中国残留 日本軍「性奴隷」被害ハルモニフォトエッセイ

過ぎ去った過去のことではありません。今でも苦しみ続けている人がいます。彼女たちの声に耳を傾けてみませんか?

リ・スダン

2006-09-09 | リ・スダン
国籍: 中国
故郷: 平安南道 スクチョン郡
出生年度 1922年
動員年度: 1940年
連行場所: 中国 黒龍江省 阿城、 石門子
現在住所: 中国 黒龍江省 東寧県



いまだに中国の食事より、朝鮮の食事が好きだというリ・スダンハルモニ。
朝鮮語は全て忘れてしまった。
静かな性格のために、誰よりも深い心の傷を負っている。
1922年、平南スクチョンで酒飲みの父親のもとに生まれて病んだ実母を看病し、新たに嫁いできた継母には虐待を受けながら暮らした。
14歳で婿養子をもらって結婚するが夫は言葉もなく家を出てしまった。
19歳の頃、「満洲工場へ行けばお金を儲けることができる」と言う言葉にだまされて黒竜江省の慰安所に行くことになった。
そんなハルモニが経験した2年間の性奴隷生活は、言葉に出来ないほど悲惨で自分の命を引き裂かれるような経験だったようだ。
いつも「徹底的に捨てられた」という考えが心の中にあるハルモニ。
おとなしそうに見えるハルモニだが日本に対しては、誰よりも激しく批判する。
「やつらの皮をむいてその血を塗りつけてやっても
恨みをすべて晴らすことはできません。
日本は必ず謝罪しなければなりません・・・。」

リ・スダンphoto1

2006-09-09 | リ・スダン



少ない金額だが、控え目に生活支援金を渡した瞬間、ハルモニは急に悲しく泣き始めた。
生涯さびしく暮して来たハルモニにとっては、自分に会うために遠くから誰かがこのように尋ねて来たというその事実自体が、声をあげて泣くほどの喜びだったようだ。
‘性奴隷’として連れて行かれ苦労した歳月、またこのように忘れられてきたハルモニの大切な時間を想ったら胸がしめつけられ、目頭が熱くなって来た。

リ・スダンphoto2

2006-09-09 | リ・スダン



ハルモニは言葉を失った。
正確に言えば、母国語を完全に忘れたということだ。
私たちが韓国から来たと言うと、知っている単語全部がハルモニの口からこぼれだした。
“お母さん・・・お父さん・・・お兄さん・・・弟・・・妹・・・”

リ・スダンphoto3

2006-09-09 | リ・スダン




異国の土地で生きて来たということを証明するかのように、壁が写真でぎっしりうまっている。
写真は珍しくもなく、安っぽく、必ずしも必要なものでもない。
しかしたくさんのものを浪費する私たちの社会とは違い、こんなに古ぼけた一枚一枚の写真が、彼女たちの解放後の生を静かに語りかける大事な記録になるのだ。

パク・ソウン

2006-09-09 | パク・ソウン
国籍: 中国
故郷: 慶南 釜山近郊
出生年度: 1917年
動員年度: 1937年頃
連行場所: 中国 吉林省 琿春市 春化
現在住所: 中国 吉林省 琿春市 春化



男が生まれなくて残念(ソウン)ということで名前が「ソウン」だ。
10男1女の末っ子であるハルモニは伝染病で上の10人の兄たちを皆失った。
19歳頃に嫁に行ったが義母の虐待がひどく、1年も経たないうちに追い出された。
実家に帰る意慾も起こらなかったので食堂で働きながら各地を転々としたが、1937年頃中国吉林省春化の慰安所に売られた。
そこで慰安婦生活をしていたが、病気にかかって3~4ヶ月後にそこから追い出された。
食いつなぐために肺病を持つ漢族の男の嫁になったが、男の病気が再発して彼と死に別れた。
次に朝鮮族の男に会って一緒に住んだが別れた。
最後に子どもが欲しいと願う中国男性に出会い一緒に暮したが、性奴隷生活の後遺症で子どもを生むことができなかった。
ハルモニは、子供も兄弟もいない自分の境遇を常に寂しく思っている。

パク・ソウンphoto1

2006-09-09 | パク・ソウン



「ハルモニ、故郷の釜山に一度行ってみたくないですか?私が招待しますよ。」
この言葉にハルモニは軽くほほ笑みを見せて
「今行って何をするの、行けるならとっくに行っているよ。」
と独り言のように答えた。

「放棄…」この言葉が頭に浮かんだ。
ハルモニはこの異国に骨を埋める覚悟で、今まで生きて来られたに違いない。
今になって取り戻すにはハルモニの忘れられた60年はあまりにも大きいようだ。

パク・ソウンphoto2

2006-09-09 | パク・ソウン


ハルモニの家は静かな住宅街にあった。
部屋が一つあるだけの小さな家だ。
いつかは迫ってくる‘死’を一人で静かに迎えようとするように、部屋の中はきれいに整頓されていて、じっと座っていれば時計の秒針の音しか聞こえない。
-静寂で満たされた-空間だ。

パク・ソウンphoto3

2006-09-09 | パク・ソウン


朝早くハルモニに会いに行ったが、ハルモニの姿はどこにもなかった。
どうしたことかと村の大通りに出たら、杖をついてゆっくりこちらに向かって歩いて来るハルモニの姿が見えた。
前の日に渡した生活支援金を急いで郵便局に振り込んで来たのだと言った。
異国の地に一人で生活するハルモニの不安感が垣間見えた。

パク・ソウンphoto4

2006-09-09 | パク・ソウン




ハルモニが住んでいる村の人はほどんど朝鮮族で、看板もハングルと漢字が一緒に書いてある。
近所の住民たちも朝鮮族であり、唯一この人たちとだけ交流を持つと言う。

中国訪問最後の日、ハルモニは門の外まで出て私たちを見送ってくださった。
私たちの訪問で少しの間つながった故郷との糸が切れてしまえば、再び襲ってくるさびしさを一人で消化させようとするように、ハルモニは私たちの姿が見えなくなるまで手を振り続けていた。

パク・ウドゥク

2006-09-09 | パク・ウドゥク
国籍: 大韓民国
故郷: 慶南 古城郡
出生年度: 1919年
動員年度: 1935年
慰安所地域: 山東省 青島, 上海
現在住所: 中国 上海



慶南古城郡。海辺で生まれた。
母親と早く死に別れ、難しい家庭事情の中で父親の妾に虐待を受けながら生きてきた。
16歳頃、中国に行けばお金をたくさん儲けることができるという話にだまされて売られた。
丹東を経て青島に到着し、約10ヶ月慰安婦生活をした。
そしてまた上海に売られてロシア人女性が運営するいわゆる「マッサージショップ」と呼ばれる軍人利用施設に流されて行った。
解放を迎えても朝鮮に戻って来ることができずに漢族の男と結婚して娘一人を生んだ。
帰郷を切に望まれていたハルモニは、去る4月韓国挺身隊研究所とMBC放送局の助けで故郷を訪問して国籍回復をした。
現在、ハルモニは家族がいる上海に戻り韓国政府の生活安定支援金を受けながら生活している。