006:困はTB241までを鑑賞しました。ありがとうございました。
ほきいぬ (カラフル★ダイアリーズ)
リクエストしていいですか おしまいの儀式は一緒に呼吸困難
キスをせがんでいるシーンだと受けとりました。
「リクエストしていいですか」とはキスに対してちょっと大仰で、そこが面白みだと思うわけですが。
慧眼は下句ですね。この、愛は死であるという感覚。塚本邦雄の「馬を洗はば馬のたましひ冱ゆるまで人戀はば人あやむるこころ」を持ちだすのはまあ野暮かもしれませんが。
「儀式」とあるのではっきり心中的なものだとわかるわけですが、キスによる呼吸困難、愛の極まりとしての死というのはやはり私であってもそそられるものがあります。
みち。 (銀塩プロローグ。)
困ってるあの日の僕を助けてもここから先に道はできない
これは思わず取ってしまいました。
初句切れと読むか、切れてないと読むかで意味が二重になっているのですが、その重層感が歌にとっていい味になっています。
あの日の困っている僕と、いまその「あの日の僕」を助けようとして、けれど助けたところでどうしようもないと気づいてしまって困っている「いまの僕」。
いや、こんなタイムマシーン的な解釈は一般的ではないのかもしれませんが。しかし過去を振り返って、あのときの自分を……という感情は誰にも覚えのあるものですよね。その覚えに働きかけてくる一首だと思うのです。
我妻俊樹 (半ドア)
ねえさんの困り顔さえ黄金で夕涼みどこまでが味方なの
まず単純に、困り顔に夕陽が照り映えている情景が美しいですよね。まあちょっと夕方=黄金はよくありすぎる気もしますけれど。
「夕涼み」という「情景」に対して、お前はどこまでが味方なんだと問いかけているのが面白いです。夕涼みの時間帯というのは、光と影の領域が入れ替わっていくときなわけですが、その曖昧な境界を思うときに、「どこまでが」という言葉が響いてきます。
あとは「ねえさんの困り顔」ですよね。このねえさんを血縁のあるなしなどどう捉えるかは各人によると思うのですが、しかしやっぱり「ねえさん」には「困り顔」が合っている気がします(笑)
ほきいぬ (カラフル★ダイアリーズ)
リクエストしていいですか おしまいの儀式は一緒に呼吸困難
キスをせがんでいるシーンだと受けとりました。
「リクエストしていいですか」とはキスに対してちょっと大仰で、そこが面白みだと思うわけですが。
慧眼は下句ですね。この、愛は死であるという感覚。塚本邦雄の「馬を洗はば馬のたましひ冱ゆるまで人戀はば人あやむるこころ」を持ちだすのはまあ野暮かもしれませんが。
「儀式」とあるのではっきり心中的なものだとわかるわけですが、キスによる呼吸困難、愛の極まりとしての死というのはやはり私であってもそそられるものがあります。
みち。 (銀塩プロローグ。)
困ってるあの日の僕を助けてもここから先に道はできない
これは思わず取ってしまいました。
初句切れと読むか、切れてないと読むかで意味が二重になっているのですが、その重層感が歌にとっていい味になっています。
あの日の困っている僕と、いまその「あの日の僕」を助けようとして、けれど助けたところでどうしようもないと気づいてしまって困っている「いまの僕」。
いや、こんなタイムマシーン的な解釈は一般的ではないのかもしれませんが。しかし過去を振り返って、あのときの自分を……という感情は誰にも覚えのあるものですよね。その覚えに働きかけてくる一首だと思うのです。
我妻俊樹 (半ドア)
ねえさんの困り顔さえ黄金で夕涼みどこまでが味方なの
まず単純に、困り顔に夕陽が照り映えている情景が美しいですよね。まあちょっと夕方=黄金はよくありすぎる気もしますけれど。
「夕涼み」という「情景」に対して、お前はどこまでが味方なんだと問いかけているのが面白いです。夕涼みの時間帯というのは、光と影の領域が入れ替わっていくときなわけですが、その曖昧な境界を思うときに、「どこまでが」という言葉が響いてきます。
あとは「ねえさんの困り顔」ですよね。このねえさんを血縁のあるなしなどどう捉えるかは各人によると思うのですが、しかしやっぱり「ねえさん」には「困り顔」が合っている気がします(笑)