□本日落語二席。
◆桂ざこば「天災」(読売テレビ『平成紅梅亭特別編 追悼桂ざこば』)。
読売テレビ内スタジオ、平成7(1995)年11月11日(第2回『平成紅梅亭』)OA。
高座の前に桂南光の追悼談話があった。それによると、ざこばは「天災」を東京の落語家に習っていたが、実際高座に掛けることがなかったとのこと。
その後、落語作家の小佐田定雄が「天災」を上方落語にアレンジして、梅田オレンジルームでの落語があったときに、それをざこばに見せたところ、その場でざこばがそれを気に入り、その日の会でぶっつけ本番で演じたものは最高に良かったと、南光は興奮ぎみに語っていた。
そして、乱暴者の男が人に狼藉をはたらく件(くだり)は、ざこばだからこそ笑いがとれる語りと所作であって、他の落語家がざこばにこれを習って同じように演じても笑いの一つも起きなかったと南光は語っていた。その落語家が誰かは伏せられていたが。
また、南光が語った、ざこばがはじめに習った東京の落語家というのは立川談志家元ではないだろうか。というのも、ずっと昔、立川談志が大阪の厚生年金会館で落語会を開いた際、一席は「天災」を演じたのだが、マクラのところで「ざこばよりは、ましですよ」と言ってから本編に入ったのを覚えている。まだ、鑑演記録を付けていない時分でおよその記憶では2000年前後だったのではないか(「日記」そのものもつけていなかった)。
◆桂ざこば「天災」(読売テレビ『平成紅梅亭特別編 追悼桂ざこば』)。
読売テレビ内スタジオ、平成7(1995)年11月11日(第2回『平成紅梅亭』)OA。
高座の前に桂南光の追悼談話があった。それによると、ざこばは「天災」を東京の落語家に習っていたが、実際高座に掛けることがなかったとのこと。
その後、落語作家の小佐田定雄が「天災」を上方落語にアレンジして、梅田オレンジルームでの落語があったときに、それをざこばに見せたところ、その場でざこばがそれを気に入り、その日の会でぶっつけ本番で演じたものは最高に良かったと、南光は興奮ぎみに語っていた。
そして、乱暴者の男が人に狼藉をはたらく件(くだり)は、ざこばだからこそ笑いがとれる語りと所作であって、他の落語家がざこばにこれを習って同じように演じても笑いの一つも起きなかったと南光は語っていた。その落語家が誰かは伏せられていたが。
また、南光が語った、ざこばがはじめに習った東京の落語家というのは立川談志家元ではないだろうか。というのも、ずっと昔、立川談志が大阪の厚生年金会館で落語会を開いた際、一席は「天災」を演じたのだが、マクラのところで「ざこばよりは、ましですよ」と言ってから本編に入ったのを覚えている。まだ、鑑演記録を付けていない時分でおよその記憶では2000年前後だったのではないか(「日記」そのものもつけていなかった)。
家元が「ざこばよりましだ」と言ったのは、自分の教えた「天災」をざこばが演じていると思っていたのだろうか。
◆『笑点』若手大喜利:春風亭昇太(司会)/柳亭信楽・昔昔亭昇・金原亭杏寿・春風亭昇りん・三遊亭ごはんつぶ・桂九ノ一/古今亭雛菊(座布団運び)(BS日テレ『笑点』特大号第496回)。
深川江戸資料館小劇場、令和6(2023)年3月15日収録※7月9日OA。
◆『笑点』若手大喜利:春風亭昇太(司会)/柳亭信楽・昔昔亭昇・金原亭杏寿・春風亭昇りん・三遊亭ごはんつぶ・桂九ノ一/古今亭雛菊(座布団運び)(BS日テレ『笑点』特大号第496回)。
深川江戸資料館小劇場、令和6(2023)年3月15日収録※7月9日OA。