。今朝雨雲レーダーを見てきたから」
空を見上げてみると、少し黒い雲が流れてきた。
遠くでゴロゴロと雷の音も聞こえてきた。
「きたっ! 雨雲!」
三人同時に声をあげる。雨が降るのがこんなにうれしいのは初めてだ。
「もうすぐ雨が降るよ。ぼくたちは急いで家にもどろう。リュウ、あとは虹が出ることを祈って。ぼくも祈ってるから」
私はうんうんとうなずいて、心の中で「がんばれ! リュウ」と何度もくり返した。
家についたとたん、空はみるみる真っ黒になり、ザーッとはげしく雨が降り出した。
あとは雨が止んで虹が出るのを祈るのみ。
朝ごはんを食べてる間も落ち着かない。ついさっきまでは雨が降ることを祈ってたのに、今度は早く止むことを祈ってる。
学校にいく用意ができたころには、雨も止み、黒い雨雲はどんどん流れていき、空が明るくなってきた。
これは、ひょっとしてひょっとすると……
なんだか変にきんちょうして、胸がドキドキしてくる。ふぅと深呼吸をして、玄関のドアを開ける。
「わぁ!」
空には大きな虹がかかっていた。
やったね! リュウ!
やっぱりリュウは龍の子だ。
私は神社に向かってかけだした。
きっと本田も私を待っていてくれる。
一緒に、
「ワンダフルッ!」
って、虹を見て叫ぶんだ。