「塔の岳(塔の岳)」は、神奈川県秦野市と愛甲郡清川村、足柄上郡山北町の境に位置、1490.9メートル山頂に尊仏山荘がある。
首都圏からも至便で小田急線の渋沢駅からバスを経由して、バカ尾根から登攀できる。
東京近郊で山を始めた人なら、一度は登ったことのある丹沢山系の山だろう。
山頂からは富士山がキレイに望め、広い山頂では沢山の登山者がコンロで食事を摂る風景が見られます。
この塔の岳は私が初めてソロで丹沢の表尾根から登攀した山だ。
山頂の尊仏山荘では初めての山小屋泊をした思いで深い山でもある。
定番のカレーライスの夕食とおでんの朝食がなかなか美味い!
塔の岳の山頂の「尊仏山荘」を予約したとき、何故「尊仏」?と思った。
山頂の北西川に尊仏(孫仏)と呼ばれる突き出た塔のような大岩があり、「拘留尊仏(くるそんぶつ)」を祭ってあった。
高さ17.8mもあったこの岩は仏像にも似ていて、人々は敬語の「尊」をつけ「尊仏岩」、「孫仏岩」と呼び、拘留尊がなまって「黒尊(くろそん)」「お塔」とも言っていた。
そんなことから、この山をお塔のある山「塔の岳」といい、尊仏の山「尊仏山」の名前も生まれました。
「塔の岳」と「尊仏山荘」の呼び名の謎がやっと解けました。
さらに、その由来について探っていくと、
その岩に「拘(狗)留尊仏(くるそんぶつ)」をまつった由来についてはいくつかあるようだ。
役行者(えんのぎょうじゃ)がこの山に飛んできて大岩を発見し、「拘留尊仏」を祭ったという説。
弘法大師空海が、ここに来て大日如来をまつった説。
さらに尊仏様は富士浅間、大山石尊とともに三姉妹だという説。
日本武尊(やまとたけるのみこと)が東夷的征討のおり、この山に登ってこの岩で休んだという説。
しかし、この岩は下の土を掘り過ぎたのか、関東大震災(1923年)の翌年大正13年の1月15日の余震で北西側の大金沢に崩れ落ち粉々になったそうだ。
今は、残った岩の根元の上に二体の石仏と「尊佛」と彫られた石碑だけが残っている。
このあたりの地名には大金沢、子金沢というが、この沢には金が出ていたようで数百人の交付が盛んに金を彫っていたそうだ。
でも、今はその地名もなくなり、水も枯れてしまい面影もなくなっている。
時代の流れと言うのは残念な場合もあるようです。
塔の岳は、5月15日がお祭りで、人々は稲、麦、粟、陸稲などの穂を持って登り、「お塔」に供えます。
その中から自分が欲しい良い種を持ち帰ることでお互いに交換したのだ。
また、年1回のこの祭りは、天下ご免の野天賭博の開帳の場でもあったようです。
当日は大倉尾根の所々に物売りが出てにぎやかだったそうだ。
警官も当日は大目見てくれていたらしいから何とも大らかな時代だったが、昭和25年を最後に途絶えてしまった。
山頂付近がとても広いのは、そんな訳も一理あるのかも知れない。
このスペースには、そうした当時の人たちの喧騒が偲ばれます。
「塔の岳」の山頂には、2016年8月10日に「山の日」を記念して、毎日新聞社が尊仏山荘と協賛社の協力を得てカメラを据えた。
http://www.cnet-sb.ne.jp/sonbutu/camera.htm
こうしたライブカメラがもっと増えるといいですね!
参考・出典
「日本百霊山」とよだ時(ヤマケイ新書)
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