竹林亭白房

伯枝「鰻谷の由来」★落語

□本日落語二席。
◆笑福亭喬介「牛ほめ」(ラジオ関西『内海英華のラジ関寄席』)。
神戸新開地喜楽館、令和4(2022)年5月6日収録(昼席公演)※6月17日OA。

◆笑福亭伯枝「鰻谷の由来」(ラジオ関西『内海英華のラジ関寄席』)。
神戸新開地喜楽館、令和3(2021)年12月11日収録(昼席公演)※6月17日OA。
珍品である。川戸貞吉もこれは一度きりしか聞いたことがなく、しかもそれはラジオでだったと『落語大百科』に書いていた。演者は橘ノ圓都。
実は、圓都のこの一席だったら、自分もラジオで聞いたことがある。それは2005年のNHKラジオ第一『ラジオ名人寄席』だった。公演情報は、昭和38(1963)年6月24日(第二十六回NHK上方落語の会)。この放送では、演目を「鰻谷から鰻屋まで」と紹介していた。つまり、「鰻谷(の由来)」を演ったあとに、古典落語「鰻谷」へとつなげて演ったということだろう。
しかし、川戸は時代的に言って、「NHK上方落語の会」としてOAされたラジオを聞いたのかもしれない。『落語大百科』が発刊されたのが2001年である。

鰻料理を初めて食わせるようにしたのが、ミナミの川魚料理屋の<菱又>で、あるできごとがあって、それを店に出したということにしたのは内儀のお谷さんだったという噺。

昔はヌルマと言っていたこの魚をウナギというようになったのは、「お内儀」が訛ってできたとか、「鰻」の漢字は、魚扁に「曼」なのは、<菱又>を「日四又」に作ったからだとか、俗説としてよくできた噺ではある。この落語を聞いた人は、思わず人に語りたくなるかもしれない。
しかし、「うなぎ」の語は奈良時代からあるし、「鰻」の字ももともと中国にある。
ミナミに「鰻谷」という地名があるのは、<菱又>の内儀お谷さんからだというのもまあ洒落だろうか。

この落語は、2008年に笑福亭生喬でも聞いたことがある。公演情報は、NHK大阪ホール、平成20(2008)年3月24日(274回「NHK上方落語の会」)。このときの演目は今日と同じ「鰻谷の由来」である。
そんなこんなで、この落語を聞いたのは、今日で三度めである。
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