□本日落語一席。
◆柳家小太郎「心眼」(衛星劇場『衛星落語招待席』)。
紀尾井ホール、令和3(2021)年2月14日(紀尾井らくご「小太郎の真打昇進を祝う会」夜の部)。
とてもめずらしいネタである。というか、噺の主題が「盲(めくら)」であって、どうしてもテレビ・ラジオなどのメディアではかけられないという事情から、演者の手から遠ざけられることにならざるを得ないのだろう。今日聞いたものも、CSだからこそであって、地上波ではまずむりなはず。
たとえば、言葉を「盲人」「目の不自由な人」などと置きかえるとどうなのかとなるが、それでは、この落語が物語る時代背景を損ねてしまう。たぶん明治あたりの人々はそんな言葉づかいをしていないだろうから。また、主人公の梅喜(ばいき)が、弟から「ど盲」と罵られる場面が冒頭にあるが、やはりここは「ど盲」でなければならず、他の言葉に置きかえることはできない。
しかし、この落語は、そういう主題にあって、本質は夫婦の和合であるとか、逆境を受け入れ、それを笑いとばせる人間の強さであるとかを語るところが本質であって、けっして盲人を貶めようという意図があるものでない。だから、こういう落語はきっと今後も残っていかなければならないのである。
だから、真打昇進にあたって、この落語をチョイスした小太郎の意気は称えられるべきだろう。そして、小太郎のもつ明るいキャラクターがこの落語を暗いものにしないところに資するものがあって良い。さて、小太郎はどこからこの落語を継承したのだろう。師匠のさん喬は演るのだろうか。
ちなみに、当代の落語家でこれを演ったのを聞いたのは、これ以前だと、古今亭文菊のみである(日本橋劇場、2013年1月22日「春風亭一之輔・古今亭文菊二人会」)。
また、昭和の名人としては、八代目桂文楽で聞いた。川戸貞吉『落語大百科』によると、黒門町の十八番だったらしい。昭和42(1967)年12月30日OAのTBSラジオ『落語への招待』という音源だが、このころはまだメディアでこの落語が流せたのだ。古き良き時代か。
◆柳家小太郎「心眼」(衛星劇場『衛星落語招待席』)。
紀尾井ホール、令和3(2021)年2月14日(紀尾井らくご「小太郎の真打昇進を祝う会」夜の部)。
とてもめずらしいネタである。というか、噺の主題が「盲(めくら)」であって、どうしてもテレビ・ラジオなどのメディアではかけられないという事情から、演者の手から遠ざけられることにならざるを得ないのだろう。今日聞いたものも、CSだからこそであって、地上波ではまずむりなはず。
たとえば、言葉を「盲人」「目の不自由な人」などと置きかえるとどうなのかとなるが、それでは、この落語が物語る時代背景を損ねてしまう。たぶん明治あたりの人々はそんな言葉づかいをしていないだろうから。また、主人公の梅喜(ばいき)が、弟から「ど盲」と罵られる場面が冒頭にあるが、やはりここは「ど盲」でなければならず、他の言葉に置きかえることはできない。
しかし、この落語は、そういう主題にあって、本質は夫婦の和合であるとか、逆境を受け入れ、それを笑いとばせる人間の強さであるとかを語るところが本質であって、けっして盲人を貶めようという意図があるものでない。だから、こういう落語はきっと今後も残っていかなければならないのである。
だから、真打昇進にあたって、この落語をチョイスした小太郎の意気は称えられるべきだろう。そして、小太郎のもつ明るいキャラクターがこの落語を暗いものにしないところに資するものがあって良い。さて、小太郎はどこからこの落語を継承したのだろう。師匠のさん喬は演るのだろうか。
ちなみに、当代の落語家でこれを演ったのを聞いたのは、これ以前だと、古今亭文菊のみである(日本橋劇場、2013年1月22日「春風亭一之輔・古今亭文菊二人会」)。
また、昭和の名人としては、八代目桂文楽で聞いた。川戸貞吉『落語大百科』によると、黒門町の十八番だったらしい。昭和42(1967)年12月30日OAのTBSラジオ『落語への招待』という音源だが、このころはまだメディアでこの落語が流せたのだ。古き良き時代か。