雲の上のあしあと

蓮の葉は空を向く
  花に羨望しているのだ
蓮の葉は底を向く
  土に懐郷しているのだ
~創作小説蒐~

シラヒメ。 序章2

2010年10月28日 | インにヨウに、
 冷気を引き摺って電車を降りると、澄んだ空気が迎えてくれた。暑いことは暑いけど、爽やかな気持ちにさせてくれる。シャツもじわじわと温められて、何だか落ち着く。汗は掻くけど、やっぱり自然の空気がいい。一緒に降りた人達も同じことを考えたのか、気持ち良さげに肺へ空気を送り込んでいた。僕も倣って、懐かしい香りを楽しんだ。
 峰の続く屹然たる山並み、年季の入った建物が集った小さな駅前。景色の変化でも探しながら改札口を通ると、木造の待合室に立ち寄って、丸く膨らんだ鞄を椅子に置いた。
 軽く伸びをして、深呼吸。そして一息。
 よし、目が覚めた。
 意識が覚醒していくことに安堵する。眠くなければモヤは発生しにくいのだ。とは言っても、出る時は出る。そこは諦めていたつもりだったんだけど、さっきの出来事を思い出すと、先が思いやられる……
「なーに渋い顔してんの」
「えっ?」
 聞き慣れた声にはたと気を取り戻すと、すぐ目の前に女の人が立っていた。目は子どものように爛々と輝いて、長い髪は頭の後で巻いている。服装は、ノースリーブのカッターシャツに緩くネクタイを締め、短いフレアパンツというものだった。
「―――早紀姉ぇ?」
「早紀姉ぇ? ってアンタね、あたし以外の誰に見えんのよ。また目が悪くなったの?」
「そうじゃないよ。急に出てきたから、吃驚しただけ」
 本当はちょっと自信が無かったんだけど、と心の中で付け加える。話すとやっぱり早紀姉ぇだと実感するけど、前と少し雰囲気が違っていた。目が合った瞬間、別人かと思ってドキッとしたし。
 そんな僕に、早紀姉ぇは非難じみた眼差しを送ってきた。
「裕也が気付かなかっただけでしょ。まったくもう、長細いのとノロいのは相っ変わらずね。感動の再会だってのに」
「感動の再会って、たかだか一年じゃないか」
 まぁ何時もこの日に帰省するから、一年も経っていない。そう感動もしていられない頻度だと思うけど……目の前の彼女は、そうは思ってくれていないみたいだ。
 あ。そう言えば早紀姉ぇって寂しがりやだったっけ。
「一年とか、そういう問題じゃないの! せっかく迎えに来てあげたんだから、もうちょっと嬉しがったりしなさいよ」
「あ、迎えに来てくれたんだ」
「じゃなきゃ、こんなところで会うワケないでしょ」
「うん、そうだね。ありがとう早紀姉ぇ」
「そうそう、それでいいのよ。裕也は素直な子ねー」
 早紀姉ぇがようやく満足そうに笑う。からかっているだけかもしれないけど。
 しかしなるほど、道理でポシェットしか持って来てない訳だ。早紀姉ぇ、出かける時は何時もトートバッグだもんな。
 重い鞄を担いで、バスの停留所まで移動する。僕の故郷は知る人ぞ知る避暑地ということもあって、それなりに人だかりが出来ていた。仕方なく立って待っていたけれど、積もる話をしていると時間の経過が早いもので、あっという間にバスが到着した。乗り込んで更に四十分、話が途切れることもなく――僕はほとんど喋ってないけど、ともかく、僕達は観光案内所前でバスを降りた。
 山と山の狭間にひっそりと息づく、小さな山村。穏やかにして厳かな、古きよき風情を残す隠れ里。
 ここが僕の生まれ育った土地、白越地区だ。
 小ぢんまりとした観光案内所の前の通りには寺や資料館があり、山には鍾乳洞や遊歩道なんかがあったりする。大きな通りは二本で、川を挟んだ向こう側が旅館街(とはいえ旅館は三つしかない)だ。ちょうど今がシーズンということもあって、遠目に見ても賑わっている。まぁ、都会のような混雑には程遠い、ちらほらとしたものなんだけど。
 故郷に降り立って最初に感じたのは、目ぼしい変化が無いなとか、帰ってきた実感とかではなくて、今日の気温が異常だということだった。こんな暑さ、この土地では初めてのことだ。地球温暖化とか、そんな次元の話でもない。不自然でない風もそよめいているし、空気も只管に透明で心地いいのは従来と同じだ。
 ………また、体感温度だけが狂っている?
 隣の早紀姉ぇを見ると、だらけた様子で襟元を揺らし、服の裏に篭もった空気を追い出していた。ネクタイを外したほうがもっと換気の効率がいいと思うけど、ファッションは我慢だ。それに外されたら多分、目のやり場に困る。
「何か、妙に暑いね」
 滲み出す汗をタオルで拭き取りながら、それとなく聞いてみた。
 早紀姉ぇは、僕に疑うような目を向けて――
「ニュース見てないの? 今年は各地で酷暑なんだって」
「それは知ってるけど、まさかここまで及んでるとは思わなくてさ」
 苦笑で応えながら、内心では嬉しくて堪らなかった。僕が狂っている訳じゃないんだって、そう言ってもらえた気がしたから。
 そうだよな。ただの取り越し苦労に違いない。
 遠くに映る山稜が波打っているのは、熱気のせいだ。
「でも、さっきまでいた都会よりはマシでしょ? 変な匂いとかしないし」
「そうだね。ここの空気を吸うと、何時も向こうに戻りにくくなるよ」
「だよねだよねー!」早紀姉ぇはにっと笑って、僕の背中を叩いた。「もうずっとこっちにいればいいじゃん!」
「大学卒業してからね」
「ちぇー。つまんないのー」
 そう口を尖らせる早紀姉ぇは、二年前に調理師学校を卒業して、実家のレストランで働いている。聞くところによるともうすっかり看板娘らしい。早紀姉ぇは人当たりが良いから、頷ける話ではある。
「早紀姉ぇがつまんないから、中退するの?」
「そうは言わないけどさー。遊び相手が欲しいっていうかぁ」
「遊び相手なら、陽太がいるじゃない」
「陽太ぁ? 無理無理。アイツ、忙しいとか言って逃げるから」
「陽太も大変なんだね」
 そういやこの前の電話で、白越は人手が少ないからフリーの身内は引っ張りダコだって愚痴っていた。僕もここに残っていれば、同じ目に遭っていただろう。ここの住民は皆、暇な時にはヘルプを求められるのだ。勿論、早紀姉ぇもその人員の一人である。
 特に今は稼ぎ時なので、今頃陽太はあちこちを奔走していることだろう。忙殺されている姿がやたらハッキリと目に浮かぶ。陽太の奴、無茶してなきゃいいけど。
 何だか心配になってきた。
 すると早紀姉ぇが、偶然知った明日の天気でも報告するような口調で、
「休日ってのは、街に出てナンパするためにあるんだってさー」
「陽太の奴………」さっきまでの憐れみは何処へ行ったのか、途端に悲しくなる。「美人っていうなら、ここにいるのにね」
 と、隣の足音が止んだので、僕も足を止めて振り返った。
「どうかした?」
「どうかした? じゃなくてさ……」こめかみに押し付けた指を離して、僕を見る。「裕也ってさ、よくもそうヘーゼンとハズい台詞をぶっちゃけるよね。親戚の叔父さんでもないのに」
「でも親戚みたいなものでしょう? それに、恥かしいからって嘘吐く道理も無いじゃない」
「でもさぁでもさぁ。そういうのって、ちょっと躊躇っちゃったりするじゃん。緊張したり、上がったりとかしてさぁ。そういうことないの?」
「あるよ、勿論」
 そう言いつつも、漠然と思う。僕は自分の置かれた状況というものに、あまり現実味を感じていないかもしれない。それも奇妙な話ではあるけれど、自分が自分という役を与えられた誰かだと考えれば、意外と正常な感覚かもしれない。
 もしかしたら僕、転生しきってないのかな。
 なんてね。
 そんな客観的なことを想定する僕に、早紀姉ぇは鼻から吐息して、肩を竦めた。
「でもそれが表に出ない、と」
「……みたいだね」
「このムッツリめ!」
 そう非難されてもなぁ。生まれてこの方ずっとそうだから、もはや癖と言うよりは、性格に分類されるものだろうし。
「そのつもりは無いんだけど………そうなるんだろうね」
 と僕は認めたのだけれど、早紀姉ぇは不満そうなため息を漏らした。
「ま、そう言うだろうと思ったわよ。それが裕也のいいとこでもあるんだけどさぁ。あーあ、つまんないのー」
 ………どうしろって言うのさ。
 寺の前を通り、橋を渡って旅館街に出る。ばったり出会った白越の住民と挨拶を交わしつつ、そして茶化されつつ、実家へ向かった。それほど長い距離ではないので、十分も掛からない筈なのだけど、着いた頃にはそれくらい経っていた。
『土産屋ふるぎ』
 ここが僕の実家。よく誤解されるけど、別に古着を取り扱っている訳ではない。見るからに木造家屋だけど、リフォームしたおかげで中途半端に近代化している。入り口は開けっ放しになっていて、楽しげな話し声が聞こえると思ったら、母さんが男の人と対座していた。堂々と店の前に立ってるんだけど、気付く気配がない。母さんにはこういうことがよくある。まぁ、それだけ会話が弾んでいるということだ。
 邪魔しちゃ悪いかな。
 裏口から入ろうかと退散しかけて、ようやく向こうが気付いた。
「あら裕也、お帰り。早かったわね」
「うん。ただいま」
「裕也……?」と、隣の彼が鈴音のように通る声で呟いて、振り返った。「あぁ、久しぶり。随分大きくなったなぁ」
 さらさらした髪を揺らし、穏やかに微笑む。顔立ちはやや貫禄が出てきていたが、柔らかい物腰、おっとりとした目など、当時の面影を残していた。
「えっ、もしかして俊兄ぃ?」
 まさか会えるとは思っていなかったので、何だか嬉しくなる。しかし、女性と見紛いそうな顔のままこうも男らしくなるとはね。これぞ正しく感動の再会ってやつだろうか。
 俊兄ぃはくつくつと笑いながら頷いた。
「当たり。もう兄ぃと呼ばれるような歳でもないけどな。 ………十年振りになるか? 元気そうで何よりだよ」
「俊兄ぃもね。去年も帰って来たって話は聞いたよ。入れ違いだったんだよね」
「あぁそっか、二人って去年会ってなかったんだ。そういや俊兄ぃ、八月に入る前に帰ってたもんね。んで、裕也は八月と一緒に来る。もっと早く帰って来ればいいのに」
 横から早紀姉ぇが納得と不満の声を上げる。去年は慌しかったから、記憶が曖昧なのも無理はないだろう。
「早く帰っても良かったんだけど、どうしても放って置けない人がいたんだ」
 答えながら、いい加減手が痛いので、鞄を床に置いた。手の平を見ると、赤い筋が綺麗に横切っていた。
「あら裕也、彼女でも出来たの?」
 興味津々にそんなことを聞いてきたのは母さんだった。
「えっ、マジで!? 聞いてないよっ!?」
「そうかぁそうかぁ。てっきり早紀と結ばれるもんだと思ってたがなぁ。ふむ」
 早紀姉ぇが驚いて固まる一方で、俊兄ぃは何やら考え込みだした。
 何でそんな勘違いをするかな……。
「ちょっとみんな、どうしてそうなるのさ? クラスメイトと部長とご近所さんと店長と生徒が困ってたんだ。それだけだよ」
「あらあら、モテモテなのねぇ」
「ねぇ母さん、わざとそんな言い回ししてない?」
「だってその人達、みんな女の子なんでしょう?」
「全員じゃないけど………確かに、女の人の割合が高いね。何でだろう?」
 思い返してみれば、困っていたのはバイトしてる喫茶店の店長とご近所の平八爺さん以外、みんな女性だ。家庭教師の生徒も、見事に姉妹だしなぁ。
「モテモテだからなんじゃないのー」と、横から早紀姉ぇのぼやき。
「うーん………それとは違うと思うんだけどな」
 好意を持ってくれていると思うけど、それをモテていると言うのか、僕にはよく分からない。それより、困っていたみんなを思い出してたら何だか心配になって来た。
「あるいは、裕也は半端な男を寄せ付けないってことなんじゃないか? 勿論、陽太のような腐れ縁は例外だが。少なくとも、何かしらのオーラがあるのは間違い無いな」
「何それ」
 自信満々にそんなことを断言するものだから、おかしくてつい笑った。
 笑ったのは僕だけだった。
「あー確かに、裕也って男同士の悪ノリとか乗らなさそうだよね」
「やっぱり早紀もそう思うか。こいつ程おふざけが似合わない奴はいない。そんな裕也の周りにゃ堅物しか集まらん、どうだこの推理!」
「そうそう、手の掛からない息子で助かってるのよ。俊君の言う通りね!」
 当人そっちのけで納得し合っている。いや、否定はしないけどさ。
「もう俊兄ぃったら、そうやって決め付けたがるのは相変わらずだね」
「はは、悪かったよ。そうだな。これは決めても詮無いことだ」
「あ、なるほど。そういうことだったんだね」
「そういうことって、どういうことよ?」早紀姉ぇが訊いてきた。
「本当は決められないんだけど、それじゃ分からないままだから、仕方なく、今までの経験や知識を元に仮定しておくっていうことだよ。これこれこういうことがあったから、この人はこんな人だ、みたいなね」
「ふーん。それで?」
「それでって………本当に続きが聞きたい?」
「多分寝るわね」
「だろうね」
「あっ! 今バカにしたでしょ」
「何でそうなるかなぁ」
「あっはっは!」早紀姉ぇと漫才を繰り広げていたら、俊兄ぃがけたたましく笑った。「仲の良さは決めるまでも無さそうだな? ともかく顔を見れて良かったよ。 ―――それと、言い忘れていたが誕生日おめでとう」
「……うん。ありがとう」
「あー! 後でみんなで祝って驚かそうと思ってたのに!」
「まぁまぁ早紀ちゃん、いいじゃない。減るものじゃなし」
 騒ぐ早紀姉ぇを母さんが宥めている隙に、鞄を持ち上げ、二階の自室へ向かった。
 我ながら、飾り気の無い部屋。嬉しいことに掃除してくれていたらしく、埃は見当たらない。端のほうに鞄を置いて一息吐く。窓は北にあるのでこの時期は快適だ。窓を開けて下を眺めると、清流が流れていて、微かな水のせせらぎが聞こえてくる。眠気がどっと押し寄せてくるけど、まだ横にはなれない。欠伸を噛み殺し、どうにか我慢する。
 それにしても、二十歳か……もう、そんなに経ったんだな。
 自室から出た僕は台所に行って、冷蔵庫から適当な具を拝借し、おにぎりを作った。それをタッパーに詰めて鞄に入れる。台所から出る前にふと時計を見ると、もう正午近くを差していた。普段なら昼食を取っている頃だろうけど、電車を待っている合間に食べたせいで、あまり空腹ではないのだ。眠気に誤魔化されているだけかもしれないけど。
 鞄をタスキがけにして、表に出てきたら、母さんが声を掛けてきた。
「裕也、もう行くの?」
「うん。早紀姉ぇはどうしたの?」
「家の手伝いに行ったわよ」
「あ、そっか。お昼時だもんね」
「何処に行く気なんだ?」
 俊兄ぃ、か―――
「何、のんびり登山してくるだけだよ。 ………一人でね」
 一瞬、俊兄ぃの目が深奥をも見通せそうな眼光を宿した。意図をおおよそ察したようだ。でも、この目に竦むようではいけない。恐らくこれは俊兄ぃなりの試しだ。僕はそれに答えるように、その瞳をじっと見つめ返した。
 電撃のように交わる、何秒ともない瞬間の問答。
 すると俊兄ぃは苦笑を漏らして、後頭部を掻き始めた。
「そうかい。どうせ山に登るなら一緒に行こうかと思ったんだがなぁ。仕方ないか」
「ごめん、俊兄ぃ」
「いや、いいんだよ。行ってらっしゃい」
「うん。行ってきます」
 短く言い残して、僕は足早に家を出た。
 俊兄ぃが今日という日を覚えてくれていたのは嬉しかった。そして恐らく全てを忘れていないことが、それによる僕への心遣いが痛いほど伝わってきた。
 心配をかけていることは重々承知している。誰よりそこに俊兄ぃが行きたがっているのも知っている。
 でもごめん、俊兄ぃ。
 同じ過ちは犯したくないんだ。


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 区切る場所が無くて字数一気に増えた(汗
 とりあえず書けてるのはここまで。
 ではまた来年←まてこら

シラヒメ。 序章1

2010年10月28日 | インにヨウに、
   序章「発して空、凝りて色」

 ハッと目覚めたのは、轟音が低く突き抜けたからではなく、突如として温もりを奪い去られたからだった。何時の間にかズレていた眼鏡を掛けなおしつつ、欠伸を噛み殺す。時計を確認すると、十時を回っていた。ということは、このトンネルを抜ければ目的の駅だ。
 あ、危うく寝過ごすところだった……まぁ、まだ着くまでは十分程度かかるだろうけれど。
 それにしても、何なんだろうこの寒さは。
「うわ……」腕を擦ろうとして、自分の腕の冷たさに驚く。
 まったく、どうしてこんなにも冷やすんだろうか。乗客数なんて都内の通勤電車に比べればたかが知れてるし、運動する場所でもなし。梅雨明けの険しい陽光も、冷房の効き過ぎた車内ではありがたいヒーターだ。猛々しい陽射しを考慮しても、この温度はおかしい。
 手元の本を読むには眠いので、窓の外を眺めた。暗闇が車体を引っ掻きながら流れている。その中を走る非常口らしき発光体を、ぼんやりと目で追う。らしき、というのは、視力に問題があるせいだ。眼鏡を掛けてはいるけれど、僕の眼に関しては意味が無い。度が入っていないとかではなくて、僕の視界は時折白むのだ。
 僕の視界には、影あるところ―――それも何の前兆も無しに、モヤが漂い始める。見た目が白煙とそっくりなせいで、未だにボヤかと焦ることもある。
 モヤは暗いと特に顕著に現れる。トンネルは中でもよく発生する場所だ。原因は一切不明。眼科医には首を捻られたものだけど、僕には確かに見えている。ちょっとした気の迷いで霊能関係の本やらサイトやらを漁ってみたことはあるけど、原因を追究するどころか、訳が分からなかった。まぁ生活する上では大した害にもならないし、幻覚だろうということで結論付けている。心理学には懐疑的で診断は受けてないんだけど、便宜上そうしている。
 まぁ、寝惚けている時に出てくる辺り、あながち間違いでもないと思う。夢現ってことかな。だからたまに、悪夢と繋がってしまうのだろう。
 視線を前に戻そうとすると、心身共に急ブレーキが掛かった。緊張が電流のように駆け巡り、痺れるような冷却が襲う。
 ―――ほら、まただ。
 窓の外に、いる。
 ずっとこっちを見つめている。
 僕は押し下げられる目線を、ゆっくりとソイツへ持ち上げた。
 暗闇の中に青白く、薄ぼんやりな癖にはっきりと、やせた子どもの顔が浮び上がっていた。モヤだからなのか平面的にしか見えず、距離感は掴めない。目と鼻の先ではないと信じたいけれど、正直分からない。
 本当に、分からないことばかりだ。
 それがもし虚像なら、怯える必要なんて無い筈なのに。
 たとえ虚像でなかったとしても、怯える必要なんてどこにある? どんな形を取ったにせよ、モヤはモヤ。僕には何もして来ないというのに。もしかして、何かを訴えようとでもしているのか。ただ見ることしか出来ないこの僕に。
 考えている間にもモヤの目がぽつぽつ増殖していく。通路にまで並びだし、その全てが僕のほうを向いている。電灯の明かりさえ冷気を帯び始めて、僕は身震いした。
 ―――寒い。
 いや、この言い方は語弊があるかもしれない。
 確かに、感覚としてはそれに近い。脊髄を執拗に舐められるような、ぞくぞくとする恐怖。でも、ただ怖いだけじゃない。とんでもなく大きな何かと契約を結んでしまっているような、そしてそれに精神を吸い取られていくような、消失感が付き纏っている。自分の存在がちっぽけになっていき、彼らのような幻ごときと同列に置かれてしまうような焦燥に襲われている。
 記憶が褪せていく。感覚が鈍っていく。被投性さえまどろんで、クオリアのみが残っていく。
 夢と現実を隔てるモノが、ことごとく消失していく………
 くそ、どうしてそんな恐怖を味わわなくてはならない? 下らない妄想だと分かってるのに、どうして僕はこんなことまで考えたりするんだ?
 ――夢なんぞが現実になるものか!
 無駄な足掻きだと知りながらも、ぐっと全身に力を篭めて子ども達を睨んだ。
 何の変化も見せない彼らが恨めしい。体も心も動かす気がない様子で、そこにい尽している。その癖視線を僕から外さない。気に食わない奴等だ。
 ならこちらから出向いてやる―――そう思った時だった。
 列車がトンネルを抜け、視界に光が注いだ。モヤはまるで風景に塗りつぶされるかのように、一瞬で掻き消された。緊張が解け、さっきとは違う開放感に包まれる。あぁ向こうは長閑だ。
「はあぁ………」
 深々と息を吐き出して、頭を抱える。その拍子で本が鞄に落ちたが、構っていられなかった。隣が空席だから良かったものの、見られていたらどう思われたことか。気になって車内を見回すと、観光客らしき人々が端々で世間話に興じていた。ホッと胸を撫で下ろす。
 しかし何故だろう。
 これほど幻覚に呑まれることなんて過去にもそう無かったのに、どうして今になって?
 震える汗ばんだ体を陽光で誤魔化しながら、呆然と車窓の外を眺めた。下を見やれば線路に並行する荒々しい川、上を見やれば緑豊かな山間から清々しい空が覗いている。電車を降りるのが嫌なくらいにいい天気だ。
 懐かしい風景に癒されながら、思う。少し前の考えを撤回したほうが良さそうだ、と。
 この調子だと、生活に影響するかもしれない………
 人知れずそんな不安を募らせていると、車掌のアナウンスが流れた。
『次はー、河合ー、河合です』




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 放っておき過ぎたので、適当に書いてあったものを載せてみる。。
 このお話は結構長いので、途中で挫折する可能性大←おい
 そして何故かカテゴリは『インにヨウに、』
 そういえば、これはホラーなのだろうか?