竹林亭白房

志ん朝「愛宕山」★落語

□本日落語一席。
◆古今亭志ん朝「愛宕山」(NHK-Eテレ『おとなのEテレタイムマシン』)。
平成5(1993)年5月9日OA『日本の話芸』※東京霞ヶ関イイノホール、平成5(1993)年4月16日(第406回「東京落語会」)。
志ん朝の「愛宕山」は何席か聞いている。東京落語会の高座はもしかすると初めてだろうか。ちょっと古い記憶が不確かだ。たぶん毎回同じように演じていると思うのだが、今回、あらためて気づいたことがあった。

それは、幇間の一八と繁蔵がつれだって坂道を登る場面で、一八が景気づけに口にする唄である。

「鐘がボンとな~りゃサ、上げ潮~南サ、烏がパッと出りゃコラサノサ……そらスチャラカチャンたらスチャラカチャン……♪」。

これは、おなじみ「野ざらし」のなかで長屋の八五郎が釣をしながら浮かれて唄う俗曲だ。幕末から流行したものらしく、横浜の野毛山にあった異人館の風俗を唄にしたものと言われている。
東京の落語家が演る「愛宕山」は、旦那も幇間もみな江戸の人間だから、唄うものも江戸になじんだものとして、これが選ばれたということか。
さて、志ん朝以外の東京の落語家が「愛宕山」を演るときも、この「スチャラカチャン♪」で演るのかどうかこれから注意しておこう。

ちなみに、上方落語では、ここをまず「梅にも春の色添えて~」と、端唄「梅にも春」で一八が唄い始めるが、これはあわんなと言って、次に「曇らば曇れ 箱根山~、晴れたとて~、お江戸が見えるじゃあるまいし、こちゃかまやせぬ……♪」と唄う。
しかし、これはこれで疑問なのが、この唄が神奈川県秦野市の郷土民謡「秦野東地区 麦打ち唄」であるところ。上方落語「愛宕山」の幇間一八は大坂の人間である。昔、大坂でというか全国的にこの神奈川の民謡が流行っていたのだろうか。

また、このあとに、「愛宕山坂、ええ坂、二十五丁目の茶屋の嬶(かか)、婆旦那さんちと休みなんし、しんしんしん粉でもたんと食べ、食べりゃうんと坂ヤンレ坂♪」(※「二十五丁目」は演者によっては「二十四丁目」)という唄も出る。
この唄の出所はわからないが、これは落語のために作られたものだろうか。これについてもくわしくは知らない。
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