ショットバーで繰り広げられるコラム的短編物語
音楽紹介、店主と客との間の会話で綴ります
合わせて紀行、長編も

「家族」 思い、重いカメラ

2018-01-19 16:23:05 | 長編小説
 綾香は半ばフィルム一眼の購入は諦め、普及品のデジタル一眼を視野に購入を考えている。

「無理なものは仕方ない、諦めよう」

 自身に言い聞かせるほかはない。店舗でローンの分割支払いの案内を見て佐々木に尋ねたが、

「ローンを組んでまで買うことは、先生も英子さんも反対するよ」

 綾香から相談を受けた英子は、

「そうね、まず綾香が自分の力で出来ることって考えて出した結論であれば、それが正解ね。ただ、カメラ自体で考えるとね、フィルムカメラであれば、値段の高い、安いはそれほど問題でもないのね。今は高いのしかないけど、高いカメラは丈夫に出来てるだけ。写真を写すことに関しては、カメラよりレンズのが大切かなって思うの。ただ、デジタルの場合はそうじゃないのね。そこもしっかり考えて結論だそうね」

と答え、どうも綾香の選択肢は購入の先送りしかないようだ。 

 二人のやりとりを聞いていた敏也が、何かにやけた表情で口を挟んだ。

「私のカメラは現役だから、はいどうぞ、これ使って、とは言えないけど、ここに眠ってるフィルムカメラあるじゃない、英子さん。もう何年も防湿庫に入りっぱなしで、誰か使ってくれないかなぁ~って寂しがってるよ」

 英子は、はっと忘れていた自分のカメラの存在を思い出した。かつて敏也も英子のカメラを触り写真を覚え、今がある。慌てて保管庫から取り出した懐かしいカメラに思わず涙が溢れそうだ。

「ねえ、綾香、私が先生の先生なのよ」

と英子は気を取り戻し、綾香にカメラの使い方から敏也に教えたのは自分であると自慢げに話してる。ニコニコとうなずく敏也を見て綾香は驚くばかりだ。

「綾香、よかったらこのカメラ使ってみない。明日、佐々木さんにメンテナンスしてもらって、レンズ買って」

 手渡されたカメラはずっしりと重く、英子、敏也と引き継がれた思い出のカメラを綾香はより一層重く感じていた。
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「家族」 思い、重い、カメラ 2 

 綾香は翌日ザックにカメラを入れ、写真館に自転車を走らせた。カメラのメンテナンスを佐々木に依頼し、レンズの選択に入っている。佐々木のアドバイスもあるだろうが、綾香がどんなレンズを買うのか、英子も敏也も楽しみにしている。

「これが、英子さんのカメラで、先生はこのカメラで写真を始めたんだ」

カメラを手にした佐々木が羨ましそうにカメラを見つめ、

「綾香ちゃん、このカメラ俺に譲って!」

と懇願している。さすがの綾香も苦笑いを浮かべ丁重に断り、

「ちゃんとお金払うんだから、しっかりメンテナンスしてくださいよ」
と茶目っ気たっぷりに受け答えをしている。

 カメラはとても保管状態が良く外観にそれなりの使用感はあるものの、オーバーホールし経年劣化したゴム製部品の交換と、各部の汚れを取り除くだけで済んだ。

 レンズの選択は綾香が何を選んで相談してくるか佐々木も楽しみで、レンズの特性はしっかりと教え込んだはずだ。

 綾香は二本のレンズに絞りカウンターに持ち込み、自分のカメラに装着し覗き込んでいる。共に単焦点レンズで、広角24mmと中望遠85mmだ。佐々木は安易にズームレンズを選ばずにほっとした表情を浮かべ、

「後は、綾香ちゃんが何を撮りたいかだよね、風景なのか人物や身の回りの物なのか」

と最終のアドバイスをするだけで済み、佐々木の教えはしっかりと理解しているようだ。

 綾香はやはり、被写体に風景をより多く選ぶであろうと、風景写真には外すことの出来ない広角レンズを選んだ。後は高性能レンズか普及レンズかで迷い、最終的に24mmF1.4(*1)の上代235,000円の高性能レンズを選んだ。そして、佐々木の勧めで、取り扱いには難易度が高いが、PLフィルター(の購入も決めたようだ。

 店舗での5%の値引きと、後日、給与で反映される従業員割引を差し引いても、消費税合わせて20万円は裕に超えてしまう。しかし、広角でこれ以上のレンズはなく、写真を追究し続けるのであれば、普及レンズを買うことが無駄となる。正直、佐々木も16歳の少女が持つべきレンズなのか悩んではいるが、決めるのは本人だ。それに仮に今後写真と離れてしまうことがあるとしても、このレンズなら状態がよければ高価に買い取りもしてくれる。その点、普及レンズを買えば、買い取り値は限りなくゼロに等しい。

 綾香は嬉しそうにレンズとフィルターをザックにしまい店を後にした。

「ただいま~、めっちゃ高かったよ」

とニコニコの笑顔に、英子も敏也も満足な笑顔を見せている。

「あ、フィルム買うの忘れた。写せないよ」

Soul bar Jazz1

2018-01-18 20:44:06 | Soul bar-IORI
 ジャズ、何か取っ付き難い音楽かもしれない。ジャズにヴォーカル曲もあるが、多くの曲には歌詞がなく、楽器での演奏が繰り返される。そして、やたらと長い。歌詞があり、3分程の時間に集約されたポピュラー・ソングに慣れ親しむと、多くの違和感があり、理解するには難しいと感じてしまう。

 理解することなどさほど意味があることとは思えないが、ジャズを取り巻く環境がよりジャズを難解なものにしていることも多い。コアなジャズ・ファンの多くは、あまり意味を持たない拘りを持ち、己の中だけに留めることなく人に押し付けたり、語りたがる。決してジャズだけではないであろうが、特に多い気がしてならない。面倒臭い。

Autumn Leaves - Miles Davis


 「へぇ~最近ジャズ聞いてるんだって?帝王マイルス聞かなきゃダメだよ」

   《自分の好きなの聞きたいんだけど、、、》

「あんなのはジャズじゃない!」

   《あなたが決めるんですか?》

「ジャズは複雑なコード進行により組み立てられた曲のよさにあるよね」

   《曲の完成度から見れば、明らかにポピュラーが上であると思うけど》

「ジャズはさ、バック・ビートでシンコペーションを多用し、インプロヴィゼーションの醍醐味が最高でさ、コール&レスポンスによって、、、」

   《難しい言葉使わずに、わかりやすく話して欲しいんだけど》

 カラン、カランとドアの呼び鈴が鳴り客の来店を知らせると、ピアニストの優子が顔を出した。

「いらっしゃいませ。今日は早いですね」

「ええ、今日は休みなんで、ここでじっくり音楽聴こうかなぁ~って。家だと音量上げられないしね。長居しますよ~」

「大丈夫ですよ、ありがとうございます。ごゆっくりなさってくださいね。お飲み物は?」

「いつもバーボンなんで、今日はカクテル作ってもらおうかな。ジンライムは甘いし、、、」

「フレッシュのライム搾ってお作りしましょうか?特別に」

「わぁ~嬉しい、じゃ、ゆっくり飲みたいんで、ジンライムソーダで」

「かしこまりました。少々お待ちください」

「ねえ、マスター、ジャズってさ、何を持ってジャズって言うのかしら」

「正直、私にもわかりません。何か聞きたい曲ありましたらリクエストしてくださいね。はい、お待たせ致しました」

 ジャズは多くの様式を持ち、時代の流れと共に姿を変えてきた音楽である。ジャズ好きの多くが「70年代に入りエレクトリック楽器を多用し演奏されたものはジャズではない」と言う。私にはその言葉の意味がよくわからない。使う楽器の決まりなどあるわけもなく、リズムにしてもより多くのものを取り入れて発展してきた。アコースティックだけをジャズ、4ビートだけをジャズとは断言できない。

「ジャズ好きな人って、何か拘ってるひとが多いんでしょうね」

「ね、まぁ、他のジャンルでも、拘り持ってる人はいますし、結局はその人が好きか嫌いか、だけなんですよね」

「最近私も、ジャズが楽しいって思えるようになったんですけど、最初の頃はわけわかんなくて取っ付き難い音楽って思ってましたよ」
 
「取っ付き難いってのは、慣れていなかったからかもしれませんね。ポピュラー・ソングに慣れていれば、歌詞があって歌の意味があるし、時間的にも3分ぐらいで聞きやすいですし。その点、ジャズは楽器演奏だけだったり、やたら長いのも多いですから。でも、テーマ部分にはちゃんとした曲が成り立ってるんで、何度か聞くうちに慣れてしまいますよ」

「楽しいって感じるようになったのは慣れなんですかね」

「そう思いますよ。知ってるメロディだと、ジャズ的なアプローチしててもすんなり聞けますし、映画やテレビ・ドラマ、CMなどに使われて印象に残るフレーズもたくさんあると思います。歌物ですが『この素晴らしき世界』、『虹の彼方へ、』『レフトアローン』などが良い例だと思いますよ」

                                        続く

旅の追憶 破壊と長年思い続けた地

2018-01-18 18:05:59 | 紀行 旅の追憶
 目覚めはすこぶるよく、風呂とサウナを楽しみ朝食を済ませ、昨日探せなかった出島を目指し海岸に自転車を走らせた。



 港はとても綺麗で、遠くの埠頭には大型客船も入港している。何度も海岸線を行き来するが出島ワーフと標識はあるが出島は見つけられず、派出所に飛び込んだのだ。対応してくれた警察官が、自転車ですかと興味を示したが、婦警ならともかく出島ワーフの標識にいらいらしていて、お兄さんでは無理なのである。


 警察官の説明では、出島は海岸にはなく市街地に存在していて、行くべき方向を指をさして教えてくれたのだ。復元を試みて、完全ではないものの公開もされていると言い、さっそく向かってみた。

 宿からわずか200mほどの距離で、内陸から架けられた橋は存在せず、島の船着場であった場所をえぐるように国道が走り、その国道側が復元出島の入り口となっている。

 歴史的価値は大きく、この地を象徴し観光の目玉にもなりうる場所であるはずだ。明治後期からの湾岸整備で埋め立てられたそうで、明治政府が江戸幕府のつくった人口島になんの思い入れがないことは理解できるが、原型を崩し走る国道はどうみてもここ何十年の建設であろう。市街地の整備計画に復元が入らなかったことがとても理解できないのだ。

 復元出島を見学し、昨日行った外国人居留地に自転車を走らせ、またコーヒーショップに立ち寄ると、おかえりなさいと心温まる出迎えだ。コーヒーを頼むと赤と金が織り成す見事な伊万里に注がれていて、目も楽しませてくれる。

 昨今どの観光地に行っても中国の方をよく見かけるが、今日は特に西洋の方を目にすると話すと、日本のこの地で製造されたイギリスの船舶会社が所有する豪華客船サファイア・プリンセス号が寄港し、市内観光が行われていると言う。どことなく振る舞いの良さを感じるのだ。決して中国の方の振る舞いを否定するつもりは毛頭なく、日本が高度経済成長を成し遂げた時代には、多くの日本人観光客が諸外国で、今の中国の多くの方と同じような行動を取っていたのであろう。

                        

 店を出て、グラバー園へと足を向けた。展示の中心は園の名前にもなっているトマス・グラバー氏であろう。オルトさんもリンガーさんも私は知らない。グラバー氏は鎖国の終わりと同時に来日し、政権交代に大きく関与した人物で、武器の調達や多くの薩摩藩士の留学支援に力を注いだ人物だ。また維新後には財政破綻したものの、元土佐藩士岩崎弥太郎の興した三菱とも深い関わりを持っている。激動の時代に多くの志士達と、明日の日本についてこの邸内でも語り合ったのであろう。また都市伝説の域を出ないが、フリーメイソンとの関わりを示すシンボルマークを見たかったのも、園を訪れた理由だ。

 客船寄港で多くの西洋人がこの園を訪れており、当時の外国人居留地の趣を感じさせてくれたのだ。盗撮ではなく、当時の趣をと一枚美女の写真を頂いた。

 園を満喫し、私は長年思い描いていた場所に自転車を走らせた。

 これから向かう場所は、決して観光のついでに立ち寄るところではなく、私が長年思い続けてきたところで、私がこの地に向かった理由はすべてここにある。自分の足で立ち、目で見て感じたかったのだ。

 世界の歴史は戦いの繰り返しで、日本は250年以上続いた戦のない時代を終わらせ、世界の強豪と互角に渡り合えることを目指し近代化に取り組んだ。その結果、世界の強豪と対立を深め、隣国への侵略を初め、アジアの多くの国に広げ支配下に治めたのだ。

 豊臣秀吉が行った朝鮮侵略を詫び、友好関係を築いた徳川幕府の反省は明治維新と共に葬られることになる。他国からの侵略を抑える目的もあったのだが、はたしてそれがどのような結末を迎えるのか、誰にもわかることではなかった。

 日本は多くの過ちを犯し今がある。当時その行為が間違いであるとは気が付かずに行ったように、今現在も多くの過ちを繰り返しているのであろう。多くの犠牲を払ってからでは遅すぎることを、我々日本人が一番理解しているはずだ。

 券売機で入場券を買い館内に入ると、11時2分を指したまま時を止めた柱時計が置かれている。1945年8月9日11時2分だ。



 奥へ進むとその先には、暗闇に廃墟と化した街が再現され、大きく崩れた天主堂がこの惨禍を物語っている。

 非戦闘員である民間人に多くの死傷者を出し、人道に反する犯罪行為であることに何の異論もないが、なぜこの惨禍が起きてしまったのか、どうして防ぐことができなかったのかが大切なことだと思う。国と国が友好関係を失った極限がここにあるのだ。

 この非人道的な行為に対し、反省、謝罪を求めること、またそれを行わない国に対して非難することに、いったいどれだけの意味があるのだろうか。私にはわからない。

 日本はアジアに進軍し、多くの戦闘と民間人への虐殺を繰り返してきた。どこに違いがあるのだろうか。絶対数なのであろうか。どちらにも正義はないのだと思う。すべては戦争がもたらした結果であり、その行為が悪なのだ。

 同じ対戦の敗戦国ドイツは、敗戦処理に対して日本と大きな違いを見せた。隣国といつまでも小競り合いが続く日本と、どちらが適切な処理を行ったかは明確である。

 未だに日本にはアジア諸国に対して多くの差別が残っている。侵略をし、一時支配下に治めたおごりなのであろうか。日本人の意識に対し、侵略への反省、謝罪は誰も感じてはくれないであろう。

 資料館を出て、200mほど下がったところに中心地碑が立っていた。この上空500mで炸裂し、多くの尊い命を奪い街を廃墟と化したのだ。この地に立てたことは、私にとって感極まることだ。

「家族」 挑戦

2018-01-17 18:08:13 | 長編小説
 自転車を手にした綾香は、多くのことで前向きに捉えることが出来るようになってきた。朝は英子と一緒に10km程走り、業務でも進んで写真館まで自転車を走らせる。行動範囲が広がり楽しくて仕方ない様子だ。また、交通量の少ない安全な道を選ぶことや、絶えず周囲の車、人にも注意を向け、相手の動きを見て自分がどう動くかなど、考え行動することが、仕事によい結果を招いているようだ。以前は、ふと陰りのある表情を浮かべることもあったが、今はもう見せることはない。

 自転車に乗ることで、今まで気が付かなかった辺りの景観も新鮮に映し出される。公園を見つけ自転車を止め、もう間もなく訪れるであろう紅葉、雪化粧をした風景、満開の桜をイメージする。そんな他愛も無いことも楽しみなのだ。公園で遊ぶ親子の姿を見ても、もう寂しいとか、羨む気持ちに戻ることはない。

 写真館に頻繁に出入りし、以前から興味のある写真はもちろん、写しだすカメラにも興味を持ち始めた。店頭でカメラを覗き込んだり、佐々木の話にじっと耳を傾けることも多い。

「お給料貯まったら、カメラ買おうかな」

 綾香には毎月食費と寮費が引かれ、手取りの金額としては数万円の金額であるが、給与が支給されている。また、生活に必要なものは英子が買い与えているため、自分のお金を使うことは、好きな本を買うことぐらいである。銀行口座にはけっこうな額が貯まり、普及品のデジタル一眼レフを買うぐらいは優に超えているはずだ。

 敏也への撮影依頼は、本社を写真館からカフェに移しており、会社役員である英子の元に入る。今回舞い込んできた依頼は、小説を元にカット写真を載せ、週刊誌紙上で連載をしたいとのことだ。有名小説家とのコラボでは、敏也はまず承諾しないであろうが、無名小説家の処女作品であり、小説の内容次第で受ける可能性は高い。英子はその旨を出版社に伝え、敏也の帰りを待っている。撮影中、他の案件をイメージさせることは、創作中の作品に影響が出る可能性もあり、敏也に連絡を入れ、新たな依頼の打診をすることはしない。英子らしい配慮である。

 英子は、数週間後撮影から戻った敏也に、あらかじめ取り寄せておいた小説の原稿のコピーを手渡し、依頼内容を説明している。流し読みではあるが内容に不満はなく、ただ撮影に入れる時期と小説に書かれている時期が異なるため、その修正が可能であれば受けると言う。

 出版社を通じて作者に打診したところ快く承諾が得られ、また起用のモデルは任せるが、必要であれば手配をすると言う。


「今回頂いた話だけど、英子さんモデルしないか。そして綾香も同行させたい。撮影現場を見せてあげたいし、いい勉強になると思うけど」

と話し、小説の主人公に年齢の近い英子に打診をしている。英子の心の中では、

《二度とモデルは、、、》

との気持ちがあるが、生涯を通じ敏也に仕えることを決めている英子は、

「喜んで、そのオファーお受け致します」

 翌日、英子から綾香に

「ねえ、綾香。先生がね、今度、撮影に3人で行かないか、って。で、綾香は先生のアシスタントね。きっと大変よ~」

「やったぁー!。でもアシスタントってどうすればいいの」

 綾香は喜びを身体いっぱいに表現し、飛び跳ねて万歳をしているが、多少の不安もあるようだ。綾香は、かつて敏也のアシスタントとして腕を振るった英子から、また今もアシスタントとして同行機会の多い佐々木から指導をうけることで、大忙しの日々だ。もっとも敏也は、アシスタントをそれほど必要とはしていない。
                                 
 綾香はアシスタントとして同行できる日を楽しみに、日々、カフェの仕事をこなしながら勉強をしている。特にレンズの特性に興味があるようで、描写の違いに驚くばかりだ。

 知れば試したくなるのも不思議ではなく、綾香は英子にカメラを買うことの許可を得ようとしている。英子は、自分が働いたお金で何を買うことも問題はないと前置きし、

「ただ、デジカメはね~手軽で便利なんだけど、私は好きになれないな。もちろん綾香が欲しいと思うものを買うべきで、私には何も強制はできないけどね」

と、デジタル・カメラについては、何か思いがあるようだ。

 実際に、敏也もスポンサーの絡みがなければフィルムを使う。大判、中判、35mm共にポジフィルム*1の使用だ。

 写真館を訪れた際に、佐々木に尋ねても答えは同じで、

「商売だからデジカメ売ってるけどね」

「問題は、綾香ちゃんがどこを目指すかだと思うよ。単に自分の思い出として写真に残したいだけならデジカメで十分だし、綺麗な写真もちゃんと取れるよ。ただ、将来、写真家を目指しってとか、プロではないにしても作品として写真を捕らえるなら、間違いなくフィルムカメラ買ったほうがいいしね。それにね、フィルムカメラ使ってる人のほうが、間違いなく上達は早いしね」

「え、そんなの関係あるの」

「うん、デジカメは買ってしまえば、後はプリントするぐらいでお金かからないでしょ。失敗してもすぐに撮り直せるし」

「だからいいんじゃん。デジカメ」

「うん、便利だよね。でも安易にシャッター押せちゃうでしょ、お金もかからないから。でもフィルムだと、フィルム代、現像代、プリント代ってお金かかるのよね、シャッター押すたびにね。だから、フィルム使ってる人は、失敗したくないから勉強するし、それに一枚に対する気持ちの入り方も違うかな。だから上達も早いよ。それに写真の仕上がりは、やっぱりポジフィルムが一番だと思うな、リバーサル・フィルムのことね。でも最後は好みかな。」

 佐々木は、多くの写真を楽しむ人と接して、感じる違いを熱く話すが、綾香にはなかなか理解できることではないようだ。そして現行のフィルム・カメラがプロ仕様しか販売されておらず、高価であり、予算に合うかどうかも問題だと言う。

 綾香の予算では、カメラ本体は買えても、レンズを買うことが出来ない金額である。フィルム一眼は諦めるほかはないかもしれない。

旅の追憶 美味しい物

2018-01-17 15:36:48 | 紀行 旅の追憶
《お詫び、、、先回投稿分の『残したいもの』で、事実と異なる記載をしてしまいました。自身の勉強不足を反省すると共にお詫びさせて頂きます。大変申し訳ありませんでした。また、ご指摘を頂いた方には心より感謝致します》

 翌日目が覚めると、酒の飲みすぎであろう体が重く、すっきりとしない。雨も激しく降っており憂鬱だ。このまま滞在し雨の上がるのを待つか、JRで移動するかであるが、とりあえずチェックアウトを済ませ駅に向かうことにした。



 駅のコンビニで軽い食料を調達して、雨が上がったら自転車に切り替えようとJRに乗り込んだが、どうも身体が列車の移動を望んでいたようだ。途中の乗換駅で石碑があり、旅情と記されている。旅で感じる気持ちなのか、旅人の気持ちなのであろうこの旅情を求めて、旅をしているのかもしれない。

 途中雨も上がり天候の回復をみせたが、体調がやはり思わしくなく列車を乗り継ぎ目的地の駅に着いてしまった。どこまでJRを利用するかも決めておらず、改札で清算をしようと切符を差し出し財布を用意していると、女性駅員がもう切符はいただきましたよと声をかけてきた。後から考えれば、そのまま改札を抜けられるのだが人はいざとなったとき正直なものである。途中までしか買っていないと説明し清算を済ませたが、知らぬ顔をして通り抜ければこれも立派な犯罪で、これで良いのだ。



 駅前の広場に出ると何かのイベントであろう、多くの若い女性がステージ前に陣取り、階上のフェンスにも人が集まっている。ざっと見た感じ200名はいる。厳重に警戒をされている中、仕切られた通路で私は自転車を組み立てようとしていると、私の横を数名の男性が駆け抜け、大きな歓声とともにステージに上がったが、彼らを私は知らない。警備員に何も言われることのなかった私は、石ころのような存在であったのであろう。

 歌っているのか、しゃべっているのかわからない彼らを尻目に自転車を組み立て出発だ。

駅より南に進路を取り、適当なところで左折すると多くの中華料理店が軒を連ねている。横浜、神戸と並ぶ中華街だが、あいにく時間帯もあり多くの客で溢れかえっている様子はない。

 道に迷い派出所に現在地の確認をと飛び込んだのだが、どこに行きたいと聞かれ、思わず社中と答えていて、この地の滞在中に訪れたいと思っていた場所でもあり、道順も明確であり向かうことにした。




 通りから数百もの石段を登り建っていた社中は、想像していたものよりかなり小さな屋敷だ。

 見学後、やはり歴史的価値の高い出島を目指したが見つけることが出来なかった。

 幕末期の外国人居留地に向かうと、多くの観光施設が人々を魅了している。時間も押し詰まり見学は明日にしようと自転車を走らせようとすると、こじんまりとしたコーヒー屋を見つけ、60前後とおもわれる細身でとても綺麗な女性が出迎えてくれた。自身を美しく見せることを怠らない女性は、いくつになっても素敵だ。

 この店で宿の情報などを入れ、再び港周辺を自転車で走っているとカプセルホテルが目に飛び込んで来たのだ。しばらくビジネスホテルでの狭い風呂が続き、部屋でくつろぐよりも大きな風呂とサウナを楽しみたいと気持ちが勝り、チェックインをした。

 サウナと風呂を楽しみ、ちゃんぽんと看板の出た中華料理店に入った。ビールと餃子がお腹に収まり、お目当てのちゃんぽんを頼むと、白濁したスープに魚介類と野菜の具が盛りだくさんで麺が隠れてしまうほどだ。紅白のかまぼこは絶対的な存在なのであろう。

 さきほどのコーヒー店の客が、もう美味しいちゃんぽんを食べさせる店はないと言っていたが、本当においしいちゃんぽんを知らないのが救いかも知れない。ただ、感じたのは多くの中華料理店にあるように、化学調味料の使いすぎで舌がしびれる感じだ。コーヒー店の客がもらした言葉は、ここにあるのかもしれない。