映画 大好きな画家 筑井孝子

一年に60本を目指す画家の感想

ジュディーオング 行って来ました。

2014-03-21 17:34:33 | 展覧会
すごいな。。


前橋 グリーンドームに あるので
まきのさんが くれた チケットで 行って来ました。

すごい 人でした
すばらしいな



大きな作品に挑む姿の ジュディーオング

美人で
頭よくて

そのうえ 歌もできて

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ジュディ・オング (本名・帰化名:翁ジュディ{帰化当時は翁玉恵「おきな たまえ」}、旧名・台湾名:翁倩玉(Ong1 Chhian3-gek8)、英語名:Judy Ongg、1950年1月24日 - )は、台湾出身の歌手・女優・版画家(版画家としてはジュディ・オング倩玉という雅号を使っている)。上智大学国際学部卒。出生地は台北市、貫籍(本籍地)は台南縣柳營郷。語学が得意で、母語である台湾語のほか、日本語、英語、中国語、スペイン語の5言語を話すことができる。

父方の祖父・翁俊明(1892-1943・台南人)は辛亥革命の歴史的人物であり医者、後に袁世凱をコレラ菌で毒殺未遂した人物。廬溝橋事件を機に日本国籍を捨て一家でアモイに移住し、福建省と香港を拠点に国民党援護の抗日活動に暗躍した人物としてしられる。(ジュディ本人は台湾のインタビューで祖父が辛亥革命で朝敵として殺された、などと事実でないことをTVカメラの前で語っている。)

父・翁炳榮は国民党設立の中国広播公司ラジオ局長にして駐日米軍GHQ心理作戦部チーフだった。第二次大戦後、抗日活動家の祖父以外の一家は国共内線から逃れるため福建から台湾に再度移住した。

母方の祖父は台南の大地主・劉北鴻。
1950年1月24日、台湾台北市にて生まれた翁家の長女は倩玉と名づけられた。上に兄(職業は建築家)が1人いる。

1952年、彼女が2歳のときに父の仕事(米軍GHQ報道工作)の都合で翁家は訪日した。小学校は東京中華学校に入学、学校で中国語の標準語である北京語を勉強しつつ、家庭教師について英語を勉強するようになる。ここでその家庭教師にJudyという英語名をつけてもらったという。また家庭では、両親の母語を忘れないようにとの教育方針から台湾語(閩南語)を使っていた。1959年、9歳の時に劇団ひまわりに入団する。このとき父は大反対したが、「芸能活動をしながらも、学業をきちんと終わらせること」ということを条件に、劇団に入ることを許可してもらったという。その約束どおり、東京中華学校のあとASIJ(アメリカンスクール)に通って英語を磨き(タレントの西田ひかるは後輩にあたる)、また上智大学ではスペイン語を習得している。
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だって

でね

すごいって 感激

出来る奴は できる(桐島、部活やめるってよ)


ま。。


すごい しか 言葉は でないよ。。。

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