竹林亭白房

松喬「泥棒と若殿」★落語

□本日落語一席。
◆七代目笑福亭松喬「泥棒と若殿」(NHK-Eテレ『日本の話芸』)。
NHK大阪ホール、令和5(2023)年3月9日収録(第433回「NHK上方落語の会」)。
これを初めて聞いたのは、ABCの「上方落語をきく会」だった。令和2(2020)年2月15日(生放送)の第118回「上方落語をきく会」千秋楽(大阪ほたる町ABCホール)。このときに、山本周五郎の原作に拠る旨を聞いたのだが、そもそもこれの発案が、松喬の御贔屓からの提案だったというのは、今回のオープニングトークで知った。
あれから三年、松喬は、この落語を数多く演じてきただろうか。やはり原作を小説とする落語というのはなかなか難しいものがあるのではというのが、三年経った今でもの感想だ。

初めて聞いたときは、まだ落語ネタとしてこなれていない部分も多々あるだろうから未完成なのだと思ったが、今日聞いても、やはりどこかにこれが落語でないという何かを感じさせてしまうものが残っている。
抒情性の強さというところが原因だろうか。抒情性云々を言うのなら、当然人情噺はどうなのだというのが次にくる疑問だ。

ただ、落語の所謂人情噺には、どこか破綻した人間の生きざまが垣間見えながらの抒情性だという気がしてならない。そもそも上方落語に人情噺は少ないが、その代表とされる「立ちきれ線香」にしても、若旦那という生活破綻者が描かれてこその抒情だ。
東京落語なら、「芝浜」「文七元結」「子別れ」「唐茄子屋(政談)」「紺屋高尾」などに代表されるように、程度の差はあるが、なんらかのかたちで破綻した人物が描かれている。
そうした人物の破綻と抒情の均衡と緊張感に、人情噺は成立しているような気がするのだが。

「泥棒と若殿」にはそういった破綻した人間性の見えないところが、なんとなく落語っぽくないものを感じさせているのではと。どうだろう。
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