その昔、・・・大湊興業会社の取締役です!
先日現在社長の濱崎正明様から
”下北半島研究会メンバ-”作成・・・・・
”失われたときを求めて”と言う著書が送付されて
着ました
それを今日拝見。。。。。
なんと~ワタシの祖父の名前がないのです
ワタシは、今の主人と結婚した折、役所で謄本をとり
その謄本に祖父(竹七)が大湊興業会社の取締役と書いてあるものを持参
それは、証明になるものです
祖父が他界したとき父の継母(大瀧ミツ)が祖父の株券と
葬儀のお金まで持参・・・・・・怒りながらワタシの父はそれを許した!
幼い頃、誰よりも病弱だったワタシは、いつも自宅いて、父から
聞かされました。”株券のこと、よく解らず継母に渡した~”
だから大きくなったらお前は、法律の勉強をしろ・・・・と、
当時、ワタシの父の兄弟はその土地(田名部)で米谷旅館を経営
伯父様は、銀行の頭取で近年墓とともに八戸に移住・・・・・
祖父(竹七)の面倒をみた当時の家政婦は、
今も東京蒲田に子息は診療所を~
ワタシの田名部高校勤務した20代は、耳に穴があくのではと思うほど
父から聞かされました、その話を~
田園調布の親戚(大瀧ミツの姉)の為~
会社の連帯保証人にも祖父の名前で・・・・そして
相当の土地を所有していたにもかかわらず戦後の経済界
貨幣価値が変わったこともあり・・・銀行にあった預金もすべてO円~に、
祖父他界のあと~なすすべをわからず・・・・なのです
新潟弥彦で生まれ東京育ち日日新聞社に勤務の父が
祖父の会社の事で青森に~
お見合いで、酒屋のお嬢様だった母と結婚し
ワタシの姉と兄達は東京生まれ
ワタシは、青森で生まれたのです
東京の裁縫女学校師範をもつ母は絵描きの鷹山宇一伯父様と
銀座で、この頃いしょだったと・・・・・・
父は、生まれた新潟に戻りたいといつも言っていました
でも父は、。。。。その土地で他界
祖父(竹七)の功績をワタシが一番、父から聞かされたのです!
祖父の羽振りのよい頃~青森からチャ-タ-機で銀座へ魚を運んだなど
また多くの人が祖父の前で敬意を~威厳があったと
姉からも聞かされました
今日の送付された本で~走馬灯のように思い出しました
私達は忘れ去られても~祖父の名前は、忘れてほしくないですネ
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