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第193回古都旅歩き小説 「花菱金之助 登場」

2018-03-04 15:24:10 | 小説

第193回古都旅歩き小説

花菱屋繁盛記

  「花菱金之助 登場」  作 大山哲生

「さて、みんな、今日は明治二十九年の元旦や」と大きな声をあげたのは、花菱屋の主の花菱金之助である。店の奉公人からは『旦那さん』『旦(だん)さん』と呼ばれている。

 ここは、京都の千本出水にある反物屋である。屋号は花菱屋という。

「今年も一年、みな体には気をつけてがんばってもらいますよう、おねがいしときます」と金之助は挨拶した。

 元旦は、ご寮さん(ごりょんさん:旦那の奥方)とおなご衆(おなごし)のお清どんが腕によりをかけたおせち料理やお雑煮が並ぶ。

 二人の丁稚は、食べたこともないごちそうが並んでいるのでつばをごくりと飲み込んで旦那の話どころではない。

「では、屠蘇を祝いましょう」と旦那が言った。

「旦さん、はよ食べたい」と丁稚が声をあげた。

「あほか。ちゃんと屠蘇を祝ってから料理をいただきますのや」と旦那は言った。屠蘇の儀式もすみ、「では食べるとしよか」と旦那が言うやいなや、皆一斉に食べ出した。

二人の丁稚は、お雑煮やらおせちをかきこむように食べている。

「これこれ、そんなにせわしのう食べんでも、ごちそうは逃げていかへんで」と金之助が酒を飲みながら言う。

「そやかて、旦さん、こんなうまいもん食うたことないさかいなあ。はよ食べな亀吉どんが横から取って食べてしまうわ」と新吉は言った。新吉は十三歳。丁稚としてはまだ駆け出しである。

「そんなん言うたって」ととなりの亀吉は雑煮の餅と格闘しながら、

「新吉どんが、よこからわたい(私)の分まで取っていくさかい、こっちもはよ食べんとなくなるし」と亀吉は言った。亀吉は十四歳。亀吉は新吉より一年早く、奉公しているので、自分は新吉の大先輩だと思っている。

「こらこら、おまえら、正月早々けんかしてたらあかんやないか。めいめい、自分の皿に盛ってあるものを食べなはれ」と言ったのは、正太郎である。正太郎は十九歳。手代(てだい)と呼ばれる身分で旦那からお給金をもらっている。なかなかの勉強家で、ものごとをしっかりと考える。

「しかし、旦さん、このおせち料理はうまいですな。おなご衆のお清の腕がええからやな」と舌鼓を打っているのは、番頭の治兵衛である。治兵衛は三十五歳。義太夫が好きである。

 ご寮さん(ごりょんさん:旦那の奥方)は、おなご衆のお清にいろいろと細かい指示を与えている。時折旦那である金之助にも指図する。そもそも、花菱屋では旦那よりご寮さんの方が強い。いつも旦那はご寮さんに叱られている。

 ここには一人娘の久美子がいる。今年十七歳。花嫁修業でお茶、お花、裁縫などを習っている。久美子は、店では『いとさん』と呼ばれている。

「しかし、いとさんが晴れ着を着てると華やかでよろしな。寒い冬にぱっと花が咲いたような気がするわ」と少し酔いの回った番頭が言うと、

「なにをいうのかと思うたら、うちはずかしいわあ」といとさんは顔をあからめる。

 誠に、おだやかな元旦なのであった。

「そしたら、今からお年玉を配るさかい」と旦那はポチ袋を懐から取り出すと、新吉と亀吉、それと正太郎に配った。

「新吉どん、なんぼはいってた ?」と亀吉は聞いた。

「三十銭も入ってたわ」と新吉はうれしそうに言った。

「私からもお年玉あげるで」とご寮さんもポチ袋を配った。

 二人の丁稚と手代の正太郎はにこにこしている。

「あのー、旦さん、私には」と番頭が言うと、

「あほなこと言うたらあかん。番頭さんの分はお給金に入ってますがな」と旦那は言った。

「そやろな、はっはっはっ」と言いながら、番頭は盃の酒を飲み干した。

 一月のある日の午後、

「なあ、新吉どん」

「なんや、亀吉どん」

「うちの旦さんも困ったもんやな」

「そやがな、無類の新し物好きや。発明するとかなんとか言うて、裏の離れにこもりっきりや」

「そうそう、口癖が『わしは文明開化を生き延びてきた』や。文明開化で頭が止まってるんやろな」

「それにしても、しょうもないもんばっかり作るさかい、ご寮さんにいっつも叱られてはるわ」

「この前もな、自動歯磨き機というのをこしらえはって、わたいが実験台にされたがな」

「それ、どんなんや」

「なんのことはない。歯ブラシが固定してあって、それを口に入れて顔を左右に振るんや」

「それ、自動になってないがな。あほみたいな話や」

「大きな声で言うたらあかん。旦さんに聞こえたらまた機嫌がわるうなる」

「でも、正太郎さんがいてくれるからまだましや」

「そうや、正太郎さんはたいそうな勉強家や。新しい物とか発明やったら旦さんよりは詳しい」

「そうや、だから正太郎さんが意見したら旦さんもしぶしぶ聞くわ」

「店先でしゃべってたらまた叱られる。さあ、掃除しよか」

 二人の丁稚は店先の掃除を始めた。

「正太郎、正太郎はおりませんか」と奥座敷から旦那のだみ声がする。中の間で反物の整理をしていた正太郎は「はい、ただいま」と返事をして奥の座敷に行った。

「ああ、正太郎か。実はな、ええこと思いついてな」と旦那はうれしそうに言った。

「また、いつもの発明ですか」と正太郎は言った。

「そうや。わしはビビビッとひらめいた。この前西南戦争というのがあったやろ」

「あの西郷隆盛が討ち死にしたというあれですね」と正太郎は合わせた。

「あのとき、政府軍は東京から九州まで長い線を引っ張って電信というもので援軍要請の連絡をしたそうや」と旦那は言った。

「あの線は」と正太郎が言いかけると、

「わかってる。あの長い線は、糸電話やと言うんやろ。でもなあ、いくらなんでも絹糸みたいな細いものではあかんやろ」

「い、糸ですか」と正太郎は驚いた。

「はっはっは、正太郎が驚くのも無理はないわ。あれだけの長い線やから、細い絹糸ではあかん」

「そうですね。あれは」

「皆までいわんでもわかってる。わしは考えた。あれだけ長い線ということになれば、たこ糸を使えばええのや」と旦那は言った。

「いや、旦さん、そういう問題ではなくて」

「皆まで言わんでもええ。わしはな、あの文明開化を見てきてる。だから、こういうことは正太郎よりくわしいで」と旦那は言った。

 さらに旦那は茶をすすりながら、

「そこで、うちの店にもこの連絡用のたこ糸をつけようと思う。離れから店の者を呼ぶのにいちいち店先まで行くのはめんどくさい。糸電話で呼べたら便利やないか。今から、糸電話を設置するさかい、正太郎も手伝ってや」と言う。

正太郎は、こうなったら何を言っても旦那を止められないと思い、手伝うことにした。

「新吉、亀吉、ここに厚紙があるさかい、丸めて糸電話をつくりなはれ」と旦那は言った。

「旦さん、どういうふうに作るんですか」と新吉はやる気なさそうに尋ねる。

「どないもこないもあるかいな。こうやって丸めてのりつけて、ほらできた」

「旦さん、わたいの分も頼みます」と亀吉が言う。かくして、旦那は二人分の糸電話を作ると先っぽにたこ糸を取り付けた。

「そしたら、とりあえず新吉用と亀吉用の二本のたこ糸を離れまで引くさかい、必ず呼ばれた方が糸電話にでるように」と旦那は言った。

 こういうときの旦那は、実に生き生きしている。

 かくして離れから店先まで二本のたこ糸が張られた。

 旦那は店先に出て、

「今からわしは離れに行って、そこから糸電話で話をするさかい、新吉と亀吉はそこの糸電話で応対するように」と言うなり、離れに行った。

「ほな今からしゃべるで」と離れから旦那の大きな声が聞こえる。

「へーい」と新吉は声をあげる。

「新吉どん、あかんで」と亀吉。

思わず口に手をあてた新吉は急いで糸電話を持ってしゃべった。

「えー、こちら新吉。旦那聞こえますか」

「ちゃうで、今のは亀吉をよんだんや」と旦那。

「今のん、亀吉どんの糸電話らしいで。亀吉どん、こんなもんなくったって、旦那の地声で十分聞こえてるがな」

「そうや、地声で十分用が足りるのにな。これから糸電話を使わなあかんのか。めんどくさいな、とほほ。こんなとこに奉公にくるんやなかったわ。旦さんの新しもん好きにも困ったもんや」

 それからというもの、旦那は離れから糸電話で「新吉」「亀吉」と呼ぶものだから、店先では、いちいち糸電話を使わねばならなかった。

「新吉どん、この糸電話、邪魔やな」

「亀吉どん、この糸でのれんの隅をくくっといたらええで」

「そうやな、こら便利や。のれんをくくっといたら外がよく見える」

 旦那はと言うと、当初糸電話は大層な発明だと思っていたが、やがて離れから店へは地声で十分届くことに気がつき、糸電話は使わなくなった。しかし、旦那は丁稚には未だに糸電話を使い続けている演技をし、丁稚どもも店先で糸電話を使い続けている演技をしていたのであった。

 これを見ていたのが、お清である。

「旦さんも丁稚もあほとちゃうやろか。両方とも意地をはって。でもまあ、このたこ糸、洗濯物干すのにちょうどええわ」

 お清は離れと店の間に張り渡された二本のたこ糸に、いそいそと洗濯物を干すようになったということである。

 

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