カフェウィステリアのワイドショー的アメリカ事

Way to go! アメリカの田舎で余計なことを考えつつ…アメリカの三面記事、ワイドショーネタを拾ってお届け。

イギリス人イケメン夫の妻子殺人容疑

2006年02月17日 | ワイドショー的アメリカごと
久々のワイドショーネタといえば、エントゥイステル事件である。
イギリス人のイケメン夫ネイル・エントゥイステル(27)はヤングエグゼクティブ風、アメリカ人妻レイチェル(27)そして9ヶ月の愛らしい娘リリアン、幸せそうな家族の写真がこれでもかこれでもかと出てくる。娘を抱くネイル、娘に微笑みながら話しかけるネイル、家族3人でハイチーズ、二人を見守るネイル…

レイチェルのイギリスの大学に短期留学中に出会った二人は2003年に結婚、そして昨年の9月からはアメリカに引越して来た。そして先月からは家賃2700ドルの瀟洒な戸建をボストンにも近いホプキントン借りてマサチューセッツに腰を落ち着けた、ようだったが、今月20日にメインベッドルームでレイチェルとリリアンが撃たれて死んでいるのが発見された。

まもなく、夫ネイルのBMWがローガン空港のガレージに停めてあることが発見された。イギリスの実家に身を寄せていたネイルだが、マサチューセッツ地方検察から妻子の殺人容疑と銃刀法違反の容疑で起訴されたため、ロンドンで出頭しアメリカへチャーター機で移送されて来た。

凶器は22口径のピストルで、殺された妻レイチェルの父親が所有しているものだった。ネイルを完璧な夫としてレイチェルの実家での評価は高かったため、実家への出入りも自由だった。ネイルは17日に義父といっしょにこの銃の試し撃ちをしたという。したがって、この銃のしまってあったロッカーの鍵の場所も知っていたという。ネイルはその後忍び込んで、銃を盗み、妻子を撃ち殺した後、実家の留守宅に忍び込んで銃を元の場所に戻したらしい。そして19日にはイギリス行きの片道切符でアメリカを後にしたようだ。

19日に夕食の約束をしていた友人が不審に思って、警察に届けたが中に人気がないことを確かめただけだった。20日になってもう一度詳しく調べたところ、寝室のベッドの上の死体を発見した。一目にはカバーがきっちりかけられておりわからないようになっていたという。妻レイチェルは頭を打ちぬかれ即死、赤ちゃんのリリアンは腹を撃たれて失血死というが、苦しんだ様子はなかったという。

警察では、ネイルには多額の借金がイギリスにあり、一家がアメリカに来た9月以降働いた形跡がないことから、カネに困って無理心中を図ったのではないかと見ている。妻や妻の実家にはイギリス政府の情報関係の仕事をしており、機密上詳しく言えないと自分の仕事について解説していたようだ。

二人の葬式にも参列しなかったネイルだが、供述によると20日に家で撃たれて死んでいる二人をベッドの上で発見、その後イギリスへ向かったと主張している。弁護人はあまりにもメディアの取り上げ方が(ワイドショー的で)ひどいため、公平な裁判にならないと懸念を表明している。その上で、ネイルは妻子殺しの容疑については無罪を主張する模様だ。

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このブログはアメリカのメディアの記事に基づき、作者の意見や背景を交えつつ解説するものです。参考にした記事の正確性については保証できません。


フェミニズム運動のグル、ベティ・フリーダン(1921-2006)

2006年02月06日 | ワイドショー的アメリカごと
先日のコレッタ・キング牧師夫人の訃報に続いて、アメリカフェミニズム運動の指導者ベティ・フリーダンが85歳で亡くなった。

アメリカ留学を目指した事のある人は、何度か「ベティ・フリーダン」の名前を目にしたことがある人も多いだろう。というのは留学生に課される英語力テストのリーディングセクションには必ず、公民権運動など社会問題に関する内容の読解問題が出題される。ベティ・フリーダンを取り上げた文章はいわば定番である。逆にテストに登場する人物やエピソードはアメリカが自信を持って「知ってほしい」こととも言えるだろう。

さて、ベティ・フリーダンは1963年に書いた「The Feminine Mystique」(邦題:新しい女性の創造)がベストセラーになり、NOW(National Organization for Women)の初代会長として60、70年代アメリカ女性解放運動の中心的存在だった。

本の内容は、いたってストレートなもので、「家庭で夫や子どもに献身的に尽くす」内助の功だけじゃ物足りない、もっと仕事して稼いだり、政治の場で発言したり女もやろうよと。この脱専業主婦のススメは、60年代アメリカでは十分過激だったようだ。しかし、本はじわじわ売れ続けた。

「男女賃金平等」、「雇用の機会均等」や「産休制度」など今では定番の女性の社会進出のサポートなどもベティ・フリーダン率いるアメリカフェミニズム運動なくしては存在しなかっただろう。しかし、フェミニズム運動が多面的な展開をみせるなかで、今ではその主張はすでに「保守的」と見られている。ベティ自身は、対立性として「男」への抵抗運動や、レズビアンとの共闘はあまり好きではなかったようだし、後になって「家庭」を捨てる対象のように書いたのは間違いだったと言っている。晩年は女性運動からは距離を置いていたようだ。現実の方が当時の彼女の「過激な」思想よりずっと前に行ってしまった面もあるかもしれない。

日本では、フェミニズム運動、いや日本風にいうと「ウーマンリブ」というと女性でも毛嫌いしている人が多いようだが、今、日本社会にある様々な女性に関する法律や制度は、最初から所与として存在していたのではないし、男性から進んで作ってあげようと作ってもらったものでもないのである。アメリカから吹いてきた風と日本でもふんばった何人かの女性がいたからこそ日の目を見たといえるだろう。割りをくっている側は、やはり自分で理不尽を払う努力をしなければならない。

最近では「ジェンダーフリー」というワケの分からない用語をめぐってもめているようだが、私からすれば「男女共同参画」なども意味不明である。割りをくっているのは女性であり、それをなんとかしてくれって言わなきゃいけないのは女性側である。まず女性が自分自身のことを考えるのがフェミニズムの原点だろう。歴史を変えることはできないし、社会や誰かに責任転嫁して怒りをぶつけても生産的ではない。女性自身が変わる、まず女性がやりたいと門を叩く、社会に一石を投じる、それに社会が対応して変わっていく、そういうダイナミズムが必要である。公民館で「ジェンダーフリー」講座を座って拝聴しているだけではフェミニズム運動とは言えない。


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