源頼光
- 一定の比率でそういう人(宏洋氏みたいな人)が出てくることで、「法種」ができて、あとは、誰について説いたものかは分からなくなって。まあ、それでいいんじゃないですか。
- 釈尊だって、一緒に生活している人のなかで、まあ、みんな悟りたくて来た人たちなんだろうけどね、現実は、問題がいっぱい起きて、そのつど法が説かれているので。
- 誰のために説いた法かは分からないんだけれども、そういうことで法が説かれるので。全部が‟ピッカピカの善人”でもいけないんじゃないでしょうかね。
『源頼光の霊言』 第2章
失敗する人が一定の率で出ることで「法種」ができる