ビアンカの日々

何も起こらないようで起こる日常を綴る

小学生との謎の会話。

2020-09-17 17:27:03 | 日記
私は、何故か昔から子供によく話しかけられます。
保育園、幼稚園、小学生…彼らはいつも突然話しかけてきます。
今日も突然、「こんにちは」と全く知らない小学生の女の子から話しかけられたので、
「お帰り~」と返事。
でも、何故かその子は小雨が降っているというのに、傘を反対に向けて(柄の部分を空に向け)
先端の部分を持って歩いています。
「傘を反対に持った方がいいんじゃない?」と普通に話しかけると、
女の子「あたしね~もう宿題終わったよ」
「本当、えらいね」
女の子「帰ったらすぐにお風呂に入るもん」
「そう、でも雨に濡れたら風邪ひくよ」
女の子「帰ったら、すぐ友達のとこに遊びに行くから」
「ふ~ん」
女の子「あのね~手を洗ってすぐにランドセルを置いてね、〇〇ちゃんのとこに遊びに行くから、すぐに行くもん。ばいば~い!」
おおっ、いきなりバイバイなのね…私は女の子に笑いながら手を振った。
女の子は遠くへ走って行ったと思いきや再度「ばいば~い!」
「ばいばい」と手を振った。
ドアを閉めた後も、「ばいば~い!」と聞こえたが、またドアを開けて手を振ると、これが延々と続くなと察知した私は、そのままに。
小学生とのやり取りは、会話になっていなくても何故か成立する。

息子に「あの子は知っている人?」と聞くと、
「いつも〇〇ちゃんはふざけてるんよ、今日も雨が降ってるのに、傘を反対に持つし…」
「ふ~ん、でもなんで雨が降ってるのに、傘を反対に向けて歩いてたんやろうか?」
「雨の音が聞きたいからって言ってた」
なるほど、風流と言えば風流。
そして傘を反対に持てば、確かにパラボラアンテナのように収音でき、雨の音がよく聞こえるという、理にかなった行動を自然にやっていたのだった。
小学生との会話は、奇想天外、面白い。
やっている事も、謎が多いが、大人には理解し難い行動、宇宙人並みに奇想天外な言動がまた面白い。

こんな時こそ、和の心。

2020-08-04 16:33:56 | 日記
今年に入り、コロナが全世界に広がり、未だ収束の目途がたちません。
自粛生活に続き、テレビでは毎日のようにコロナの話題。
たまに別の話があったかと思うと、不倫や暗いニュースの話題ばかり…
ネットも見る機会がめっきりと減ってしまい、テレビを見る事すらやめ、完全に世捨て人状態です。
唯一の趣味で生きがいの海外旅行に行けず、国内旅行も自粛しており、
更には長雨が続き、たまに外に出ても、アスファルトの街並みや車…
もう息が詰まりそうです。

久しぶりに、知り合いからのメールが届きましたが、仕事も休業状態で、外に買い物に行けば、「何処見てるのよ!邪魔」と言われたそうで、やはり知り合いも、かなり精神的に参っているようでした。

少しコロナが落ち着いたので、せめて食事にでもと、行きつけのお店に数件、足を運ぶ事にしました。
やはりどのお店の店主も、自粛営業が続き、かなり参っているようで、少し鬱気味の方もいらっしゃいました。
「大変でしたね…」声をかけるのが精一杯ですが、なんとか売上に貢献したいと、笑顔で注文しつつ、なるべく明るい話題を話す事を心がけました。

そんな中、あるお店に足を運ぶと、お店の軒先に風鈴が飾られておりました。
今どきは、風鈴の音すらうるさいとクレームが近所から来るそうで、軒先に吊り下げているお家もめっきり見かけなくなりました。
昔ながらの南部鉄風鈴…蒸し暑い日でしたが、その鐘の音が心を涼しくしてくれます。

店主は私などでも顔を覚えていて下さり、「今日はゆったりしておりますから…」とお庭の見える個室に通して下さいました。
小さなお庭でも、造園の職人さんが作られたお庭、緑、苔、鳥や虫達、窓から眺めているだけで、心癒されます。

時々見かける店員さんでしたが、その方は、いつも以上に丁寧にお茶を入れて下さり、新茶の八女茶が心底美味しく感じます。
更には私が薬を毎回飲む事を覚えていて下さり、お湯を別にさりげなく持って来て下さいました。
さりげない心遣いに感謝です。

そうしていると、お料理が運ばれてきました。
片手でポンとお皿を置く人が多い中、その方は、きちんとお皿の前を手で回して、そして片手を添えて出して下さいました。
そのちょっとした所作に、様々な心が伝わって参りました。
「美味しく食べて下さい」
「ゆっくりしていって下さい」
「今、この瞬間を楽しんで下さい」
私はなんだか知りませんが、とてもその方の所作に、はっとさせられました。
そのはっとする一瞬、心が無になり、癒され、自分も他人にそうしてあげたいという気持ちにさせられました。

帰り際、支配人さんと立ち話を少しだけしました。
「コロナで毎日憂鬱な日々を送っておりましたが、本当に心から癒されました」とお話すると、たいそう喜んで下さり、私が遠くへ帰宅するのを心配して下さりました。
帰り際に、何か良い香りがするな…と思いましたら、玄関の片隅で、お香を焚いておられました。
お香の香りは、この猛暑も、コロナの憂鬱さも吹き飛ばし、そして何か空間を豊かな気持ちに変えてくれます。
猛暑だから嫌、寒いから嫌、雨だから嫌と、嫌な気持ちになったり、避けるのではなく、
どんな四季も情緒として楽しむ日本の心を感じとりました。
何より、ちょっとした心遣い、手をお皿に添える所作、軒先の風鈴、お香を焚くというおもてなしの心…

コロナで殺気だっていて、今日もスーパーで置き引きにあったと困っているご老人夫婦を見かけました。
車も一旦停止もせずに暴走していたり、クラクションを鳴らして怒鳴っていたり、本当に何かせかせかしています。
皆がイライラしていると、自分まで嫌な気持ちになったり、同じように雑な行いをしてしまいそうです。
でも、こんな時だからこそ、いつも以上に人に対しての思いやりの心、情緒を味わう余裕を持つと、何かが変わりそうだという気持ちになりました。

たった一人のコロナ感染者が、全世界の隅々まで広がったという事は、
逆に言えば、一個人が誰かに思いやりのある心、ちょっとした優しさの気持ちで接すれば、全世界にだって広がる可能性もありうると感じました。




静かなる鑑賞。

2019-06-03 09:54:25 | 日記
もうすぐ梅雨。
冬生まれの私にとって、苦手な季節がやってきます。
遠出をしていた帰り道、「蛍祭り」の看板が出ていました。
いつもならスルーする所ですが、ふと、子供の頃に見た蛍が見たくなりました。
今日は、早めに夕飯を外で食べましたので、蛍を見に行ってみる事に。
微かな記憶で蛍の絵の入った橋を思い出しました。

隣町の山麓に、車を走らせます。
夕暮れに山際に向かって走る事はほとんどないのですが、霞がかった山際とピンクの夕焼けが重なり、それはそれは美しい幻想的な景色が目の前に広がりました。
こんな景色を眺めながら死んでもいいと思う位、人間の手が加わっていない美しい自然だけの景色です。

思い当たる場所の近くに草の生い茂った水の澄んだ川がありますが、蛍の光は見えません。
まだ夕方だから、早いのかなあ…
ちょっとがっくりしながら、蛍の絵の橋まで進むと…
すごい車の列が道端に並んでいます。
「やっぱりいるんだ!」
車をなんとか道端にとめ、歩いていきますが、静まり返っています。
「あれ?どうしたんだろう?」目を凝らすと、沢山の人が薄暗い中、川の方を見つめています。
大人も子供も、皆静寂……
それがとても不思議に感じます。

少しすると、一人の子供が「あっ!おった!」と叫びます。
「えっ!どこ?」とざわめきがおきます。
私も目を凝らして探します。

川のすぐ傍の茂みではなく、竹林の中に、まるでかぐや姫の竹のように、黄緑の光が輝きました。
風が吹くと、2~3つ位の光が輝きます。
その数は時間を追うごとに増えていきます。
蛍の明かりを吹き消してはいけないように、そっと眺める大人と子供。
スマホなどを眺めている人など一人もおりません。

ほんの100年位前まで、人間は、電気に煌々と照らされた明るい夜で生活などしていなかったはずです。
夕方、日が暮れると共に食事をして、寝る。
お日様が昇れば起きて食事をして、働く。

電気がない蝋燭の生活は、不幸せだったでしょうか?
春は、花々を愛で、鳥達のさえずりを聞き、
暑い夏は、夕暮れに夕涼みをして風鈴の音を聞いて涼をとり、
秋になれば、収穫した作物を祝って村人と祭りを開き、
冬になれば、薪で暖をとりつつ、自分にできる仕事を極め、工芸品を作り、一年に感謝する。

自然と共に生きる事こそが、生きる喜び。
どうして、それを忘れて、生きづらい世の中に変えて行くのか…
山を削り、海を埋め立て、田畑を住宅地に変え、豊かな海の恵みも山の恵みも消えて行き、動植物たちも消えて行く…
コンクリートの灼熱の道路、電気の明かりのギラギラと輝く夜、植物も茂っていない川岸、ビニール袋だらけの海。
こんなに美しい自然のある星なのに、どうしてそれを変えていくのでしょうか?





ただ、目の前の物を受け取る。

2019-03-18 13:21:52 | 日記
月に一度、県外に行く用事があります。
その晩は、大抵行きつけのお店に伺い、美味しい食事とワインを少々頂くのですが、
そのお店のお客様は、皆様個性的、かつユニークな方々が多いのです。
その方達のお話を盗み聞き、いや密かに聞くのが私の楽しみの一つ。

予約の電話が入ると、お店の方達が、何やらニヤニヤしながら話をしていました。
誰かがいらっしゃるようでして、少しすると、缶酎ハイ片手に、お店に入ってきたかと思うと、カウンターの端に座り、何やら意味不明な発言を次々とお店の方達にされるおじ様が。
私は、おかしくて、決して他のお客様を笑ってはいけないのに、クスクスあちらを向いて笑ってしまいました。
お店の方が「大丈夫ですよ。あの方が面白い方だとは、みんな知ってますので」と小声で。
その方は、とある美術館の館長さんで、東京の方の美術館と掛け持ちでされているという、結構な肩書の方でした。

缶酎ハイをお店のゴミ箱に捨てると、カウンターに座っていた私と、隣の方に、何やらシャンパンをご馳走して下さるとの事。
「シャンパンは少な目でね」と言うので、お店の方が「なんで他の方のは少な目なんですか?」と言います。
「そのシャンパンにジンを入れて出してね。そういう事だよ」と言い、出して下さいました。
「ありがとうございます」と飲みますと、飲んだ瞬間、エメラルドグリーンの色がぱっと浮かびました。
爽やかなので、驚きましたが、隣の方が「これは悪酔いしますよ」と言われ、私もお酒が弱いので、少ししか口にしませんでした。
「この飲み方は、ヨーロッパで教わった飲み方なんです。これはそこらのバーテンも誰も知らないだろうね」と嬉しそうに話されております。

それからお客様が満員になり、話は聞こえなくなりましたが、帰り際、私がお礼の挨拶をし、「どなたの絵がお好きでしょうか?」と聞きました。
すると、話のベクトルは全く別の方向へ向かい、ワインの味の表現の話、土が好きだという話、様々な話をして下さいました。
そして、最後に、「美しい物は、そこらに溢れている。どの画家が描いた絵だから素晴らしいとかではなく、ただ、美しいと感じた物を美しいと感じるだけです。
宗教的な表現になってしまいますが、目の前の物を受け取る。ただそれだけです。では!」

この言葉に、私は様々な奥深さを感じ、つい涙が目の端に浮かんでしまいました。
人生でも同じ、様々な事が起こります。
ただ、目の前の物を受け取り、受け入れ、それに対応する。
それこそが、自然の流れに生きていく事なんだな…
そのシャンパンにジンを入れた飲み物、これもまた、偶然その方がいらして、偶然その方が下さらなかったら、一生味わわなかった味わいだったんだな…
あの方から偶然このような話を聞けた事も、日々是好日。
ありがたい事です。

帰宅後、自宅近くの八百屋に、珍しく朝一で歩いて行きました。
すると、大きくて、真っ赤なとびきりお得な値段の苺が並んでいました。
昨日まで、高くて手が出なかったのに、たまたまその日、朝一で行動した事が良かったのですね。
こんなちょっとした幸せも、ただ目の前の物を受け取る。
偶然のいや奇跡の賜物の一つなんですね。

花壇のセンス。

2019-03-01 13:52:03 | 日記
散歩をしていると、いつも同じ場所に目が行ってしまいます。
小さな花壇なのですが、実に美しく、遠くからでも、その庭を造った方のセンスが伺えます。
花壇の花選びはとても難しいです。
組み合わせる花の種類。
球根を埋める場所。
花の色選び。
花壇自体の形…
好きな色の花を選べばいいじゃない。
と思われるかもしれませんが、好きな花だけ植えても動きや華やかさがなくなるし、
好きな色だけの花壇にしても、庭の色がぼやけて、ちっとも面白くありません。
春にどんな花壇に仕上がるかを想像する必要があります。
秋から、冬にかけて、そして春にかけて…
成長する過程も想像して、花の間隔を計算し、球根類を埋めなければいけません。
それは、その方のセンスにかかります。
この小さな庭は、遠くから見ると、よけいに美しいし、道行く人の目を楽しませてくれます。
センスを養うには、美しいお手本の庭を沢山見る事かもしれませんね。